To be continued

単純な日記です。

その時の俺氏

ちょっと前の話になるけど、頓挫してしまった企画のこと、その周辺の人の事をよく思い出す。企画の内容自体はそれ程覚えていなくて、あの時はああいうのがあるものだから、僕も右も左もよくわかっていないし「そういうものだ」と思って一緒になって進めていた。今思い出してみるに、その内容自体がどういうものだったのかとかとか何に繋がっているかみたいなことは正直言ってよくわかっていなくて、あの中にあるなんていうか善の空気に混じって僕もそのようにやっていた。多分皆がそうだったと思う。だから思い出すのは人の事とか、誰がなんて言ったとか、どう返したとかそういう事ばかりである。そこにいたのが色んな人だったけど、大柄で開けっぴろげなAさん。それから、ちょっとアンニュイで批判屋なBさん。他にも色んな人がいたけどAさんが中心になってやっていたっていうことは周知の事実だったし、僕も思い出すに、もうなくなってしまった企画のことでなくて「Aさん今、一体何やってるんだろう」みたいなことである。
僕の感じたのはその中にあるけっこう強めの「独善的空気」みたいのだった。それはひとつの、皆で企画を現実のものとするというハッピーな予感である。それは常にAを取り巻いていて、Aもそれを感じ取っていたためにAが主体となってずっとその企画をもっと進めていた。僕の中にあったのはやはり皆と同じで「そういうものだから慣れていくしかないな」ということで、僕は別にその企画内容自体には疑問なんて感じていなかった。あとで考えてみて、けっこう主体性がないんだなと考えたりも思ったりするし、あとで周りの人からも言われたりするため自分の像というか印象みたいのが、いろいろなんだなと思ったりもするんだけど、実際に一緒になってやっていれば誰でも大抵はそうなるとは思う。僕はそのことに対して大した意見を持ち合わせていない人間のひとりだったのである。僕は、一度か二度ならず、Aに褒められたことがある。普通、人に褒められると、何か少しくらいは嬉しいと感じるものだと思うんだけど、何故かわからないけど僕は、「え?」とそのとき思ったのである。
僕のその時の疑問は、のちのち解消されたりとかも特になく、Aさんと僕の意見が100%で合致することはなかった。あれからずっとどうして、なぜ、僕はずっと疑問しか感じられなかったんだろう、とか、あそこにいるのがAでなくても、企画が同じようなものであれば誰しも同じことをするんだろうか、とか、僕はこのことを、頓挫してしまった企画とともにいま、秋の入り口に立たされながら何度でも思い出すのである。