To be continued(お掃除期間)

単純な日記です。

詩ーーーー潜水艦

深い深い海の底に落ちていく潜水艦。進路も何もかもが分からなくなる。深い海の底は漆黒の紺色のような泥が覆い、いまはそういうこころの内にいる。次第に上下左右が分からなくなり,ああここでは、何もかもが無秩序であるばかりになった。地上はよかった…わたしは思う。地上には差別や諍いがあり、日々悲しいことだらけだったけれど、まだ秩序があった。秩序があれば、感情があった。けれど秩序がないというのは、心を闇の中にあるだけのように見せるから、ただただこれまでの自分を、蝕んでいくだけなのだ…けどわたしの兄はこういうところで生まれたはずだった。だから彼の言葉は,まだ信頼がおけると思う。わたしのからだの方はいつのまにか、とてもとても大きくなってしまっていた。だからいまや、わたしの住んでいる家といえばそこらじゅうの国の公道へつながっていて、何の囲いもなかった。わたしの吐くことばにはまったく無駄が許されなくなった。わたしは囲われている動物のような存在で、皆のために言葉を吐く。そうすると述語や目的語,修飾も無駄な紆余曲折もゆるされずに、主語がないままで動詞だけが流れだしていくようになった。それは、取り留めもなくどこかへ注がれていく川みたいに見える。わたしがどんどん流れだし,けどもうそれを、悲しいとは思わない。わたしは生きる仕組みを失ったまま流れだし、繋がるところもわからないままでさまよう。それがわたしのことばで、わたしのこころはいつまでたってもどこへも行くことが出来ない。心は,そんなふうにしていつの間にか深い深い海の底に沈んで行くみたいになった。
わたしは上下左右も分からなくなり,潜水艦は何がしたいのか,どうあればいいのかも分からなくなった。そこにいてただ、これからはずっと言葉がなんのきっかけもなくうまれてくるのを待つだけになった。

最近はまっている、服あさりについて

こんにちは。Sさん達へ
僕の方に,再三にわたって「どうでもいいから何か言ってほしい」みたいなメールをして来てくれてありがとうございます。僕も最近は、色んなことをやって見ては飽きて辞めてみたりなどあちこちを掘り散らかしてから思ったことには、自分と他人との棲み分けが終了したみたいなことでした。僕は、最近自分が普通の人間と違うってことを理解しました。自分は人間として生まれて来たけど,最早ここでは人間としての権利も義務も持っていない為,他の人の空気を読んだりルールに従う必要がなくなって、自分だけ毎時間特別ルールで自由きままに侵されるみたいな地位にいるんだなというか、だいたいそれが正しいかたちで認知出来て来たと思います。なので、最早僕は誰とも関わらなくても良いどこにいるんだなっていう実感が最近まあまあ強固になって来たと思いました。これが、8年前のことだったりすれば僕もまだぺーぺーだった上に認知もされていなかったので,これに対して悩みのるつぼ状態になってましたが,今は「しょうがない」と一秒くらいで思わせる事ができるようになりました。で、だから昔なら自分から色々選んだり取捨選択したり「やってあげる」みたいな空気を醸し出してやる事など不可能だったんですが、それは時代が変わったせいで、「もしかするとこの人,そういう人なのカナ?」って思ってもらえるまでになりました。僕が、僕だけが、全選択制フィールドに居るみたいなことです。自分はそこにいたるまでのこと(10年弱の期間)をたまに反芻したりしてました。だから自分から匂ってくるようなおかしな行動,気持ち悪い選択に対して最早他人に言い訳したり説明したりすることをしなくなりました。以前だったら,ちょっとへんかも?と思った時点で落ち込んだり,どうにかしなきゃと思ったような事も,これまでの経験を踏まえて「でも、直したところで永遠に良い結果なんて来ない」という事がわかっている為,メメント森みたいな感じでそのままの自分でただ横たわるだけみたいな状況がかなり増えました。
だから今の自分の行動原理とかを突き詰めるともしかすると巷にいる奇人変人•おたく•身なりに構わないおじさんと同じようなとこに来てるのかもしれません。僕は説明もしなければ、ただただアンゼンが脅かされる時だけキモチ悪い程度に反抗していくみたいな奴になったのである…これが、もし普通の婦女子だったとしたら、いつも周りを見回して,申し訳ない(><)💦って未だ感じていたと思います。

どうでも良くなった…そういうことです。

それから、言うと文句にしか聞こえないと思ってましたが普通に、コロナ以後と三人のお産を終えた後なので体調も悪くなってました。

一応,誰が見てもわかりやすいように纏めておきます。
このところの自分のやってきた事で①新聞を読みまくる
というのがあります。これは結局,本格的な「飽き」がきてしまいました。なんでかというと、とにかくニュースというのは古今東西でどんな事が起ころうともだいたい同じような事が取り上げられて行くだけで,けっきょくそれを突き詰めると毎日「マスコミはいまこういうことをフューチャーしたいか」「どういう所属の人数を増やしたいか」ってことにしか見えなくなって来ました。結局ニュースってそうですよね?だから、もう本当にこれに飽きました。どう足掻いても,毎日だいたい同じことをしてて,勝手に変えられていくだけで学びも無い。
YouTubeを見る、本を読む、文を書く
これは,単純に安全よりも危険のフィールドが増え過ぎたので色々を見れなくなりました。僕は安全じゃ無いと感じればそれが知人であっても五秒くらいでさようならできる所にいます。

③ゲームをする
ゲームは、ハマると時間を忘れるくらい楽しいんですが,去年一昨年と桁外れに気持ちが悪い人間と会いすぎて,そこで監禁されるみたいな事件も数多く起こったため関わるより以前にまず拒絶反応が起こってムリ。

④ファッション方面

最近しまむらで安く買えた衣料がよかったせいで「おしゃれする」ということにはまって来ました。自分も今まで文章方面の調和、協和音を探るのに夢中になりつつもなんで自分の着てる服の方にはまったく興味みたいのが向かないんだろうとは思ってました。最近安くて&サイズがちょうど良くて&一発で合格出来たみたいな服がたくさんあり、自分の中のガッチガチな成功体験としてもはや「おしゃれに向かって努力する」という行動が記録されてしまったんだと思います。なので自分はファッション雑誌を買って服をじーっと見るという意味不明な行動も割としがちになってしまいました。

ポケモンGo

ずっと飽きて放置していたポケモンGoを再開して、最近海外セレブと海外ミュージシャン方面に対して「イケる…?!」て思うことが増えました。

ただ、行ったところでどうなるという事ではありません。
でも第一線で活躍されている人ならこの「こんなところにもイケる…?!」みたいなことはたまに思ったりすると思います。これは本当に,「え?!」っていう驚きとしてちょっとだけいま、掘って見たら5秒後どういう世界が見てるのか知りたいという事なんだと思います。正直、それがナンだと言うことでもないですが「わたしが?!」そういう閃きみたいな感じです。
飼えるとは思った事はありません。

