To be continued

単純な日記です。

だから結局、小説を書けばいい

鬱みたいな感じになってきた。つまりそれは、「それをやって何になる」みたいな状態で何をするにしてもくだらないと思って終着点ばかり見てるみたいな感じ。最近は、あまり運動もしてないのでやる気〜体力みたいのも減って来てるんだと思う。朝起きてから,もしかしたら自分は、昔から入れられてきた壺にまた入れられていたのかもしれない。そういう「またか」みたいな感じはあったんだけどでもやりたくない…自分の中の電気見たいのが消えてしまったみたいな気分。それで、たまたま会った人から色んなことを教えてもらって,その人は友情〜家族から恋愛から色々考えてるらしかった。僕も,それについては考えてみたけどはっきり言ってわからない。本当に正直に言うと,自分は元から構造みたいなのを決めてそこに勝手にあれこれ当てはめていってるだけだったのかもしれない。でもそういう「わけ」の方は,自分の頭で考えたのかもしれないけど直感で思ってるだけのことを他人にどう話せばいいかわからなかった。それは、「何でわからないの?」みたいな感じだったんだけど自分は、多分それは、お互いに見てきたものと思ってることをいっぱい持ってきて,分かる部分だけで話してる時点で相手のことを自分なりの型にはめて質問しまくってるだけなのかもなと思った。どっちでもいいでしょ?」みたいな感じ。自分も議論自体は別に嫌いじゃないので適当に話してても良かったんだけどあとで困るだろうなとも思ったんですよね。

「へ〜」と思ったこと

あまり関係ないけど最近食欲が出てきたのでご飯3食食べる以外にも間食とか色々していて、それでもまた急激にお腹が減ってきたりするのであっちこっち歩く時にも食べ物を携帯して歩いてる事が増えました。そう考える本当に何回も言ったんだけど人=食べること=生きる事、なんだなあ〜って改めて思った。で,それに対してそういう事してると自分に対して「また、食べるんだ」みたいな意識がどうしても出てきたりして、自分はいま自分のことがそんなに好きじゃないんだなって鬱の状態で考えてたらふと、そういえば実家で父親がこんな風にいったい、何をしてるのかわからないような暮らしをしてる中でもなんか食べ物いつも食べてるとか別に誰とも話したりしないんだけどでも、お腹はすくんだみたいのをずっと子ども心に見てきてて、そうやって年寄りが腹を空かせてるみたいなのが別に嫌いなわけじゃないけど結構強固に「年取ってる癖にご飯は食べるんだ」みたいなのが自分の中ではあったんだなって思ったんですよね。これは父が自分では全くご飯を作れない「くせに」っていうのと別に偉くもないのに家の中で威張っては母親から手伝いを受けまくってる「くせに」っていうのが人を見る目としてやっぱりあったみたいです。

本当に小沢健二とかを聞いてリラックスしてても良いような時間でも鬱の方から忍び寄られてる間はそんな風に→自分が好き←っていう感じさえなくなって最後全ての終着点でそんなことやらなきゃよかったっていう結論に1秒くらいで達してしまうみたいである。

運動に関してもここ数年くらいずっとやっていたミドルマラソンみたいのもぱったりやめてしまって、今は「それをやって何になる」みたいな意思もかなりでかく鎮座してるみたいな感じ。何でこんな風になっちゃったかというと単純に、歩いてるのが嫌いになったからです。だからそれをやって何が楽しい?何になる?自分も鬱なのでその辺を歩いてる自分のことイメージするだけでキモチワルッてなんか感じてるみたいで歩くのさえ今日はしようとも思わなかった。そういうことって皆さんありますか?これは、接客業とかをやってると外に向かってフルマラソンで飛び出して行っても全然大丈夫なくらいもうウォームアップされた状態に常になってるんだけどもう、日常的に過酷な圧自体から解放されたらどこの筋肉も「行こう」って言わなくなってたみたいな感じ。停滞してんねん…で,自分は壺に入れ込まれてる間それを払拭するための論理を一ミリも持たなくなった。もうこれに関しておじいちゃん的視点からいったら確かに,諫山先生が心配するほど「とりあえず恋愛とかしてみればいいのかもしれない」ってなるのかもなって思う。僕も今初めてそのことに気がつきました。とりあえず外,でよう。とりあえずバイトはじめてみよう。このクソ重い精神は、とりあえず動いてみなきゃ終着が全部クソゴミだと感じてるみたいである。

