To be continued

単純な日記です。

自意識過剰という言葉の衰退と最近のSNS厨房について思う事

「自意識過剰」という言葉が廃れてしまってから数年…それから日本におけるお笑い文化が破綻しはじめてから数年たち、もはや「あざとい」「考えすぎ」「っていうか,誰も聞いてない」みたいなことに対して特に突っ込みが入らなくなったというかなってゆくんだなと思う。というよりも、つっこみってナニ?痛いってナニ??かわいくてエモくてSNSの波を乗りこなすなわたしに対していったいナニ?みたいな空気が、いまなんだなーと思う。自分はSNSとかをやっていて思うが,これをやっている人間の99%が気持ち悪くて危険だと思う。思うに、それが界隈がどこかおかしくなっている的な訴えというより、ちょっと離れて冷静に客観的にメタで見てみるに、「単純に,そこにたむろしてる年齢層が自分とまったく違う」っていうふうになってきてるんだなーと思う。だから、わいわいたのしい面白いだけでやっていられる十代〜二十代,三十代はじめのひとらがそこにいるのだとして、そういう空気感をツッコミ100%ナシベースでやり続けている楽しい感じが「いま」なのである。で、それを遠目に見て,コワッと思っているのが自分で、これにたいして、「ツッコミやりまくる文化」みたいのも、自意識過剰みたいのがハズイってそもそも思わないんだったら、もう亡くなってくんでしょうね。日本の「かわいい=閉ざされた小キチガイ達」の文化も、こんなふうにおんなじような地点をグルグル周り続けるみたいなので、ツボ的な基本の骨構造がいつしか出来上がっていくのかなあって思いました。だいたい思うけど,SNSとかYouTubeとかでアップロードするっていうと、「訴える」的な方向性で放つところにみずから立つうえに、そのうえで「でも、意識とかしてないですけど?」みたいな空気をサムネで放ってきやがるじゃないですか?あれを、ずーと見続けて来て,しまいには、頼むからその態度やめて,自分の欲求をそうやってカモフラージュして正当化するのやめてくれませんか?みたいになってきている。もう、はっきりいってそれは、自意識に対して,「出たい」の100連覇じゃないですか。だったら、後ろ姿のみサムネに出すとか,平々凡々な夫婦の顔下だけ出してだいたい洗練はされているみたいな空気やめて「出たい」っていうTシャツでもきてこいってわたしは、思うんですよね。思いませんか?こういうの、動物チャンネルなのにやたらと、飼い主からのセックスの暗喩が漏れ出してくるみたいな疑問とかもあり、こういうのが、疑問のコップからもう、毎日ドバドバ溢れまくり続けている果てに,自分はふつうにもう、見れるもんしか見れなくなった。それは、いま見てるものがちょうどいいからに過ぎなく、それ以外が,バカが自意識過剰で出たいTシャツを着てこないせいだと思う。出たい出たいっつって。これは,誰もそういう成り方に突っ込まないからだと思う。このようにしてYouTube界隈が次々と整理整頓されないまま色んな概念を排出し続けていて、「もうお笑いは既に死んだ」と思った。彼らは視聴率に飢えてるっていうだけでやるべき事をもう一切やらなくなった。で、それでいて、私の場合、四十以降のサーファーとかが生活感があふれるアノふてぶてしい「全生活、全私見入れ込まれたるべきSNS」みたいなのにも馴染まなくて、気持ちが悪いと思ってしまう。いっぽうでマイノリティがどうのこうとのいいつつも、主婦はSNSやって良いとも思わない。あたしは主婦だからあっちもそっちもどけいどけいみたいなことを殊更にわざわざ言いまくるみたいな態度に対してもじゃあ、子ども見てろよみたいなこと思いつつ,家事片手に、ゲームやってるみたいな気持ち悪い実況をやるなよとか、とにかく気持ち悪いと思っているのだった。

なんかそういう,まだ知りたくもない他人からにおってくる「欲求と発散込みの自己紹介」ってウエッて思わないですか?主婦がSNSやってるって、そりゃいまの日本で,ゴリゴリに寂しくて暇持て余してるからやってるに決まってんだろって自分からビーム放ってるようにしかわたしには見えません。

だったら、わたしは一歳時のときにウンコ漏らしまくってたみたいな事わざわざ、言わなくて良いと思うように,言わなくて,趣味はカードゲームですで、良いじゃないですか?そう思わないですか?わたしがきにしすぎるでけですか?

おたくとか、地味ネタ系の人とか、基本誰とも絡まないですしね。

じゃあ、バイバーイ