⑥リターンがないじゃないか!
「これははっきり言って遊ばれてる」と思った時点で五秒でさようならできる所に僕は居ます。

と言いつつも,自分もこれからのことを考え無いことはない。今日、チョコレート菓子を作っていて思ったが,なんでこんなアジアの辺鄙なところにいて,生えてもいないカカオを煎じ詰めた結晶の部分に、生えてもいないサトウキビを煎じ詰めた結晶みたいなものを混ぜるみたいなごくごく贅沢で意味不明なことばっかりやってるんだろうと思いました。それは、はっきり言って必要あるかないかと聞かれたら,病死寸前でも無い限り,北海道産の小豆を煮て食べてた方が理にかなっていると思います。自分はもう、死」みたいなのをゴリゴリに自覚しながら生きている時のことを強固に身に染みて思っている為,だから人は「死に方」も考えて良いと思いました。死に方をまず考えていけば,どう生きるか,10年後〜5年後〜絶対にしておきたいこと〜日々やっておきたいことみたいな事は算出されてくると思います。思うに,これは歴史やルーツについて調べて来た影響かもしれないけどだいたいこういうフィールドで育って来た僕が、大体この辺までのフィールドで一日こういうことをして,いつか死ぬベースでメメント森みたいにやっていくっていうなんとなくなイメージであります。自分の場合,なるべく低燃費で、言葉を発しないで,問題も作らないで生きていくのが正解な気がしました。で、10年後になれば今よりももっとヨボヨボになってることが目に見えてるため、はっきり言っておきますがこれからばりばりにやっていくみたいなイメージはあんまりありません。だいたいはいるかいないか分からないみたいな存在になるくらいが丁度いいと思いました。だから、身の回りの人が元気にワイワイしてるみたいな状態で、かつ、自然物の方からたまに湧いて来た分だけ書いてくのが良いんじゃないかと思います。で、自分も考えたが、この身の回りにいる人=良い人の方がいいという根本にある考えだけど,それが自分と自分の身の回りのだいたい同じ人で同じ未来を思っている共同体みたいなのを一体どうやって決めてくんだろうみたいなことはたまに考える。

ありがとうバイバイ(日記)

皆のするカモフラージュに酔っ払えないから僕は月に生まれ変わりたい





馬に跨るナポレオンを見ていて絵には無駄がないと思うひと時





動植物もカモフラージュするんだが脳味噌が肥大化するのが寂しい




肥大化して、生まれ変わって、月よりお前のほうが怖いよ実際




ロシアの寂しさを見つけるYouTubeと日本からヨーロッパを知ろうとする事





共感の回路が繋がるように努力する努力型人間のオンナノコがいる




チョコレート,お酒とスナックじゃ無くてマッコリ,キムチチゲ、黒糖かりんとう




お父さんじゃ無くゴミゴジラバイバイ
親戚でも知り合いでもない五月蠅いババアバイバイ
しんとしたふりして僕を食うアザといねーちゃんバイバイ
おさるみたいにおしり黄色いがきんちょばいばい

みんなバイバイ
ありがとうキムチチゲ 
ありがとうお母さんサムギョプサル地球ありがとう






こんばんは。この間,仕事のS君たちと遊んだとき、何をしたのか具体的な事を覚えていないんだけど,その時「高校の夏休みみたいで楽しい」って思いました。が、僕は、楽しいって発したらそれが次の日から反転してしまうんじゃないかと思ってその時間が過ぎ去るのを待ってました。それで、そういう「とりあえずスルーする」という事が最近増え,何も喋らなくなりつつたまに喋ると,呂律が回らないみたいになって居ました。小説も書こうと思ったりしたんですが実際,数多くの「ヌマ」を経験して来た後で、その膨大な一日〜三日単位ではまってしまう沼を恐れている自分がいて、たしかに去年とかよりは調子がいいんだけど本当に,小説はいつも偶然書けてるんだなとつくづく考えてました。

須賀さんへ。昔のアメトークおすすめなので暇なときに見てください

Sさんたちへ

昨日は,皆でわざわざ場を用意してもらって、僕に対して面白いことをたくさんしてきてくれているのに何の理由もなく、どうでもいいモードになってしまっていて申し訳ありませんでした。自分が考えてたのはこのところの,多分皆と同じように「一個のリンゴを七等分するにあたって生まれる不協和音」「そもそも、りんごはほんとにおいしいのか」「そんなことやる必要があるか」と言うことで,それ以外は皆と同じで大丈夫でした。
それで、考えるにあたって自分は、文学って一体何なのかと思っていたけど結局これは、一つのシンボルなんだと思いました。なので、皆当たり前に毎日仕事に従事してまじめに足場を築いていく傍らで,全く関係ないアンダーグラウンドな領域にあるシンボルとしてそれがあります。例えばそれは仮想通貨みたいなもので,だいたい、持ってなくてもいい。けど持っていないよりも持っていた方が良いととりあえず全員言うみたいな案件なんだと思います。
で、話は変わるけどそれと別次元で考えてたのがそういえばもっと,仕事した方が良いかもなという漠然とした意欲みたいなものだった。でもここで生まれるのが「そもそも仕事って一体なに?」みたいなことで,前の人たちみたいにやたらと問題のない部分をわちゃわちゃテーマもなく引っ掻き回していても、あとに荒野が生まれるだけでケツが拭けてないみたいな事件にもなってくるので,というか自分は一応で考えてみました。
Aと他の物事を結び付けまくる
まずはこれです。Aという案件がある時,全く別のフィールドの歴史、人を連れてきてそれをとにかく結び付けまくることで、これを畑を耕す感覚でやります。それが自分は昨日,おまえそれは,全く今関係ないことなんじゃない?と言われそうな絵画のことを一人でずっと話していた理由。

まとめる
振り返り,まとめは大事ですが,これを感覚で&決まりきったメンバーであまり考慮せずやってると前の人たちみたいに「うちわで固まっててとにかくつまんない」って事になります。なのでうまいまとめをしてくれる人をキープしておきます。

疑問提起
書くことがなくなったので入れてみました
疑問提起というか、「自分が燃えやすい案件」にならないよう注意する。Aさんのようにおまえそれ、とにかく好きやな!ってなったら終了。

大御所
こんな人が…?これはここでしか、見れない!
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普通の人をいっぱい入れる
とにかく前回の案件でよくなかったのが上の人たちで固まりまくってた、それが普通の人から見たら案外面白くなかったと言うところだったので,普通の人を常時入れてみる。それで、当たり前の感覚を培う。




以上です。

あとは、とにかくこの定期的に訪れる「なにもかもどうでも良いモード」について自分は考えてみましたが理由があって、それはどれだけやろうとも、全く関係ない明日が訪れるということ、逆に言えばどれだけやらなくとも、全く関係ない明日がいつも現れてくることにあると思います。「だったら、何もかも関係なくね?」と思い始めたことがあります。だから自分が非常にやる気が失せまくることとして、例えば自分が頑張ってAさんと話したとする。そうしたら明日,ちょっとだけ仲良くなったAさんが現れるものだと普通は思うのに,それ以降一週間くらいAさんが休暇に入ってくることでその後で全く知らないAさんが出てくるみたいな感覚に対して「だったら自分がいなくても関係なくね?」と思えてきたからです。だから自分は隣にいる人が吠えまくって居たとしても、自分がやりたいときにやる。やらないときにはやらない。自分のホルモンも感情も天気がふって湧いてくるように何の根拠もなく訪れる。だったら別に今、とくに楽しくも腹たっても居ないし常時瞑想状態になってるみたいな時にも返しをしようがしなかろうが、誰に言われてない畑を耕そうがそれは何もかも関連性がないじゃんって自分は思いました。
この事に関して、何か違うと思ったら良い方の返事で返信ください。