ていうかそもそも時間が空いたら小説を書こうとかポエムを整理しようっていうのもあったんだけど何も出来ませんでした。これは、何回も書いたけど訳があって書こうと思う日に限ってムキムキ筋肉くんが自分の家に半日くらい止まって,男性ホルモンの論理をめちゃくちゃ振り撒いてくるので自分ももう流石に嫌になりました。本当にコイツと気が合わないんだなって。もしかすると今日の鬱もそういうのに原因があるのかもしれないんですが自分も、この年になって本当に一緒にいる人間に影響されて小説書く気を削がれるみたいなことなんてあるんだな〜っていうのは情けなくなりますね。

まあそれで、皆と集まる会みたいのをℹ︎さんが開いてくれてたのは良かったって思いました。ここ一年間の過酷過ぎるデタラメな集まりもここにつながってくるんだな〜っていうのと、なんか意外と、女性的な視点なんだなって自分は感じましたね。男の人の書く小説って結構もっと断罪的なの多いし、女性について書く時とかも自分の好み以外盲目になってる事多いんですよね。俺が王様で〜から始まるような小説を読んできた自分はそう感じてましたし結構マゾでもあるんだなって。

「つらみ」の部分については色々あるけど皆それぞれ大変だったんだなあって思いました。自分もたまに描いたりすることあるけど一応言っとくけど皆が忘れないようにワカますパンチしておいてるだけだからね。

テーマのこと

セックスについて〜自分も考えることはあるけどやっぱり前も書いたけど外にあるものが自分向けじゃないから自分に分かるよう描き直してるっていうのはあるのかもしれない。これは、不可能って言うよりも不快から来てるものだと思う。やっぱ個人的体験が他人と共有出来ないっていうのは当たり前にあって,別に言ってくれても全然いいんですよ。で、でもエロ小説とか読んで,100%満足するっていうこと自体自我を持ちうる大人があり得るか?みたいな感じもある。満足するわけがない。自分は、ファンタジーでAとBが共同体ってこと聞いてからもしかしたらそろそろ◯◯してみてもいいんじゃないかなって考えたりしてました。それが最近自分の中ではまあまあたのしい想像力ではあった。けど本当に最近はそんな風に仮定」「可能性」の時点でとどまってるようなことばかりになってきて,なんかそういうのも寝て起きたあとで急に気分が変わったらまた別人格になってるみたいな感じもあるのかなって感じてしまってるんですよね。確かな感覚ってなんだったかな…て、きっとこういうのが我慢し続けた後で急激に尖り始めてるみたいなのがCみたいな人なのかもしれないし自分も、iさんKさんみたいに他人の存在に自分の全身を重ね合わせてかんじだすみたいなのも「やってたな」って思う。けど本当に,ストーリーもの一本すら書けないような奴なんてクソでしか無い。みたいな→←否定もいっぱい入って来る時,僕はあまりその場にいても楽にはなれないみたいだ。なんか自分て「らくち〜ん」ってなってる時間が一番好きだったみたいなんですよね。この間それを友人に言った後で自分の、居間にいるときの精神状態を話してどうする?!と思って笑っちゃったんだけどそういう時間に達するためだけに、いっぱい運動していっぱい働いて、1時間だけめちゃくちゃ楽な時間を作るみたいのが生活の中にあるのが一番良かったのかもしれないって日本人の僕は思った。本当にポンピーみたいにつまらなくなってきてしまった…で、とにかく「何?」みたいに日常的にわからなくなって来たからやっぱり自分が塊みたいになって書くしかないのかもしれない。一人きりで色々考えて書いたり直したり,色んなことに囲まれながらそういう時間自体なんかモヤってるせいで取れてなくていっつもいる隣の人の感覚を半分くらい感じつつ生活の中にとどまってるみたいのが多く、な〜んか別にいいんだけどさ…ていう感じ。最近。

