To be continued

単純な日記です。

12/22

借金

また、借金取り立ての人らが玄関先まで来ていた。知らぬ間にこういうことが毎日になってきていて、そこにいる誰もがそうでなかった日常のことを思い出せなくなってきている。
これは、会社にいる◯◯籍の人らが多い。内容自体は特に意味のあることじゃないんだけど、だから進展もなくだらだらと結論が先延ばしされつづけていた。だいたい、その人たちも訴えることで本気で何かエエもんが取って行けるとか考えてるわけじゃなくなってるとは思っていて、最早イベント感というか、単なる吐け口としてあるというか、とにかく毎日…アノ場所に集合して来れば何かが起こるみたいになっているんだと思う。ただ続ける事に意味がある…ラジオ体操的な。
「訴える」において納豆みたいになっている精神状態が今は、生活の方を根掘り葉掘りで掘り起こせば何かエエもんが取っていけるんじゃないか…ていう粘着に繋がっているようである。それで僕は、「訴え」の感情論を経験したのである。最早、原状回復とかいう事もわすれさっていた。なんで、訴えてるんだっけ?という事をこいつらは、電車に乗ってる時点でいちいち確認しないで来てるんだなと思った。だから、だいたい何が発端かもわからないくらい期間が経ち、そのなかでそれぞれの個人的な経過で拗れまくってしまえば、相手の存在や言動に全てが憎くなったっていうヒステリーの状態になるんだなと思う。もうこうなると、たんなる不幸の典型みたいに思える。
僕は、よくこんなに真面目に訴えるだけのことを規則正しくやって行けるなと思っていた。というか、多分何かが楽しいからそれをやってんだろうなと思った。それがだいたいは僕が朝早くから来ても、夜遅く戻ってきた時も、ちょっと席を外してトイレへ行くときにも、必ずその人たちが居たりする。最早僕とかよりももっとずっと規則正しく生活をしているんだと思った。だから自分から「こんなにも頻繁に来ている事に対しての足代を払ってほしい」という人も居たりするらしい。こんなふうに結果と原因が既にごっちゃごちゃになるみたいな頭の構造をしてたらそれはそうも言いたくなるだろうはと思うが、自分はこれが、不思議というかもはやただ通り過ぎるだけのエコーのようにして、我が身に降りかからないようにしていただけだった。

今日たまたまトラブっている人らの話題を横で聞く機会があった。その人の言うには◯◯◯のクリエイト代金がそもそもの問題になってるようなのだ。へえと思って、でも最近こういうのが増えて来たなと思う。
多分だけどその中で問題になるのは価値に関してだと思う。向こうが良いと思っているほどこちらはそう思っていないとか、向こうが安く設定していても他にないからどうしてもほしいって事はある。だからそれはお互いでしか決められないのだ。その価値は、やる前に決めておかなくてはならないことで、それが常識だと思っていた。
けど、その人がいうには「自分らは、こういうことを言っているが、実は本当は愛をもってやっているんです」と主張して来ているらしかった。僕は、どういう紆余曲折でそんな事をしようと思ったのかは分からないが、とにかく自分がこうあるわけを一から説明することから、しろよ。とは思った。何故自分が一番意味がわからないところに居て、現在地点さえも確認しないで、子どもみたいに明日も出てこないだろう感情をねだるみたいなとこに居るんだって多分全員が感じていると思う。
だからそういう事が問題になってきたあとで根拠が愛情なのか仕事なのかわからないままに拗れまくったせいで、その後何かよくわからないがムカつくという場に一人置いてかれて、ただ単に好きで粘着してること自体が最早誰から見ても迷惑っていうことがわからなくなっているのである。