ーまとめー

ただ流石に多くの名だたる方からのフォローを受けまくっていて感じたのは「さすがに、時代がまるきり変わって世代交代したんだな」と思いました。自分が良いなと思ったのはこの部分。いままで、どれだけの酷い給与体系があったとかクソミソみたいな話をずっとしていたけど流石に、実際のわたしの環境の方がほんとうに変わって来ています。クソおじさんは成敗されないみたいな話も聞いていて,「やっぱりな」とは思ったけど,別に,その人が自分ちの玄関をくぐって来ない限りどう生きていようがはっきり言ってどうでもいい次元の話だなと思いました。
自分はどうしても好みとして心理,生物系、歴史の話が好きなので多分お互い堀りたい部分は違うと思います。それから自分は一時ロシア,ヨーロッパ方面を色々見ていましたがそれは、地政学で勉強して興味が湧いたところだったから(ゴルバチョフ大統領の政策、スパイ関連)という理由で、いまインドが気になっているのは宗教というか発祥が日本と似ているかもしれないと言うところ、それから図書館でたまたまたくさんあるヨーロッパ関連の本を手に取ろうと考えてて、「ここもう、散々読んだよね?」と何か思ったからです。何故それを歴史の根本のように自分は読んでいたんだろう…?もちろん学びも沢山ありますが。知らない部分を常に読んだ方が良いんじゃないかな?て思いました。これは単なる自分の趣味で、知らないところを知ろうとしてみたら意外とそこから詩が生まれてきたりもするし、仕事と全く関係がない訳じゃないので良いと思います。須賀君も暇な時があればそれでいろんな方面のポケモンを集めてみて下さい。



終わり

僕の、わたしのやり返され期間

こんにちは。正直いって、これはお前がいうな感が強いかと思いましたが、のちのちのためにまとめておこうと思いました。

世の中には人から好かれる人、嫌われる人がいる」と多くの人は思っていると思います。が、わたしは◯年間生きてきて人と人というのは大してそれほどの資質の差はないと感じるようになりました。好きな人、それから嫌いな人…それって、はっきりいって個人的な好みですよね。だから、必ずしも嫌いな事をされ続けてもそうで無い可能性が何故かしら見えて来る時もあれば、好きにならなければならない相手でもどうしても好きになる理由がみつからないみたいな場合もあって、そういうとき自分が世間一般と当てはまらないため割合苦しみを感じてしまったりすることがあります。ですが経験上一度仲良くなれば相手が世間的に良い人であっても悪い人であっても、自分にはその問題がそれ程関係がなかったりします。こういうケースはわりと沢山ありますね。じゃあ、悪人ってどういうものなんだ?or善人って単純に自分によって都合がいいってことだけなの?みたいな。五月蝿い人間ってそういう部分をわりと突っ込んでくるので「おまえは自分にとって都合のいい人間を選んでるだけだ」みたいに言ってきて余計な事に頭を悩ませなければならなくなります。で、思うに、この間読んだ自己啓発本にも多分書いてあったんですがひとが嫌われる過程ていうのはスペックやお行儀の良し悪しにかかわらず、単純にソイツが顔を合わせるたびに余計な事ばっかしてくるってことなんだなと思いました。

これは、空気を読まないとか、趣味が異常だとかいうことじゃありません。あるメッセージ性をもって、自分に問いかけや強制、親切みたいな余計なことをして来るということです。

とにかく人と自分との区別がついておらず、自分内にかっこたる「わたしたちにとってのより良い世界」がある。そのせいで、他人が今やっていること、これからやりたいことに対して想像力も及ばずに、繰り返し「こうした方がいい」「こうしないほうがいい」というメッセージを送らずにはいられない人。こう言う人。それで、逆に言えば、もし趣味が鼻くその化石を集めまくることだったりしても、対面している時にこちらのことを肯定しかしてこないとか、良い協力をしてくれるんだったとしたらそれは善良な人間と見做しているんだと思います。ある一定の領域をお互いに認め合って、お互いの変な趣味は常に守られている、ていう常識。これがないのが余計なことをする事でなぜか自分だけいい人になろうとして来る人間です。これが、わたしが言いたかったことです。こういうのがスペックに関わらず嫌われる理由だと思います。かっこたる侵害をいろんな言葉によって置き換えて、常に正当性のある自分好みの未来しかみえておらず、それによって起きた損害に対しては常時で蓋を出来る…みたいなこと。

ゴキブリが嫌われるのは姿形がキショイからではなく、かっこたる攻撃を仕掛けて来るからなんだと思います。だいたいのフォルムが似ているカブトムシも、わたしは気持ちが悪いと思ったりしますがカブトムシは、水槽の中に入れられたらそれ以後そこに居ようとするくらいにおとなしいです。いきなりこっちを、びっくりさせたりもしないところが可愛がられている所以だと思います。でもゴキブリや、水草にくっついている訳の分からない原生生物みたいのは水槽を這いまくりお掃除しようとする人間の手に絡みついて、そのまま世界の穴という穴に入りまくって増えていくみたいなイメージがあります。

だから結局、いい人が気持ち悪く見えて来るという理由になって来てます。

なのでこの場合、良い人悪い人根性がまがってるなど関係がなく余計な事をして来るというだけで、それは「嫌い」って事になってて良いと思います。だからいくら勧められてもわたしがネバ山ネバ子さんのことが好きになれない理由もそれで、それは彼女がわたし達がまったく知り合いじゃない時点から勝手に、「姉」みたいな立ち位置を得て周りにいろんな有る事無い事を吹聴しまくるみたいな余計なことをしてるようにどうしても見えていたからです。わたし、そういうの本当に嫌なんですが、そのことを親切なベールで言いくるめられると何も言えなくなってしまいますよね。そういう全てが嫌なんですが、ジャイアンの親切心ていうのはもっともっとデカい声だったりするので、こっちは常に消耗するのみ。

で、自分の経験があるのはずうっとくっついて来る人がずっと「自分はいい事をしてやっている」「それなのに何故、感謝されないのかわからない」と思っていることでした。本当に本音をいえば、全く何もしてこられなくて大丈夫です。
これも自己啓発本であったんだと思いますが周りの人と折り合うときにどれだけ余計な事をしないでいられるか」っていうのもある意味で大事なんだなと思いました。「しない」という選択っていうやつです。

話は全く変わりますが、この「何もしない」っていう選択はこれからも必要になって来ると思います。例えば今、富を得た人となんのズルもしなかった故に得てない人の差が明確になりつつあるとき、これからどう生きたいのか、どう生きれば正解だったのか?という最終的に行き着く先のビジョンが優勢者には全く何もなかったんだというのがダメな部分だったんだと思います。否定系をもって自己を確立したあとで、否定で利益を得るのみで最後まで一体何をしたのかもわからない。最後、◯転換しておわり…って一体ナニ?それで持って経済活動の方に人格を合わせてゆくのが常で、三人ともいうことにはもっともっと、増やしたい、儲けたい…そうなっていくのが悪だったんだとしたら、私たちはいま、家庭が大事なんだと気づいたんだと思います。家庭、それから半径十メートル以内にいる親戚、友人、それが充足されて、皆が幸せっていうのが、これ程トラブルがあり、価値が暴落したあとでもひとつ欲しかったと言えるビジョンなんだと思いました。人が築ける土台、それから消費するエネルギー、本当は限られていて、もっともっと減らしてもいいって何故か言わない。「要らない」って言わないで、危ないだけの賭けに乗る。わたしは、もらわなくてもいいと思いました。自分が通って来た道を否定することは本当は出来ません。けど良くない未来は生まれさえも変えてずっと続けていくという意志であったように見えました。それからもちろん家族のなかが保たれていれば、もっと半径を広げてもっともっと皆が幸せになるといいと考えられるようになるって思います。そうなった上でのこれからの選択で「これにイエスを言わない」「これを買わない」「他人に対して強制力が働くような余計なことを常々積極的にしておいてカンケーないみたいな顔でゲハゲハ笑わない」ていう選択はもっとあってもいいんじゃないかと思いました。CMや政治家、マインドコントロールを続けた上での末路をもう、散々見てきた後でそう感じていました。



やり返しについて思ったこと

で、話は変わりますが、やり返しについて思うところを書いてみます。人が何かされたら必ずやり返したくなる、効果なんてないとわかっていても必ず一歩前に出て何か言わないと気が済まない、どうしてそんな無駄なことをやるのか…自分はこれが何故かと考えて、単純に恥ずかしいと思うからかと思います。恥の気持ちを感じたく無いが故に相手にやり返すことでそれを精算します。そうすることで何か具体的に思想を強化したりすることなんてできず、ただ同じようなことを他人の領域でやってやったと言うだけなんですが、とにかく攻撃的になることで人っていうのはいろんなことを忘れ去る事ができる生き物です。