姉ちゃんについて、僕が思ったこと

①姉ちゃんが、僕マニア過ぎるのがこわい
えっ…て一瞬思ったけど,気付いたら四方をそれで固められていてショック状態になった自分は、それ以後それが見えてないふりをするようになった。
②姉ちゃんの素顔が、まじで姉だった
姉という強度の論理が、自分が神経質になってる時に「そういうのいいから」と「傷つけてはいけない」で揺れていて怖い。
③姉が,自分を壁として使い倒そうとしてくる
姉としてのメンツもかかっている為,怒られる時が二重でウザい。
それで、ただ楽しいだけで遊びに行ったりしてもいいんだけどそういう時も「傷つけてはいけない…」で揺れてたりして苦しい。

トラブルをトラブルと把握しないままでこなす事

さっきまで、一緒に働いていた人と話していて、話の流れ上でうっかり「これからの抱負」みたいな事を言いそうになってふと僕は思った。〜やりたい」みたいな事言うが,自分はそれに対しての準備みたいなことを今日とか昨日やったか?例えば何かやりたい事があったとして、それの下調べとか、資料集めとか、それに関連する出来事とか調べたり,そうでなくともそれに対して小一時間考えてそれを練っていく…みたいな事、自分はやったか?と考えてて、全然やってないと思ったんですよね。だから、自分は「これからやっていきたい事」が自分の所属とか意気込みの説明以前の完全なワナビーの時点であることに気づいて、口をつぐんだ…それならせめて、8割くらいやってから言えよって思えたのだ。自分がやってた事といえば①仕事と、仕事に纏わる準備②仕事の片付け③ゲーム で、とにかく毎日はっきり「やった」と言えるのがゲームの報酬をばんばん取っていくと言う事だけ。それで、ここ最近何かあまり文章とか書いてないねと言われて,確かに書いてないけどって「は?」みたいな気持ちで自分は思ってたんだけど,それは、あーなってこうなって、こうだからっていう紆余曲折をへて、完璧にいまは文章を書かない方がいいって言う結論を得たから書いてないわけであって、だから書けないから、書きたくないから書かないと言うより周りからの圧力で今は書かない期間として多分書いてなかったんだよね?っていうことなんだけど、それはもう飛行機が飛んで行ったら飛行機は見えない存在してないみたいにもう今把握されてないんだと思った。でも聞かれた時点で自分は既に、たしかに書いてないなっていう結論に何か不時着しそうになっていた。確かに、こんなふうに書かないでいると書いてない部分が森みたいになってて全然見えてこなくなってるんです。やっぱりこんな風に困る事ってある。そういう時は自分が「そのとき」=「何を考えてたか」=事実てとこまで思い出してみることでそうだ、今はA面しか見ないで話してたけど,あの時はB面もC面もあって,そこで確かに納得できるような活動があったんだくらいまで思い出せるようになる。そういうことを、寧ろしなきゃいけないんだと思った。でもまあそこで自分はゾンビと一緒には100%活動出来ない為、何もしないまま一人でやるだけのゲームでキャラクターを集めることで半年以上生きてきていたのだった。

で、最近は周りで起こってることがもう異常の域を超えまくって完全にそれが尼崎市みたいな感じになってきていたので、自分は考えるのみでなくてもうたった一人で現実で起こってる事を人間関係を露わにした上で周りに訴えるって事をずっとやっていました。そんなふうにここ最近やってた仕事が年末年始くらいでかなり詰め」の作業に入って来ていたようで、そのあたりくらいからも完璧に「書く、まとめる」という作業は中断させられていて、嫌がらせの方も小さいものでは部屋に無理やり入って来て数十分居座ったり,パソコンの画面を覗きこみに来たりっていうのが日常的に沢山あり、もうそうなると気持ち悪いのでやろうっていう気もなくなってやめてました。向こうからしたらそこで、頑張って元気出していけよって事なのかもしれないけどそもそも文章書くのだって,時間が確保できないせいで中途半端で終わる時は書かないよりそれが死ぬ程苦しいってことを知ってるので,何かモヤッとしてる時点ではなるべく書かないでようと思ってました。

