To be continued

単純な日記です。

YouTubeと時代劇の話

最近,けっこうYouTubeで成敗ものを見ていました。そのチャンネルに出てくるアニメのストーリーのだいたいの構成を説明すると,①力の無い子どもがいじめっこや先生からいじめられている②死あるいは重い障害などを負う③じつは子どもには才能or権力があったということが分かり,状況が反転していじめっこが成敗される

というだいたいそういう構成の話がみっちり詰め込まれているようなチャンネルだったんですが,自分は見ていてそれがかつて子どもの頃見ていた時代劇にそっくりだなあって思っていました。例えば水戸黄門も、ただのじいさんが実は水戸光圀江という偉い人だったりして,結局自分の力ではないですが介さんと角さんの二人が出て来て悪者が成敗されてしまうし、暴れん坊将軍でもわか様は町にいるごくふつうの若者と見せかけたあとで、裁判所で会った町の暴れん坊達に自分の入れ墨である桜吹雪を見せつけて権力というめちゃでかい重しで有無をいわさずに皆をひれ伏させるという構成だし,それから大岡裁きとか桃太郎侍もそう言う感じの構成があったと思います。自分はこういう時代劇を,構成うんぬんとかめんどくさい事を考える以前からけっこう好きでたくさん見ているような子どもだったんですが、自分の考えてみるに、多分日本人がこういう構成が好きなんじゃ無いかなと思ったんですよね。なぜ、このような構造が好きなのか…て考えるにスーパーマンみたいに普段から顔を隠してやってるようなのも多くありますが時代劇はおもいきり権力の賞賛ていう構造が,普段はそれほどパッとしないっていうファッションでカバーリングされているような感じが珍しい盆栽みたいで見てみたくなる部分なんだと思います。皆誰も信じないけど,自分が本当はアトラス帝国の500代めの子孫だったみたいな話ってけっこう皆好きですよね。これは、多分普段は周りに対して威張りまくったりするような勇気などないくせに飲み会となると無礼講で無茶苦茶暴れまくってもいいみたいな風土とか日本に花咲いている精神構造自体がそうなのかもなと思っていたんですが、自分は、この構造はアレンジしてもっと普段着みたいにしても使えるんじゃないかなと思ったりしていました。

思うに、水戸黄門とかは顕著で,ただのじいさんが→悪い奴らに囲まれて→女性が困っている→水戸黄門が印籠をだす→印籠を見て、ひれ伏すorひれ伏さないで開き直った場合、助さんと角さんが出て来て【水戸黄門の代わりに】びしばしと悪者をなぎ倒してくれる

みたいになってるんですが,けっこうこういうのって、取り寄せバッグがあるのに絶対その時は思い出さないドラえもんとかみたいになんでそうなっちゃうの?ていうガチガチの、皆が大好きなテンプレがむしろ、疑問とか、ストーリーの亜波みたいのを無視して生きまくっているからなのかなって思いました。それほどまでに強い威力としてあるどんでん返しもの」YouTubeなチャンネルではそれを生かすために子どもが使われ過ぎている&体がめちゃくちゃにされすぎていることがあって、その後で大丈夫だったよ〜って上がっているストーリーを見たとしてもどうしてもダウナーになってしまう自分がいました。

話は変わって、これを、前のときみたいにちょっとアレンジして、わたしは考えてみます。

水戸黄門さま→職場のおばさん

本当は偉い→お水の中で一番偉いホステスだった

おばさんは戦わない→キッチンスタジオアルファベット26の器具を使った料理で対抗する

どうですか?こうやって考えてみるともしかするとあれも、これも、それも、テンプレ使ってるのかもって思い浮かんでくるものが沢山あったりしますよね。そうです。それは実はあいうえおの構造を使っているからです。で、思ったんですがあれっ?「お水の花道」ってだいたいこう言うストーリーだったんじゃ…て感じがして来てました。でもあれは、財前直見は普通の事務員でおばさんだけどメイクをしたら美人のホステスでもあるっていう設定でしたもんね。ほんとに自分はまったく確認とかしていないんで多分なんですが。それから、ハッと思いついたんですが,エリートヤンキー三郎とかもそんな話のテンプレを使っているんじゃないでしょうか。あれも三郎は戦わないのにお兄ちゃん達が強いという「噂のみ」でトントン拍子で神輿の頂点まで上がっていって、年中困ってるみたいな話でしたもんね。

そう考えてみると、この世の中って色々味わい深いですよね。