なのでこれは年齢が上がって自信がついて来るほどにやり返しをしなくても済むようになるんじゃないかとわたしは、あるときに思いました。それはだいたい人から言ってこられることが相手の調子とか、「今までに起こった数あることのひとつ」て類推しやすくなるからだと思います。

で、誰彼に対してもやり返しが終わらない人を見てみれば単純に人生が炎上しているみたいな場合もありますね。そういう人はほんとに、「自分がなんだか分からなくなりつつある最中」にあるんだと思います。本来だったら扉を全て閉めて、自分の心の従う方向の人間関係や仕事をきちんとこなしていかなければならない時期ですが、炎上しまくると炎上に人格を乗っ取られるのか、めちゃくちゃにハゲ散らかしていてもとりあえず、その時点で言い返せば安心みたいなフィールドに入って来るようです。なので、これから、やり返しや言い返したくなったときにはやり返したいマインド=炎上に足を踏み入れることなんだなって考えるのもよいかもしれません。手負の熊からは何も得ることが出来ず、百万人からメッチャ笑われていると言うことに早く気づいたほうがとくなんだと、気たいた方が結局は相手に勝つためにも効率的です。

わたしの場合も、自信があるっていうわけではないですが、殆どの場合やり返しをしなくなりました。なんでかというと、相手に恥をかかせまくったイコール勝ちではなくて、のち数ヶ月のうちにだいたい逆効果だったと分かるというのことがわかって来ました。やり返して、その場ではスッキリするかもしれませんが、相手はだいたいその瞬間に「やり返しのやり返し」みたいのを考えてるからです。わたしも思いましたが、コイツ、ぶっ殺してやると言うくらい明らかに記名式で相手を恨ませる事ができる…これはもう、はじめからあなたの負けです。100%やり返されます。わたしは、それでやり返そうという誓いを忘れないようになりました。

で、こういう双方が発端さえも忘れ去っているような感情論のみのくだらない喧嘩、これはどっちかが大人にならない限り、えんえんと続きます。これは真実です。もし、あいつの顔も見たくもないとか、もう二度とこんな喧嘩したくないと思うんなら自分の幸せがなんたるかを考えて、ものすごくハッピーだと言うことを公然とやり続けた方が良いです。相手が自分以外の誰かにめちゃくちゃ興味を抱き、なおかつ愛を注ぎまくっている…

こんなふうに「自分達の炎上に興味がない状態のα」という事実だけで一億くらいの持続ダメージを確実に与えられることになります。

ついでに自分が、なんでやり返しをする意味がないのかをまとめてみました!

①相手には「やってやった」という意識すらない

大体はこうです。まず、知り合いでもないし知らないフィールドの誰かに放ったものを相手は覚えてすらいない。だから相手をあなたが反省させることなど出来ません。そもそも相手の反省に繋がらないことをあなたが、ターンをつかって何かをすることが=ゼロ、もしくはマイナスという事になるんだったら黙って、何事もなかった顔をしていた方がいいです。こういう時にまず双方が知り合いになるて言うことに目を向けてみるのもいいかもしれません。その後で「あの時実は…」と言ってみる。

で、おもむろに次はやり返しをした方がいい場合です。

世の中にはやり返しをしなければならない場合も割にたくさんあり、何故かというと損害が出ているため&被害が永続的に続く可能性みたいのがあります。

①個人的に名指しで批判されている

これは相手は意識的に悪意をもってやってきています。が、これもやり返そうというんではなくあくまでチャンスだと捉えましょう。つまり相手が社会における赤ちゃん相手だったとしても懇切丁寧に教えてあげれば「わかった」てなる場合もありますね。

あとは個人的な場合ですが悪口って、はたからみてるとだいたい「一理あるな」みたいな事も多いんですよね。そういうのに否定の言葉を返すと「恥ずかしいんだな」と見破られるみたいなことがあります。ガッチリガチガチで返しておきたいのはこう言う時かもしれません。こういうときは、野球の試合が今から始まったんだと考えて返す言葉をいっぱい集めてみたりいきなり芸を披露してみたりするのもいいかましれませんね。こういう「まったく知らん人の言って来る悪口、だいたい合ってる可能性」みたいのは普段から自己反省的に生きてこないとなかなか理解できない部分じゃないでしょうか?そういうのは賢人の如くスルーして、優位に立った途端にぶちのめすみたいのも一理あるかもしれません。

自分は思ったんですが、こういうとき思うのが「だったらお前は何が出来る人間なんだ」という問いが常に社会人の場合、浮かんでくるんじゃないかていうことです。ネットニュースを見ていていろんな所属に対する疑問定期や悪評が見えて来ますよね。それに対してワアワア言っていて、そうしたら次の日自分の方にその倍くらいの矛先が向いて来ていた…これははっきり言ってよくあることです。悪口を言うことで目立ったんだから当たり前のやり返しなんですが、こう言う時じゃあお前は、一体何が出来るの?って周りから思われているんだと感じませんか?いや、何も出来ませんって思うんだったら、じゃあ初めから何も言うなよってそのときになりますよね。けどこつこつ仕事に従事して来た大人がやったことに対してやった分だけ怒り狂うんだったらそれは正当性ってことにはなりませんか。これからプライドを持って生きることを考えれば、日本人はもっとやって来たことにプライドと誇りを持っていてもいいんじゃないかと何か思いました。日本人って本当に自己主張イコール恥だと思うと言うか、だからネバやまさんみたいのが根本的に嫌いみたいな、だから一歩下がればみんなが素直で皆が善だと信じてるみたいなところあるじゃないですか。
日本のおじさんとか強い人が怒って欲しいですよね。昔栄えていた文化って本当に良きものだったと思いますが…

次に②集団で同じことを繰り返しやって来るです。

こちらは、集団なので被害が大きく、また長期間続く可能性がありますね。わたしは常々、人間は論理で出来ておらず、本能でこねくりまわして作った塊だと信じているので、こういうのは公権力や偉い人に頼って欲しいと思います。小さい人、女性、文句を言えない人を攻撃し続けて来る理由なんて優越以外にありません。いやな癖を拗らせてるだけの相手です。

何か出来なくてもせめて「これは悪いことなんだ」という認識は持たせてあげたいですね。

割とこう言うのは被害もデカくて実質損してる、訴えてもいいみたいな要件も隠れてることがおおいのでは。相手も無感覚ですし、わたしも、思い出すだけでヘラヘラしているヒカキンみたいなファッションに対して腹が立ってきます。

③本当にどうしようもない人間

相手がクズだったってこともあります。これは、返さないと相手の快楽の標的にされます。

「いじめたい」って人間の本能であるんですよね。特にゲーム、勝ち続けているなかに置かれると面白半分でイタ電とか悪戯とかして来たりこれは、よくある事です。もちろん仲間でやっているため反省などありませんね。こういうのがヤンマガみたいなのでもあるファッションとしてなんか栄えてんなーって思いませんか?クズヤンキーみたいなのがブームなんですかね。言っときますがそれは、何もやってないし格好良くもないですよ。中高生の時点でそういうのを終えてこなかっていうイタさがまじ恐怖でしかありません。関わりたくなし…

ただそれがマスコミとか本とかで流布されてきてる自分にとっていじめてもいい相手っていう部類に入ってきてるだけでやってきたりすることも多いので。これは、相手が判断力のない人間と見做してあまり深入りしないようにしましょう。とっても危険ですし、あなたは悪くないですし、そいつらが勝手に自ら痛い目にあってくれるのを願っています。