トラブルと把握されないままのトラブルの内容

でもそんなふうに成長した上で自分てきな区切りを学んだ時ももうずっとトラブル続きで機械に付きっきりみたいな感じになってて、そこからほんとに2ヶ月くらいは書かないという時間が過ぎ去ってしまいました。信じられないですよね。ほんとにばかばかしいトラブル(相次ぐ風邪)のあと常勤の時間自体が短縮になって、多分入ったばかりの人なら何やってるのか分からないようなテコ入れが散々あったんだけどこれも、上の人が相当混乱してたから故だったんだとは思います。そういうのも一言も知らされていないしまとめのサイトではこっちが死ねやってことになってるみたいです。でそういう作業で今度は,もう昼ごはん食べる時間も無くなりました。それで、まじで「訴える」の方もやり始めたら何もかも向こうが設定した事ばかりだったので結局二十四時間ずっと僕が訴え続けていくことになるみたいになっててLINEの文面で疑問ばかりが流れてくみたいなのが2023-2024の年末年始ではずっとありました。

「全員知らない」という所から始まったトラブル

こんなふうに、遡って見てみれば4月くらいから強制的に始まっていたこの、巨大な象のごときプロジェクトがはじまったお陰でこれまでのまずまずの平和だったものが全て失われ僕は他のことが何も出来ない状態になってしまってました。常勤メンバーとして収集されていた訴える以前の自分は良い,悪いとかツッコミをいれる…とかよりそもそも「自分はまったく関係ないのに」っていう怒りでずっとキレている状態でいて、普通の人たちとも最早話が合わなくなってたみたいです。これについてはもう散々言って来ましたがまずメンバーのこと誰も知らない。ここにいる人たちの中でしってるのは、Bのつくバナナくんくらいで,それ自体が秘密裏に伏せられてから自分は人間関係が完璧にお陀仏になりました。それ以後、仕事に入った時間がずっと続けば続くほど瞬間的に死にたいって思うことも要所で度々起こるようになり、それは監禁が続くというのもあったんだけど人間関係が全くよくならないことにあったのかなあと思います。この巨大な、闇のみたいな仕事の中に置かれてる間,0%楽しくないのは当たり前だったんだけど何か楽しくないとも言えない雰囲気。いったいそれは何なのかというと、完璧におじさんの腹の中にいたということだったようです。そんな風に何処にも何も繋がらないことを延々とやらされて行く事で、まとめるとか訴えるみたいなことをやる以前に体力が泥沼みたいなとこに置かれすぎていて仕事が夜に終わった時点でもいつしかまったく精神が浮かばなくなっていた。仕事っていう場所のなかで散々考え続けた精神は、リラックスを求めるとか何かで解消するとかでなくてずっとドナドナみたいになっており、延々と続いてる「苦しい」の最中にあるとき、自分が苦しいのかももはや分かっていない自らの体力グラフはもうずっと地を張っていたはずなんだけど、その泥の中で目の前にかろうじて見えてるのは見慣れたスタッフ、見慣れた記号,見慣れた毎日。そうなるとじゃあ自殺したら楽になれるっていう考えが不意にフッ…てくる。でもとりあえずここまで来て明らかな負けを自分から取るわけにもいかず、この仕事に対して自分は完璧に担ぎ込んで載せられてきたという立場でいながら毎日朝,起きた時点から、夜ちんちんも全部飛んで行ったあとでもまだ、まだまだずっと続けられていくみたいなとにかく二十四時間体勢でそればっっっっっかりずっとやらされてる状態で既に自分は友人とか恋人とかも全く連絡は取らなくなっていて,そのせいで周りの人間関係とかも全て停止させられていました。それが普通になっていた生活の中での自分への対応になっていた。数ヶ月続いてからは逐一訴えていたけど、意見がやっと通るようになったのが言い始めてから10ヶ月くらい過ぎてからで今は肩を持ってくれる人も沢山いるけど始めの時はなんで今になって話が通ったのか、もうずっと言い続けてるようなおん〜なじような内容の疑問に他人が耳を傾けるようになったっていう感じでいました。家族ともやっと話したり出来るようにもなったけどこっちは初めからガタガタなので返事を返すくらいのみ。

事細かく書くとなんでこうなってどう言う人がいたかってことは膨大な量になるので、そのへんは気が向いたら書くかもしれない。ようはグループ内の立ち位置と権力闘争をいい大人が公然とやってたみたいな話です。

