To be continued

単純な日記です。

アマタであってもついに当たり前に怒られた時と当事者の気持ち

昨日,職場にいる障害者のアマタくんが自分の友人から怒られているのを目撃した。普段からアマタくんは誰が見ても良くないと思うようなことをわざわざ目前でやって来ては、それを見ている人たち全員のせいにしたりするところがあり、それが全員から「アマタとかかわってもしょうもない」と言われている所以でもあります。で、アマタくんというのは誰かほかに特定の小便器を持つのが安定しているようなので、大抵、その被害者は10割僕だったりはするんですがその派生で,障害者と健常者を小さい箱に閉じ込めておくゲームなんかもこれまでに幾つか生まれて来ました。これは、何の意味もないが優越感のフォアグラみたいにしてある下方ゲーとして存在していて、中身がエグいほどにのちのち「遺物」のように語られるのですが、だいたいはアマタみたいな山崎邦正と、その場でクソみたいに生意気言ってくる一般女子(彼氏が居ると五倍良い)とかがあげられることが多いです。で、自分は,そのアマタが、またしょうもないことをどこでもドアを開けるみたいな発想で「ウンコ漏れたでー」みたいにやってるのを見た後で,すぐさま二人からめちゃくちゃ怒られている見て、なんと自分は、それでスッキリするというよりもむしろ怖くなってしまったのだった。おそらくその場では100%悪いであろうアマタくんが、反論など一ミリも叶わないくらいに友人FとEから怒られていて、アマタは45も過ぎてるのに小学生みたいに小便を漏らしても気づいてないみたいな姿を見ては,ごくふつうに、良心を持ち合わせたるものとして一ミリもかわいそうだなと思わなかったわけではない。が、それよりもとにかく僕が感じていた感情を説明するとこんなただのウンコの壺みたいなやつに対して、自分以外の人間がしゃかりきになって怒ることが「ある」んだなと思って多分見ていたのである。なんていうか…自分の親とかが、友人とか,いとこみたいな鼻垂れてるだけの五歳に対して,「だめよ」ってたしなめる以外に本気で、白線の内側におまえだけは入るなって怒鳴り散らしているのを見たら、コワッコワッコワッてなるみたいな現象だと思う。

で…思い返せばそのどこでも小便器みたいな発想が止まらないアマタくんの餌食にいつもなるのは、これまで誰もいないときはアマタがゆいいつ名字を漢字で書き出せる100%僕だったのだ。で、そのせいでいつのまにか、紆余曲折を知らないおじさんとかは,アマタをよぶ代わりに僕を呼んだり、僕≒アマタみたいな処理をされることがあり、僕はそのたびに鼻血が飛び出しそうになるくらい怒り狂ってはいたんだけど,結局僕の人格が結局は「こんな奴のために怒り狂っててもしょおもない」みたいな感じになって来ていたので周りの人たちもズルズルの処理を行なってるみたいになってはいて、で、この人たちもいつも仲良くしてるのに、いつもはそれに関しては同意しないというか、「天気しか見えてない」みたいな態度でいて、もしくはそれに対して直系の被害者である僕が怒ってたら「そんなのに、怒ってもしゃあない」みたいなレスポンスを二、三年くらいずっといっぱいくれていたのに、昨日になって急激に、しかも他人同志だと思っていた二人が急速に結束して怒り始めた理由とはいったいなぜなのかを考えていた。僕はそのあとは、ほんとは、自分がいちばんかわいそうなんじゃないかと思っていました。