やり返す→これはそのタイミングできっぱり告げるのが大事だなって経験で思って来ました。わたしは見た目がちっちゃくて話し下手だからか、よくからかいの対象になるんですよね。それに、嫌だなって思ってもすぐ感情的になるより「こうあるべき」みたいな話をして結局聞く耳を持たれなかったりするんですが、思うに、論理的に批判するより「もー、ヤダ!」「あー、しつこいな!」って嫌そうに吠えるほうが効くんだなって思いました。そういう本能的な叫びっていうか、正当性いっぱいになってる「あー!!💢」ってほんとイヤみたいですね。そもそも、甲が明らかに嫌な性格だった場合には人は嫌がらせしてこないです。ある意味、つけ込めるような隙とかがあるから来るんですよね。「わたしも悪いのかな?」て思う人に来るんです。「いかなるときもわたしは悪くねーぞ!」みたいなめんどい人間にはいくらイタいとこがあったとて来ないですね。

自分のやられた細かいとこは忘れるようにして、メリットだけを取るつもりで半分は我慢する…てことです。実質、がまんがまんの連続ですね。わたしはそれ以後、魚拓みたいのが取れたらそれだけでヤッターって思うようになりました。今日はいっぱい取れたーみたいな。それから、だいたいは事実ってその時の気分や他人の意見でねじ曲がってきて、長引くほどややこしくなるんだなあと思います。「よし、じゃあここで手打ちにしましょう。もう全てやめて、原点回帰して何が悪かったのか考えなおしましょうか?」って言われるともやっとしますよね。もうその時点で感情の虜になってるんだなってまず自分だけでも気づいておき、相手とそうなってるんだな、だから、今の時点で表にでたらダメだよなって思えれば、非合法ではなく正当な人生としてのやり返しに通ずる第一歩だと思います。なのでまた、喋る人一人増えたなって毎日なるような際限知らずの復習心のカタマリみたいな相手の場合はもう、ある程度やって「黙って耐える性分じゃないぞ」というのが伝われば逃げてしまってオッケーだと思います。

相手の気持ちよさにこれ以上付き合うつもりはないぞということです。

以上ですが、人は、悪いことの後でいいことがあるって思いますよね。でも、それは嘘です。そんなループにはなっておらず、自分の「やったこと」がそのままいろんな形で返ってくるのが人生で、またそのリアクション先も想像がつかないほど無限の人間がいるんだなって感じます。いいことがある…それはたまたまだし、悪いことがある…それもたまたまなんだなって。

だからこそ感謝も必要なんだなと思います。




追記】わたしの思うに人の間違えてる状態っていうのはなかなかないと思いますが「わたしはこれだけやったから凄くて、偉くて、皆から感謝されるターンに入った」という状態はいかなるときにも間違えていると思います。わたしは言いたいですが好きな人、尊敬してる人は膨大に居ても「偉い人間」というのはこの世に存在しません。毎日日常に従事して、価値のないものを模索するのが人生だと思います。だからわたしも知り合いの人にのみ言いたいのですが、自分の行動が感謝を受ける側の体制に入ってる行脚みたいになってきたら(例…頼まれてもいないのに感想を言いまくる、他人の役に立たないことをしてるだけなのに文句を言われたら5秒で腹が立つようになる、一言で言ってイズイコール飲み会だみたいなことしかしてない)クリエイトを自負する身分としてはかなり要注意だと思った方がいいです。







ーまとめー

世間一般的に「嫌われやすい人=誰が見てもバカ」「好かれる人=誰が見てもお行儀がいい」と言われがちですが嫌がらせしてくる人やしつこい相手って世間様に対しては自分のいいとこをアピールするのに長けてて、嫌い、むかついたって理由だけで何かやって来たりしませんか?だからなぜあなたがあの人のことを嫌っているかわからないと言われて苦しくなってるとき、そういうオブラートに包まれたジャイアンに対しては常に自分主体で考えてみると分かりやすいかなって思いまとめてみました。

何度も付け足しましたがこれで以上です。これからは、僕のことも飲み会誘って下さい。

自分たちがこれから改善していくべき食生活について、やりたいことだらけの部分を掘っていくとけっきょく、やってること全部同じことだったみたいなことも起こりうるのでまとめて書いてみました。

①一日三十品目摂る
職場では一日二品目でも良いと言う人も居るけど、それだとちょっとの段差でも毎回結果が骨折だったみたいな事故になりがちなのでこれからはなるべく肉以外の野菜、大豆製品など含めた一日なるべく三十品目を目標に摂るようにして行きます。

②お菓子を作ってみる
この間、蓮根チップスという蓮根をただ揚げただけみたいなお菓子がネットを検索している時に出てきた。それを見て、自分は、お菓子とは…と考えていたが、お菓子とは、嗜好品です。蓮根チップスも、蓮根で煮物を作ればたくさん野菜が取れるのにこういうことをわざわざ買う人がいるのは、たまに揚げたやつを食べて、ジュースとか飲んだりする時間が欲しいと思うからだと思う。人が新聞を読んだ後に少しテレビも見たくなったりするみたいに、やらなきゃならないんではなくて、やった方が捗るっていう部分にあります。だから、3食ちゃんと食べて居たら大人の場合あまりお菓子は食べたいと思わない。それなのに買い出しに行く時、ちょっとお土産を買ったりする時、お菓子っていう時間は必ず訪れる義務としてあるんだけど、そういう時自分は心ここにあらずなのに選ばされていたりするためそれを「かったるい」と考えていたりする。たまに。それは本来なら無くても良い部分を当たり前と思わされてやっていて、それは対価もないのにお菓子っていう時間があるからでしかなく、そんなふうに本能とはちがう物事に自分の体がもってかれてる感じがあるからだと思った。
僕は、大人はべつにお菓子なんて食べなくていいと思った。それでも文化がそれを許さない面があるのだとしたら、生活のなかでもともとある食材からお菓子を作って当番制でやっていった方が良い。

③出来上がりを考えて買い物に行く

買い物に行く時、いつもなら安いもの、もとが取れるものっていう視点で買ってしまうせいであとで蓋を開けてみるとただ無秩序の山を作っていただけみたいなことがあります。そういうのはただ端から腐っていくのを一人で見守るだけみたいなことになってしまうためこれからは、素材で集めるのを辞めてみて、あらかじめ完成系を念頭に置いて買ってみればいいのじゃないかと思いました。
これは、イライラしたり生活が破綻していたりするとなかなか出来ない事です。今ではなくたった三日後の困ってる自分を思い浮かべてみるだけで変わってくると思います。困ってる自分を置いてみる事で、その穴を通り抜けて困っていない自分の生活感を取り戻すのです。
イメージでは
●肉ー野菜ー他予備軍隊(ソース、冷凍豆など)

これが私たちの体を作っている大まかな栄養素です。それに加えて弁図みたいにもっとフォルダ分けが出来ると思いました。文化の面でそれをやってゆきます。そうすれば毎日の夕食はだいたい

●主菜ー副菜ーみそ汁

これが最も必要不可欠な枠組みになります。

こんなふうに献立の方から逆に組み立てて行けば予算よりもイモが30円くらいはみ出て居ても他の部分で帳尻を合わせるべきだって言うことが既にわかっているため、それを許容することができるようになります。
こんなふうに安い人参のお得感とかに惑わされることなく最初から主菜、副菜という目で見ていきます。スーパーでウロウロしているときもそういう、現生でなく未来の姿として眺めてみれば、単なる意味不明だったものも自分にとっての仲間=イイもんとワルいもんみたいにばっさばっさと取捨選択していくことが出来るようになります。
とりあえず僕が言いたいのは、体調が悪かろうが良かろうが、どう足掻いても一週間は7日必ずあって、自分はその中でガコガコ足をぶつけながら有限に泳がされてるだけって事がもう予め死ぬほど確定しているため、その中にある通過地点を予め用意しておくために逆算して考えてゆき、意味不明だった素材を自分にとってだけ有意義な形にガチガチに固めていくという作戦になります。
その中で必ず必要になってくるのが主菜だと思うので、それを出来上がった完成系の方から選んで行くことにしたのです