おじさんからの虐め

ここ二、三日は制服って大事だなってことを考えてました。働くときに人というのは,当たり前にしつけなどされておらず,スーツを着ていてそれなりの言葉遣いを求められてるからそう話してそうしてるという社会性があるんだけど、社会性があるから社会的な手段っていうコミュニケーションに出るわけで、その虚構が崩されてしまった場合例えば、サウナとかでタオルだけとかパジャマ着て家族が喋ってるくらいの関係性だと,ある時キーッとなったらもう相手に襲い掛かかって来るようなのが中年だったんだなっていうこと、目の前で何回もスーツケースが飛んでドアが叩かれて女子社員が怒鳴られ続けてっていうレベルの事件をへて僕は感じました。結局皆獣、だったんですね。そこに閉じ込められてる間,ずっと一人でいる事に体がすかすかしていた。僕は一人で、中年という獣からの視線からも暴力からも防御力ゼロでいるんだなと思った。物理的にも周りの壁から逃げ場も奪われていたから、むかつく事に対してもはいって受け入れたり掃除を手伝ったりしたことも数え切れないくらいあったし、そういう人に対してもありがとうの代わりにけつを念入りに撫でて行くみたいなのが挨拶。もう男とか女とかも関係なく,辱めればそれだけで良いっていう感じだったみたいです。僕っていうか僕らはそんな風にごく弱い立場の供物みたいにしてそこにずっと居たのだった。

密室だから起こること

これがもし外だったら僕はもっと安全だったのだがそんなふうに、仕事がごくごくインナーになって来ている時,そこにある家族のように近い集まりは,実際の家族みたいに愛情などなくズブズブの甘えだけが転がっており、それから自尊心、ストレス、愛着やらにうえっぱなしのそいつらが自分のことを見ていて,自分や同僚なんかは何度も何の意味もなく、「謝れ」ってことを言われ続けていた。僕らが正解や正しさを言うのが許さないせいで何回もつまんないことのやり直しをさせられていた。自分らは結局、プライドというのをめちゃくちゃにぶち壊されたあとでまた何回も,ゼロからやり直しさせられる日々をへて、けどたしかに自分はそこに居てスーツなど着てないんだから即,こんなものびりびりに破られて瞬間的に尊厳も剥奪出来るんだろうな。自分は、そういう目でおじさんたちから一年位ずっと見られ続けて,もう休憩中とかもその辺にまだ、いるんだと思うと足がかちかちに冷えててぜんぜん夜もすぐには帰れなかった。中年という獣から自分の感情こみの身体つきを見られたり,元気なんだって思われるのがいやで狭い部屋を移動することもしないしずっと椅子の上で動けなくなっていた。救急車が来たり警察に連絡一歩手前の相談室のおばさんとかと話したりなんかは普通にありました。でもそれでも,自分のために何かして欲しいって思ってまたやってくるのがおじさんという獣で、そう言うのに朝も昼も夜もずーっと付き合わされて、尚且つ何も言うなみたいなのが缶詰めされてるときのごく当たり前だったりした。

トドメとしての「どっちが好き?」

でその後で,何も考えてないような飲み会が開かれて「好き?嫌い?」みたいな悩みが出て来てることに対してもう、そんなこと自分に言うか?って思った。そんな事で僕を悩ませる?それは関係性を破綻させたのが向こうに100%あるのにこれ以上、優しさを引き出すために投げ打つような部分が僕に、あると思う?で、それを後になって考えでたけどそれは、僕からはもう言わないようにしようと思った。これまで自分がずっと歩み寄り続けて来た関係性で,最後の最後のどん詰まりにいま、居るかもしれないというとき僕から向こうへ考えを尽くしてあげて「いいよ」って言ってあげることなどひとつももうない。お前も死んだって思ってるかもしれないが,その間たった一回のあいだに僕は何回も死んだし、その後でもお前には優しさを与えて来た。そうだよな?で、それでもまだそういうなら今度はお前が,崖を二本足で駆け上がってこいよと思っていた。