話は少し変わるけど二次をやっている人らの距離感の踏み込み間違い、自分はあまり好きじゃなく、オタク文化でもだらだらしてる感じのがどうしても受け入れられない。何でこの人は、主人公の名前を呼び捨てで呼ぶんだろうと思って見てたら、擬似彼氏みたいな感じになっているのであった。そういうファミリーの感情が自分はよくわからない。だって、ファミリーじゃないでしょ。でもオタクや二次創作ってそういう近過ぎる感情でやっているものだからそういうことは起こり得るんだお思った。
例えばアニメとかでも何か本ちゃんがあったとして、その人らがわいのわいのやっているのをほかのひとが見る。するとそれに対する二次創作が次の日までに山ほど出来ていたりする。そういうのが「二次」の性質で、だから本人は死ぬ迄特にそれに関わってる訳では無いんだけど、目の前に置かれてるエモーショナルに対してはかなり目ざといっていうのが性格なのだった。それを、辿っていくのが楽しいのが二次創作で、この人らのやってる事って特に発展性もなければただそれだけで、楽しいからやってる、仲間もだいたい同じようなことやってるから許されるっていう理由しかないんだなと思った。
そんなふうに他人がやっているっていう事自体が許しみたいになり得て、なんかもうだいたいのものに自分の頭すら使ってないんですよね。だいたい受けて、そこに入れればいいわけで、オリジナリティに対するプライドも特になければ例えば、二次に入るまでが軽い酒だとすると、そこにずぶずぶ浸かって行って、嫌な部分まで二次をやり始め、もはや自分が本人になったつもりになって、勝手に事実を動かしてみたり、悪意を持ってみたり、かと思えば、自分がそれを誰よりも知ってる家族くらいの立ち位置で図々しく説明して見せたり、それからすぐにホモとかレズみたいな定型の媒体にあてはめてから妄想してみてっていう重めの酒まで煽ってみたりして、とにかく行儀が悪いだけ。もうファンでもなければ掲示板とかに引っ付いて来る程度のヤンキーみたいになって来てる。



Cさん

いま職場にいるCさんの足が臭いというのが話題になってて、たしかに営業から帰ってきた時とかのCさん、休憩室で靴を脱いでいるさんと出くわすたびに、臭いなって思っていた。でもそういった足クサみまいな話って、変え難いことだし逐一いうといじめみたいになるなと僕は思っていた。でも女子社員とか、機嫌が悪い社員とかから普通に悪口みたいに言われているCさんを見て自分は「気の毒だな」と思いつつ、でもやっぱり、臭いもんは臭いなと思っていた。自分は、変えがたい現実に対して、足クサっていうのは多分加湿器みたいなものなんだと思うことにした。加湿器は、そうやって部署の設定された場所にあるんだけど、遠くにあるときは臭いとは思わない。でも加湿器のそばに行くとめっちゃ、湯気みたいの出て来てるなと思う。そういう、現象としてそこに出現してるみたいに、Cさん何とかしろよというんでなく僕はそういう時にだけ我慢すれば良いんだと思う事にした。
で、ある時、マツモトキヨシに寄る用事があって、その入口に立った時点でいきなり、自分は足用のスプレーの存在を思い出した。足用のスプレーをすると、足の匂いはゼロとまではいかないが、だいたい七割くらいは軽減される。自分はいきなりこれを、Cさんが使ってくれればいいんだと思った。それで、それは冬だったので実際、広い店内の中に二缶しか売っていなかったんだけど、もしこれをCさんへ買っていったら一体どういうリアクションをするかなとふと考えた。Cさんは自分の足クサのことに対して、人から言われても怒ったことがない。たしかに今メッチャ臭いっていう自覚はあるので「おいおい」くらいの返事でいつもいた。仕事上のことでも僕がいう時によくCさんはスルーしていたので、だいたいそういうとき僕は「言われてることの意味が分かってないんだな」と思っていた。Cさんがだいたいは化石みたいな人間だった。Cさんは、周りの人と会話を楽しむみたいな余裕がいつもない。自分のことを話して、その後返事も待たないままに部屋のドアを閉めて終わりみたいな感じのコミュニケーションをする人なので、もし自分が、Cさんと今話題になっていることを何のわだかまりもないままで飲み込ませたい場合、Cさんの前方に生えまくっている草をやわらかいトーンで抜きまくってからでないとならない。自分は、怒るか喜ぶか、どちらかは分からないが、とりあえずありがたがるんじゃ無いかと思った。で、自分はCさんに会ってすぐ、目の前にスプレーを差し出してみた。それから「これは、足用のスプレーで今は学生とかが皆使ってるようなポピュラーなやつだから、Cさんも外出する前に足にかけて、帰って休憩室で靴を脱ぐ時にもう一度スプレーしてみると良い」と勢いで言ってみた。Cさんは、とりあえず黙った。いつものように、やはりわけが分かっていないみたいな感じだった。僕は缶をもちながら考えたが、やはりCさんみたいな人は、事前と事後の世界しか存在していないんだと思う。つまり、経験してきたことのないことに関しては全てゼロの状態で、それが話題になりまくっていたとしても絶対に自分からは会話にさえ加わらない。「どお?」自分は聞いてみたが「必要あるかどうか分かんない」とやっと返事が返って来た。というか、特にそれに対する意見も持ってはいない模様。

それから翌日、自分はCさんに「あのスプレー効いた?」と聞いてみたのだが、「メッチャ、効いた」と言っていた。Cさんは別に喜んでるわけでも驚いてるわけでもなかったが、僕がC対策をしてそれを飲み込ませたおかげでやっと足クサスプレーの効能のことを知ったんだと思う。