例】
→例えばただ、デカいだけで意味不明度数120パーセントだった豚肩肉かたまりは予め土井さんなどのレシピで学んできた茹で豚という料理にする可能性も考慮して買って来ました。こんなふうに買ってこればあと必要になってくるのは引き算で考えていいんです。だから、◯ー X=使い勝手のいい野菜になります。ここで Xは、カサが取れないインゲンみたいな意味不明30パーの風みたいな野菜で無くて、すぐメインを貼れるニラとか、カサしかない白菜とかにしなければならないんだということになります。
こうやって公式を予め用意することで、スーパーで彷徨っている時に掴む藁軍みたいな豚細切れ肉とか、ダシが出てくる優秀な牛肉の薄切り肉ばっかりで冷凍庫が埋め尽くされるみたいな事もなくなると思います。

④コロナ禍でどうコミュニケーションしていくか

コロナ禍で、何故人が人同士でコミュニケーションしないと生きていかれないかたびたび考えてました。自分も活字と書く事くらいで生きて行けるかなと思ったりはしていたけど、やっぱりストレス発散もしたいこともできないまま切り取ったみたいな個人ていうのを意識させられながらいるとき、ふつうに家族に会いたくもなるし、親しい友人、恋人とも連絡を取ったりしたくなるものだと改めて感じていました。
だからわざわざ強烈に愛されたいと言い始める以前にそもそも、基本的欲求として人と会ってたい、話したいていうのが全体的に満たされなくなってしまいました。だからこそいま、コミュニケーションというのが見えて来てたんだと思います。僕自身も、たった一人で急激に誰かの役に立ちたくなったり、そうでなくなったりを繰り返す…それを繰り返していました。それで、この間それを見ていた付き合っている人から「そういうの、なるべくやめない?」と言われて、確かに自分もそれをされたら嫌だろうなと思いました。理由を考えましたが、多分それは、そこに若い異性がいるからだと思った。それで自分は、自分もされたら許せないだろうなと考えていえ、そう考えているうち、嫉妬というのは何故か自分も含めて悪いと思わされる悪感情なんだと感じました。それで、そもそも嫉妬心ってなんなのかを考えてましたが、これはもとからあったものが盗られてると感じるからです。だから自分も、もし相手が自分以外の若い異性のことを思いやってたり優しくしたりしていたとしたら、世の中の不条理の全体が襲いかかって来たみたいに腹が立つだろうと思い、特に相手が普通に困っていたり、性格がいい相手でもズルい奴と見做してしまうかも知れないと思いました。
自分は大抵は、こういう男女間のプラスアルファー的なやり取り自体に耐えられない方が多いです。例えば異性や上司のようなまるきり自分と立場上に違うところにいる人との駆け引き、嫉妬の土俵を持ち出されて評価されそうになるたびに、それでどうこう動くよりも縁を切って来ました。それから、嫉妬心すら起きないこともありました。大抵は枯れ果てていたか、他のもので済ませられるものに嫉妬はしないのに相手は才能や容姿とか性欲みたいなものを天秤に乗っけてたからだと思います。なので、それについて考えてみて自分の場合「優しくする」て言う姿に耐えられなくなるだろうなと思います。

⑤嘘か、本当か
嘘が本当かみたいな話を未だにされる事がありますが、一応言葉を使って話しているのでそれはつねに嘘も含まれていると思ってます。けどあの人達みたいにそれを毎日毎日、自分のためだけに嘘か、本当かみたいなことだけで他人を問い詰めるようなことをしていたら、それは始めはほんとうだった可能性もあったのに、そうじゃない領域は確実に増え続けていくと思います。嘘か本当なのかで言ったら、言葉として体から切り離して言った時点で全部嘘になりえる可能性はあるんです。そのなかで嘘でないのは今、ここにいる自分だけです。その自分自身と会う機会がいくらでもありこれから選択できるっていう余地は沢山残されていたのに、その部分との交渉の余地を「嘘か、本当か」みたいなくだらない質問で毎回なくして行っているのがあなたでした。そういうあなたの手には、たしかに今どう話しかけてあげたとしてももう真実など少しもないんだろうと僕はおもいます。だからけっきょく、嘘も本当もそこにははじめから無かったんです。けどぼく達で居る間、それはいくらでも作っていけるものとして初めはありました。そこに来た大勢の言葉っていう道具の使い方もわかっていないような人たちが遊び半分で言葉をばかばか使い尽くしていったおかげで、なぜか自分たちの手元だけには何も残らなかったと言うバカみたいな話がそこにあるだけです。嘘も本当も確実に100%に満たせるくらい我々の間にはあったと思います。何人もがそれを見ています。そうですよね?あなたは思い出話みたいにそれを言うし、僕もたまに思い出すかも知れないけど、でももう本当に何もありません。でもあなたはバカなので、未だ持ってバカで居たいので、他人も道具の性質もわかろうとせずにそれらの働きを飲み込まずに他人のせいにし続けています。ずっとたった一人が焼き畑に狂ってるみたいに見えています。僕の手元に残ってるのは真実などではなく、予めあった赤ん坊が死に絶えた後の、もとからある人間の性質だけです。