昨日は,文芸関係者の人達に誘われて,集まりに行ってくる事ができました。ここ数年くらいものをまともに書く事が出来ていなかったんだけど、最近やっと身の回りの人達が落ち着いて来たので下書きを整理したり新しいサイトで小説を更新したり,応募したりしていた僕は、今回と,それから前回,久しぶりに色んな人の才能に触れる事が出来てとても新鮮でした。それで、その中で殆ど知らない人たちー何故か自分のことを知っている人達の中に入れられていじめられたりもしていたんだけど、この中で、そうは言ってもだいたい良い子だったと思われているんだなということに気がつき,それは一体どういう理由があるんだろうかと考えていた。そういう場所のなかではある人が自分のことをいつもされてるみたく扱って欲しいって駄々をこねてるとき以外で、自分は良い人間だと思われているんだなっていうのと、それで,最近はその文芸飲み会だけでなく過去に知り合いになったはずの人とも再会したりする機会もあったんだけど、その再会した人たちとかと会いながらも傍にいるN君の方はというと特にいつも通りに過ごしてるだけなのに皆から常にどこにいても「Nに気を付けた方がいい」ていう注意付きでこれまでの罪をむき出しにされていってる時、それを話してる某さんの事を見ながら「やっぱり,普段の行いがこういう時に出るんだろうな。」って思っていた。後で知った事だけどやっぱりN君が過去やっていたことを友達同士の争い、諍いレベルのものでなく未だに犯罪だと見做してる人もいるようで自分らが狭い範囲で見てた事と、別の関係を持ってる人が感じてた印象にはいろんな格差があったんだなと改めて思う事が一応ありました。

最近こんなふうに同じ空間にいて、同じようなことを経験して来たはずなのにお互いに見えてなかった事が沢山あったんだなということに気づくという経験を経て,星の王子さまみたいに目に見えないこと…例えば嫉妬、愛、憎悪のことの起こりだったり、信頼だったり,当たり前に持ってたり持ってないと感じ続けてる事が常時人にも自分にも影響を及ぼしてたんだなって思ってました。

で、それだけじゃなんなので余白を埋めるために書いてみます。それで、文芸の集まりで新しい風土っていうのを知りつつ読んでたりするんだけど、そこでやっぱり問題の甲さんが、乙さんに興味を抱いてる図っていうのが僕も面白かったです。それに対しては、一応細かく書けば,けっこう鳥肌が立ちそうなギリギリのとこを「人物像」として攻めまくってるのが、大の大人がそこに生えてる人形と話してる人みたいで面白かったです。とにかく他の人のものも見つつ,「物語って、こういうふうに書くんだな」って感じだなとふとこの間読んでいたミセスっていう雑誌に載っていたゲスい方に焦点をあてて、あるあるみたいなの面白いなって思って(風俗で恋愛をするごく普通に太っててダサい主婦の性欲についての話なんだけど最早、10代の頃の漫画レベルに自分の年齢的に理解してる風土について親しみを込めながら聞いてる感じすらある),そういうモード」があるんだなっていうか、色々あって気分によって読みたいものって変わって,昔いた文学なんてだいたい月一回くらいでいいって思ってるのが普通の人間かもしれず、あとはちょっと感じたのが、少女が居る場所だと恋愛のこと書く時は相手に劣情を抱いてるとかやりとりしてるというのでなくて会ったばかりの知らない女が知らない男に萌えてるという状態がなぜか非常に長くて一方通行でだいたい心の中の独白だけでストーリーが進んでいくみたいのはなんでなんだろうと思った。「何するんだろう?」「この人、何でこんなことしたの?」→その後の長い自分的な解釈を,その人がいる場でやっててそれがテレパシーで繋がってていつのまにかキスとかもしてるってなってるのが多いんだなと思った。

で、その、新しい人達の才能〜文化に触れて自分はこういう案、こういう見せ方、ていうのが見ていて面白かったのと、やっぱり物語内部に入って没頭するのって面白くて,私生活の方面を忘れまくっていつまでもやってたいってなる。やる気が、でてきました。

自分はそれで、皆同じなのかもしれないけど最近は仕事とか私生活の方が落ち着かないと書けないなっていう気持ちを拗らせていたのと、何処かに出せるものを書かないと確かに、楽しい嬉しいで書いてても「何やってるの?」って聞かれた時しょうもないよなっていう事は考えてました。でも数年前だったら、わずか5,000文字の小説すら自分には書けないって本気で思ってた自分なので、色々出来るようになっては来てるんだなっていうのと、頑張ってまず一本ずつ書いて行きたいって思っていた。

