To be continued

単純な日記です。

〈短編小説〉魚おろし器

インドの街角では、〈魚おろし器〉なるものが売られていた。僕がその街に来てから、もう一週間になるのだけど、道端に所狭しと並んだ、色とりどりの商品の中に、それはいつもある。〈魚おろし器〉それを知ったのは、僕は最初は子ども達がそれを売りに来た時だった。「それはなに?」僕が聞くと、子ども達は仲間内で追いかけていたサッカーボールを蹴るのと同じような勢いのままで僕に向かって「サカナオロシキ!」と言った。次の日、街を歩いているときもそれは目についた。僕は、多分使うことはないだろうと思いながらも、ここ最近のインドでそれがあふれている理由について考えてみた。多分、これは政府の政策なのである。インドでは2年ほど前から、肉ではなく魚が大変なブームになっているが、それは海洋の魚ではなく川の魚が中心になっており、そのため工業地帯から流れ込む金属の蓄積が政府の調査機関では問題化していた。その金属を人体が取り込むと、十何年後かに身体に何らかの異常が出始める。そのことが周知される以前、事前のルートでこの情報を得た、魚の卸売業者組合の会長は、この政府の〈サカナオロシキ〉流通化政策に対抗するべく先手を打った。それは、いまテレビで流れているドラマの内容だったりするのだけど、多くの人はそれが魚卸売業者組合の宗教放送などとは知らずに、「韓流の流れ」なのだと解釈している。僕は、ベンチがなかったため木陰の土の上に腰を下ろし、それから、サカナオロシキってなんなんだろうと思えてきたため、一度、それを扱う業者に直接聞いてみればいいのだと考えた。僕には、昔からこういった一見どうでもよさそうなことに関する取材癖が強くあるのである。思想や噂、そういうことを鵜呑みにしてしまうのは一番よくないことで、もしも僕がその辺の人に聞いたとしてと多分中途半端な話しか聞けないだろうという気がした。こういうのは直接、それを作り扱っている人に聞いた方が良いに違いない。…僕は、その店からひとつのサカナオロシキを作り出している製造元を探り、そこへ行ってみることにした。車で十分走った場所にあったのは小さな小屋で、そこにいた人に僕は話しかけてみた。

「ハロー」

「…」

「ハウドゥーユーシンク サカナオロシキ?」

「…」

「ハロー」

「…」

ディスイズ サカナオッロシキ

そこにいたのは、人間ではなくサカナの顔をした魚人だったのである。魚人は、まるでスターフルーツを半分に切り落としたような顔をしていたので、僕はひそかにそいつを「ヘキサゴン」と呼ぶことにした。僕は、サカナオロシキのことを聞き出そうとしたのだが、それ以上の会話はすることが出来なかった。そしてその後も何軒かまわってみまのだが、魚おろし器を扱う工場にいる人はみなそのように会話自体が全然できない人ばかりだった。


魚おろし器の不思議なところはいろいろとあるけれど、それを使うと二度と魚を摂ることが出来なくなることにある。僕らがそれを見て、それから聞くことでサカナオロシキは独自の電磁波を体内に流電させ、その人の中にある〈魚〉像というのを揺るがし始めるのだ。ご存知の通り、実物の魚というのはあるいは、ナイフや包丁のような体つきをしていて、銀色だったり、青色に見えたりする。けど、魚おろし器を持っている限り、その〈魚〉という概念自体が揺らぎ始める…僕がそのサカナオロシキに触れてから変化した〈魚〉像…それは、奇妙なことなのだが、甲高い声で話し両性の性器を持ち、副業でお笑いをしているのだが、一方で知らない女性の家に入り込みその構造を15年かけて根こそぎから壊そうとする猟奇殺人者としての〈魚〉像で、〈魚〉像はそれを終えた後でチンコの先を堂々と拭き、それからそこでアカペラで歌い始めるのだった。「あ、そうだそうだ。すみませぬ。メガネを忘れていました」〈魚〉像は、メガネをかけることをいつも忘れない。自分のしたことを、それからそれを周りの人にみな話させることには海でたゆたうアフリカ像くらいに構わないのに、眼鏡と、それから黒いケープだけは常に着ていなければ気が済まないみたいだった。

僕は魚おろし器に少し触れただけで翌日から魚を食べることができなくなってしまった。夕飯、スープに魚が入っていたのを知らずに飲んだ時はそれを食堂の床に吐いてしまい周りに迷惑をかけてしまった。店主は、慣れているのか笑いながら「君も、使ってしまったようだね。sakana-oroshikiを。」発音が良くて、僕は聞き取れずに「ホワット?」と聞き返した。「sakana-oroshiki」「ドゥーユーノウ、サカナオロシキ?」僕がそう聞くと、先ほどまでの笑顔は消え失せ、店主は「NO!!」と叫んだ。


僕は「この街の人間はもう既に皆、狂っているのだ」と思った。

僕は、気を取り直し、次の日ベトナムへ発つことにした。出発の前日、僕はおそらく二週間分ほど溜まっていたため夜、宿の近くの娼館へ行って7歳年下の女を買った。サカナオロシキのことは忘れてしまったけど、こんな展開は初めてだった。今夜限りで、インドにはお別れを告げなければならない。けれど、少しも寂しくはなく、むしろ喜びの方が優っていた。もしかするとこれも政府の策略の一部なのかもしれないと、僕はマイ サカナオロシキをものすごい勢いで動かしながら思ったのである。