愛すべきぽんちゃんの事

仕事でいろんな変化があったりしながら最近になってやっと創作の方に目が向いてきました。仕事では誰かさんの排斥運動や、配置転換(架空)があったりしてあらたな出来事も増えてきています。そんなふうに過ごしていて自分もあちこちにお礼を言いたくなったりして来ていたんだけど、このあいだふと、ここに至るまでの経緯を思い返していたのだけど、そもそも混乱を引き起こした発端っていうのがいまじゃいろんな人が絡みつきすぎてて分かりにくくはなっているのだけど、自分はそこでそもそもNくんがあまりにもしっかりしていなかったというのがあったということを思い出していた。
Nくんについて語られることは殆どないといってもいい。Nは若干強制的に入り込んできた社員でそのときだれもが有無を言わさずそうなっていかなければならないという雰囲気の世界があった。Nは、その中であたたかく迎え入れられて特に理由もなく過保護に育てられた人だった。
考えるにNさんていうのは物事の価値判断基準がどっかおかしいみたいなところがあったと思う。だから当時Nさんが自分の上に立つという期間があって、おどろくべきことに自分が、Nから教育を受けたりするみたいなこともあったんだけど、Nが入ってきてからいうことは僕のこととか今までの仕事のこととかお互いのことじゃなくそれはほぼで「自分のアイデンティティ」についてだったりし、そっから先に向いて行かせる方向っていうのが、これまでの流れを意識したものでもなく、とくに創造性みたいのがあるわけでもなく、ほんとにただ「受け入れてもらいたいくん」みたいな感じで来てしまっていたから、会議室をわざわざ使って話していることも何かちょっとずれ続けていたのだった。それで自分がはじめにそれに対してやっていけないと怒り出したことがだいぶいろんなことを停滞させて他の人の流入もまねいたのだけど結果的には今の、ごりごりに作り出した部署の➡廃止と、入れ替わってやる新しい人の引き抜き、そこで新しい部署を築いたうえでこちら側からNふくめて配置して行きますよっていう世界に繋がっているのかもしれない。そうそれはNがふさわしくなかった(仕事を認識していかなかった。)だから、入って来たNが今のりょうたくんやでんたくんなりに動いたり話したりできる人であれば多少の文句があったとしてもどうにかできるところにはいたのだ。絶対。Nくんら他の人たちがどういう落とし穴に落っこちたのかといえば、それは毎時で株価をチェックしすぎていて株価以外の視点で仕事をする能力に欠けていたからだと思う。株価っていったってそこには人がたくさん住んでいるわけだから、はっきりいって「これをやったから今まではうまくいっていたから、上がる」みたいなことは10パーセントくらいの確率しかないって自分は思う。で、それも相手の気分や空気みたいなものがあるなか想像のおよばない他人と折り合って行くっていうことが全てなんだから、だめで当たり前なんだと思う。それなのに、Nは「ちゃんとやった」っていう雰囲気しかいつも出してはこない。言いたいがそれはただ、あなたがやりたいことをやらさせてもらっているだけです。結局自分以外の誰かが道を作ってくれる事に対して保証なんて無かったっていう事にはいつまでキレていてもしようがないんだから、気づいた時点で自分の手で道を確保して地味に打率をあげていくしかないと思う。で、積み上げるっていってもそれは単にゴミを積み上げていくことじゃない。色々なことをやらされながらもたったひとつでもがまんして死守しなければならない領域を知ってるのが仕事だと思う。そういう意識が、アナタ一度でもありましたか?それが終わった後で上手くいかなかったってことに文句を言ったってフィールド外でブツブツ言ってるのと同じ事だと思う。で、それでいて、このがばがばな流れで自分も皆と同じようにできると思ってたから適当な差別化する仮説をつくって自分に信用などない相手の前に来たために結局は自分が損をすることになってしまったのだった。だから初めから、皆が言ってるように自分のやりたいことだけをしていればよかったんだと思う。でもそこでNは100パーオレの勝ちの理論を勝手につくって持ってきたせいで以後それを払拭することだけでエネルギーを費やすことになってしまったのだった。だから、その部分には他人のせいとかは一ミリもないと思う。僕はあなたのメッセージ性をはっきり受け取りました。あのとき、アナタは「どっちだっていいが、強い俺のいうことを聞け」っていって来てました。
とにかくそういうのが欠如していた。それから、僕のとこに粘着質なハゲが「Nにはカリスマ性がない」と言っていったことがあった。これは、はっきりいっていじめメッセージでしかないが、カリスマが欲しそうに見えているやつに向かって、確かにカリスマ見たいのなかったんだなって皆が感じていたんだなと思う。カリスマを言うなら、ことこまかに才能とかエネルギッシュとか言うこと以外でいえば「選択した事に責任をもつ」ことだと自分は思う。それから、100個ある選択の中でどの選択がどうでもよくてどれが一番大事なのか自分で決めれる目を持ってた方がいいと思う。Nにはそれがとにかく無い。で、それがけっきょく一番やりたかったことだったから、ってわけですらなかったのだった。Nは大事な局面に限って他人に流されまくっていて、言った事もあっさり忘れて保身と攻撃でみずからの信用を撃ち抜きまくって行った。Nはとにかく、嫌な役目も背負いたくなければ自分から損する事もカッコ悪いこともしたくなかった。それから人の築いた未来に毎時間で安住していたいダサいやつだったのだった。それなので自分のやって来たこと、ていうか選択に対してなんの埃も持ってない時点で僕は、なんかもうオワってるなと思う。百%ない。あるわけない。だいたい普段もわあきゃい騒いでるだけで中身だって何もないネーチャンみたいな話し方しかしない人に対してそんな態度に誰がついていくのか逆に聞いてみたいと僕はずっと疑問を胸に秘めていたんだと思う。