フロイトと◯くん

しばらくの間毎日家の掃除をして過ごしていた。見渡せばだいたい片付いている部屋でも,内側や棚の隙間は大分汚れている。そこに掃除道具をもってきてやるのが常で,それはだいたい一日中休み休みおこなってるのでその間に色んな人がそこに訪れたり話していったりする。そうなったのも思い返してみれば多分掃除をしていてもいいと誰かからきっと言われたからで、根っからの,緘黙だった僕も、他人同様にどこかで解決の糸口を見つけるとそれが上手くいかなくなるまでいつもそうし続けているのだった。そのうち、掃除をすること自体にもはや◯くんの匂いが染み付いてきていると思った。た。「なんで?」「〜から」「どうして掃除するの」「気持ちよく過ごす為だよ」「成る程」たったそれだけで、僕は単にそれは,追求されないと言うだけで、それは相手がまだ,やさしいからじゃないかと思い、それじゃ自分のためにそうしているのかと理由自体がよくわからなくなったが、来るたび、当たり前みたいにしてそこで何度か話していた。そうして自分はもう平気になりつつある部分を感じていた。なぜ、そうしたのか、なぜ、いまだにそう考えているなんて呆れ返り,それからもまだやっている。昨日僕は、又◯くんにフロイトの論理を話してみる。◯くんは自分の母でも友人でもなかったが、いつかテレビで見た科学者みたいにして僕の言っていることの意味がほんとうに分かるようだったが、同時に僕はそれを分からなくても良いことなのにと感じているせいで、それをはたから見ていることでなぜかくるしくなるのだった。そうして元気になった僕は、退屈を絵に描いたように持て余して来ている。僕は外に出たいと思い、そこでどんな結果が待っていようと,ひとびとのお喋りや下らない人間関係に揉まれて,真っ黒になるまで遊びたいと唐突に考え,一体それは何かと思う。自分はふと思い、ひとは、他人の群れの間に入って生きているものじゃないかと思う。じゃあ、僕はとびとびで学んでいた色々な本や、動画や、詩なんかに対して、それは正しく役に立つものでしかないのに、どうして、つまらないような、鬱屈した気持ちを感じていたのかと思い,それはこの瞬間まで知っていた事でなく、そう感じたときからさかのぼり、本当はずっと自分はそのことを疑問に感じていたのじゃないかと思った。僕はもう他人の間にいない為、かと言って戻れもしないのは何故かを考えてみる。それは、自分をとりまいているのが世界で,世界がくるっているか、自分がくるっているせいだと何度目かに思った。これまであったくだらない人間関係、いざこざ、嫌いな他人のことを思いだし,僕はそれらが大嫌いだったのに、今はじめてそれら全てに揉まれてる事自体がひととしての時間を過ごす事だったんじゃないかと思う。なぜ、僕は仕事だと思っていたあれこれを、休んでいる間じゅう手をつけようと思わなかった理由を唐突に思いだし,それらを手で掴んでどこかへ投げ飛ばしたくなっていた。それからフロイトはと思い、僕は小さい種が土に落ち,それが芽を出し,花が出るまでが人生だとすると,僕達は出会うまでが人生なんだと思い、僕がこれまで過ごした生き方や他人の生き死にを思い出してはそれがいくつかのことを荒立てていたとしても、それは生まれたのなら誰にとってでも当然あるべくしてあったことなのじゃないかと感じたのだった。もっと外に出たいと思うのは,もっと,他人よりも生きたいと普通に人が思っているのも、花が咲くまでの論理だったんだと思い,それをもともと、肯定などしていなかった僕が、またさらに否定しなければならなかったのかと思った。僕が食べたくない、性欲が無いと思うことは、単なる病気じゃないかと思った。そんなふうに、元気になったせいで急に理解したことを、未来の事について◯くんらも知りたがっていると思い知らせようかどうか迷っていたが、僕の手元ではなんの形にもならなかった。

欲について

僕はふと、寝室の中で昨日見た夢のことを思い出していた。そうして鬱屈をかかえていた僕は、それ自体がどういう事なのかを解ろうとしてみた。僕は、欲ていうのは、人間が色々な面を持っていなければならない理由だと思った。それで、僕も他人とは分かち合えないような面があるという事、それがどういう事なのか辿って行くうち,それはもっと自分の内側へ、それから暗くて深い場所へ行ってしまうような気がし、目を閉じてるとより一層そう思えてくるのだった。僕はそんな風に暗い面を持ち,安価なものを食べたがり、色んなものを捨て、自分は時にはそれでもまた笑えるくらいの熱量があると思い,そうしてるうち、◯君が来ていた。そのときは、また黙っているだけの僕の頭のなかが読めるようで,僕はそれに任せたらどうなるのか見てみようと思った。◯くんはわたしに呼応していて、僕はそれはなぜかと考えていた。いつもならまるきり他人同士でいるせいで,ガチャガチャしている受け答えや、他人を受け入れなきゃならないという不安もあまり気にならなかった。