で、なにがおかしいのかといったら、例えば・・・だから、以前からその考え方とか、人の扱い方おかしいみたいなことはなんとなくで感じられていたんだけどそういうことって、周りが認識始める前に漏らすと自分がきんきんうるさいみたく囚われてしまうんで、結局、部署全体がアチチなやつの存在を把握し始めるのを待つしかないですよね。で、たとえば人、ものごとに対する扱いが重い軽いみたいなことについてそういう理由で説明するのが難しいと思った。もっと、まじめにやりなさいと言ったって、社会で「まじめにやる」を体感で身につけてきていない小学生に僕が毎日言い続けていたとしても、周りから見れば「あいつ、つかれてんなー」と受け取られかねない。こいつが、未だトイレを知らないで居て英語圏のおむつ言葉を話して歩きまわっているってことを僕が部長を捕まえて説明しだすわけにはいかない。そこは、実践していただく。実践編としてNのバカをみずから味わってもらうしかない。あとは、なんかしらんけど突如持ってくる真摯の姿勢が失笑をかうみたいのは、見てるだけでばかじゃないかと思うこともあったのだが、自分も失語状態で居る上にふつうにこっちから相手の成長を待ったり少しくらいは見逃してあげたりしなきゃならないのかもしれないと思っていた。何かその後に話したとしてもそれが、あなたの真摯で、周りにも伝わってると思ってるんだな…ていう。そんなふうにNをあまやかすのはNが物事をあまり知らないからで、僕の方が年上だから許してあげなきゃならないことが沢山あるからだった。けどそんなときもN自身は、目の前の相手よりもものを知ってるっていうふうに皆の前で人の頭を押さえつけながら振る舞っていたのだった。その上、お世話になってる人や目上の人に対してもぜんぜん笑えないタイプの歳とってるいじりみたいのを人前でしていた。はっきり言いたいが…無い。自分がこれまでここに来たのは友人同士でわあわあしてたからでなくて尊敬してる人の脛をかじって生きてきたからであって、何故公衆の面前に呼ばれても無いのに来ているNでそんなことを吐けるのか毎度毎度で理解し難いと思った。そこまでこればあとは、それを僕がどこまで我慢できるのかという問題がNといる時の8割以上を占めていると思った。で、そんなふうに自分の為だけにそこにある席を8割がた占拠した後で吐露しまくるNを見ていて自分が一番「?」だったのが、自己イメージ像が社会の中でのNと全然合ってないっていうところだった。だから、自分が来たいって言ってるんだから、敬語とか、使えよ。と思ってたが、終始タメ口。Nはいつもそこに楽しいパーティ状態の何かがあるんだと思っている…
ないって…。もし、「ない」んじゃないかな?と気付いたのなら、その時点から赤の他人からぜんぜん関係ない年上の人と話す言葉にチェンジしてくれないと気持ち悪いがなっていう感覚が拭いきれなくなる。とにかく自分も日本人なので無意味に距離の近い他人に対して耐えられないきもちにあった。そんなふうに僕&僕に近い人全員がNむりなんですけど…みたいに無言の同調をしまくるような期間は数年続いていて、だいたいそのあたりからNの前にいるとき自分は常に泥だらけみたいな精神状態でいたんだと思う。
実際に自分もこういう男社会のなかに投じられてみれば、それが思ってるよりも大変なことなんだろうとも思った。マウントや、目に見える足引っ張りだとか罵倒や悪口も、女性たちの中にいる場合と違うのは目に見えたテリトリー思想というか、もっと体罰的な感じで現れてくると思う。だからこれに耐えうる人格にならなければならないんだなあ〜こういうのって、はたから見ているよりもずっと大変なんだなあ〜と自分も最近思い始めていたのだが、その中においてもNがいまだに自分なりの「カワイイ」を着こなしてふたたび現れてきていたのだった。自分はもうその時点でNからかなり離れたところにいたので、N以外の別世界の話がなんとか丸く収まるように、それから今関わってくれた人達が平等に利益を取れればいいなーって考えていてそれは片隅にいていつでも誰かにくっついて回っているNにもはじめは向けられていたが、さすがにN,あまえてんじゃねーぞって少し思った。
だからここで「やっていく」→「周りにもついて来てもらう」ていうのが、なかなか難しいことなんだなって僕も思いました。今までのことを掘り返してみて、自然といつの間にか部活みたいな場でも部長になってテストステロンでまわりを引っ張っていくことに疑問も持たない人とかならば、そういうことにも野球のフィールドに入ってくみたいに有無を言わさずに向いているんだと思う。いま、当たり前のように上にいる人はきっと考え以前の欲求の時点でごく当たり前にそういうところに生まれついて、人を押しのけたり周りが、排斥をやっていることもなんの認識することもなく無感覚でできる人たちだと思う。けどそのことが「+N」ていう要素でかなり負の部分を見せつけてくれていった数年だった。で、だからこんなふうに人格でやる、やりたい人がやる、向いていると感じている人がやる、でも「やりたいからで向いてるわけではない」と大変な事になるんだなあと思う。周りが見えてないから敵を作りすぎるみたいな人も多く、そんなふうに周りも紆余曲折も見えていないせいでブルドーザーみたいなことがやめられなくなって来て逆に自分が排斥運動の対象になるみたいなことにもなる。結局そこは、望んでたようなカーストの頂点でなくて市民が大勢いる場でのただの最前線だったんだなって思い知っただろうなと思った。で、Nが心配しているのはそういったことなのだろう。これまで、周りにブルドーザーみたいなやつしか存在していなかったため、Nの周りには未だ悪い手本しかない。Nは多分こう思っていると思う。「ボクは、やりたいだらけでケツも拭かないでまた来る奴みたいになりたくないんだ。」って。というか、なってても別に構いはしないがそれを皆から自分の前で言われたくないんだなって思った。多分それが、アヘアヘしていたいだけの僕らとは違う、出世したい欲No. 1のNくんの第一信条なんだなと思った。が、最前線を死守しておいてそれでいて何もやりたい事が特にないみたいな感じで無責任なまま居てしまうのがNだったのである。
そういうのカッコ悪いみたいにいうが、僕はそんな事勿れ主義の方がカッコ悪いと思う。僕は、ゴリラや、アホアホ体操することの何が悪いのかわからないし、わからないって言えなくなって来ている界隈を見ていて、「え、大丈夫なの?」って感じ続けています。結局どっちにも振れられずどっちも中途半端の一ミリ感をもってしてもできないんやんけみたいに実力がない事を周りに見せつけてくれたあとは周りと変に融和していき、それに対してNが元から特に何の意見もなかったせいで誰にとってもそこはNのせいで雑菌だらけの最悪な環境になっていった。そうしてその場を見て「これは、8割自分がやったんだ」と反省してくれるならいいが、大抵内省とかもないまままた、自分の感覚を取り戻すためだけに僕たち含む貴重な毎日を浪費してくれてく。それがいま排斥運動を受けている×さんの立場で、彼が築きまくった負の遺産も膨大になってしまっていると思う。僕は、思ったのだが、これからはそんなふうにして育てあげた雑草に供給するためのみたいな役職につくのが一番いいんじゃないかと思う。あるいは、何事もなかったみたいに「スタート」っていう歌を作って歌ってみればいいと思います。僕もそうだけど、今までのこと、特に重要視してないことだらけの山みたいになってきてんので、早く、縁切りたいエンジンが、皆かかりまくってるだけのが今日なんだと思います。
結局は自分たちにとって都合がいい歴史を築きたいだけで人を集めて来ていて、都合のいい論理ばかり集めて、作りさえまして、その下にあるものに対してもシカトをおこきまくっている人たちなんだけど、そんなふうにもとから都合のいい話をするためにNっていう人格を置いておくのが最適だったわけだ。利用されて行っている事に対する苛立ちは持っていても、責任感のようなものは一ミリも存在していないんだなって、なんか思ってしまいました。別に、初めに聞いてたことと話が違うとか、自分よりもっとでかい流れがあって自分一人では抗えなかったっていうことを、今まで僕の前にわざわざ来てかましてきてたみたいにまたブツブツ言えばいいんだと思うけど、今になったって別に誰の見てないとこでも他の人のために仕事するとか、こつこつ耕すことか、謝ってみるとか…自分以外の人のためにっていう視点を持って、それはいまからでもできるじゃないって思うんですが、やらない。僕はそれが不思議で仕方がない。じゃあ何故、あたりまえみたいな顔をしてここにいるんだと思う。
そんなふうに歯の浮くような文脈でしかしゃべれないNが俺の前でだけはいつも部長みたいな感じで来るのが疑問だった。NもNなりに、僕みたいな人間一人をうまく納得させれば株価あがるみたいにうまくいくと認識していたんだと思う。Nが毎日やってくることと言えば自分に教育を施すことだった。Nはだいたい意味がよくわからないことをしてから自分でもやっぱりおかしいと思うのか「これは、躾だから」みたいなことを吐いて言っていた。だいたいそれが、2,3日の時点とかじゃなく1年以上24時間じゅうで、それに対しても何が躾なのかとは感じながらも、ただこっちが年上でいろいろなことを知っているんだからむしろ折れて、教えてあげれることもあるのかもしれないと思い直したり、けどN以外の誰も結局は喜ばない事なんじゃないかとかそんなふうなことを考えさせられながらべこべこになるくらいまでこっちがわの方から折れ続けてやるというのが、それがこの2年くらい続いた。

こいつ、ばかじゃないの?と思う理由は他にもあって、例えば最近、やっとのことで色々なわだかまりがN以外の人間のおかげで解けて来ていて、周りの人が働いてくれたおかげで元からあったはずの善意が収まるべきところに収まりかけている空気に突如なってきていた。僕はそれは、社会に出て働いている人達の持っている普通の感覚と善意のおかげだと思っていた。皆が当たり前にそれぞれ苦労して来ていて、他人とか社会秩序のために働くのがイチバン気持ち良いっていうことを知ってるんだと思う。だからそのおかげで、人という腐った水を総入れ替えし続ける事でやっと、この界隈が正常を取り戻して来たんだと思う。言っとくが、その変化自体にはNみたいなやつは一ミリも関わっていない。でも、皆はNがやっぱり「いた」ってことを全員知ってるので、Nも呼んでみてもいいんじゃない?と言い出すみたいなことが数日おきに起こり続けていた。僕はこれを以前にもなんどか体験したと思ったが、まだスネ夫から一度も嫌味を受けた事のないモブから定期的に飛び出してくる親切心のせいで起こる事だと感じていた。だからNという人間は、とにかく何もやってないし、利益のとこにだけ積極的に加担してるのに仕方なくやってるってとこに常に安住してるような人間なんです。でも僕も一応知らない人だとしても他人がぼんやりしてるのをそのまま見過ごすほど意地悪なわけではないので特に「それだけはやめてほしい」みたいな自己主張もしないまま、ノータッチなる姿勢でその流れ自体放っておくことに徹してたのだが、そのあとでNがのこのこやってきて、「あの時返事まちがえてスンマソ」みたいな軽い返事をよこしてきたことで自分は、あーあ、、やっぱりなと思ったのだった。スンマソみたいに言うが、お前がきゃぴきゃぴ遊んでいたい女子高生みたいな人格からたった一人脱皮できてないからこういう世界になってしまってて、おまえがいまだもってすべての発端のど真ん中にいて全力で漕いでいたことをまた、忘れて来たのかっていう感覚で、お前は、ここにいる全員にきちんと謝り倒してからもとから居るが当たり前のキャラクターみたいにしてまた、またまたまた現れて来てるのかっていう怒りみたいなことだったりもしていて、で、この「がんばろう」からの「やっぱりな」みたいな流れは特に思い返したりしてみなくても僕の近くにNがいるときに毎回毎回で起こることだったのである。











ー終わりー


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