次の日,起きたら誰も家の中には居なくなっていた。いつもはすぐに忘れてしまう事だが、最近は忘れないように書き留めるようにしていて,そうするうち自分にとっても重要なことに思えてくるのである。けど何だかよく分からない朝だった。僕はなぜいつも,僕に対して匂いをもっと付けていかないんだろうと思った。ワガママな人は男でも,女でも皆そうして、僕の中にぐいぐいと介入して来ようとした。朝食を食べた後の皿洗いだとか、色んな事を忘れて生きてはいたが、僕は何故かこう思っていた。僕たちの様にこれ程うまくいった物事があったのに、ーそれはひとりの、健康を手に入れようとしてた人間の論理のように思えてきていて、僕は◯くんが自分に合うように,ちょうどいい話者としてずっといる事を本当にいつも勿体ないと感じているのだった。

これらのいろいろな気持ちが,いったいどこへ向かっていくのだろうと考えて、僕の考えはそのときはそればかりになっていた。

昨日分〜死んだようにして毎日生きる

その子が一日中わたしに対する論いを辞めないで居てわたしが何かを決めたりえらんだりする事に自己実現があるだとかわたしの懐にどれだけ潜り込めるかばかり考えていて、それを一日中見てるうちわたしも外に出て何かをするのを辞める事にした。わたしも外の世界に希望を持つのをやめることにした。外の人と話すのも未来を描くのもやめることにした。なんの関連もないが,そのことについて深く考えるるのももうしない。ただおわり、それだけ。

文学ストーカーのこと

自分の精神論とか体力について考えていて、過去はどれだけできていたのかを思っているうちに過去と今とがぐちゃぐちゃになってきて、目の前にある事も見えていないし自分は他人程可能性も持ち物も持っていないんじゃないかと思えてくる。周りを見渡してみたら,単なるストーカーが,自分の人生とファンタジーを混同しているようなのがいっぱい,わたし自身にへばりついていて、虚構を呟くのも辞めないでいて,半径何メートル以内かが世界だとして、特に考えるべき事も何もない。生き物とか、他の国のこととか,歌や映画とか,考えてもいいようなことに対してもとにかく億劫で,見たくもない,知りたくもない,カネの流動もなければ、絵空事もしくは絵に描いた虚構,全くの他人事で、それが変わったとして何が嬉しいか,わたし以外の他人の感情論がうごくだけでしかないと思う。ずーっと,知りもしない他人で埋め尽くされていて、他人、他人、それの尻拭いと汚物を掃除してるだけで,もう手も足も動かない。楽しい事も無いし、鬱陶しい。外国を見てみれば,いつも通りの論理で邪魔をしている傍で,それを同時に掃除をしていて、何をしたいのかわからない。次の日見てみても邪魔をする傍らで救済の論理を言っていて、厚切りジェイソンみたいな顔の人たちが,一体何を考えてるのかずっと分からない。不可解がずっとある。この間また映画も,作画が崩壊していて,現実よりももっと夢がない。夢が潰すのが仕事なのか何か知らんが,そういう人が胸を張って生きており、巨万の富を得ているのも事実。こっちには1ミリも夢がなくてゴミっためでまた、ファンタジー中毒者が蠢いてるだけ。

他人とあなた

何をしたって,しなくてもずっと同じ人間が同じ論理を言って攻撃に勤しんでいるだけ。いつまでたっても防衛にもならないし何処からいつでも攻撃される、もうなんも生きてないような人間がいて、そこでなんの流入もメリットも無い中で、そこから痛いのを逃れる為だけにただ自浄の論理をつぶやいてるだけ。

いつ良くなるの?→よくならない、それは他人がいるから

いつ利益があがるの?→あがらない、それは他人に取られてるから

いつ成長するの?→待つだけ。それも他人にずっと邪魔されてる

だから、【【何もしない】】→ムカつきも悲しみも楽しさも全て他人の為に抑え込んで死んだように生きる

が正解。もしくわ、山上みたいになる。