To be continued

単純な日記です。

18/05/13

新しく配属されてたのは飲み屋の会計を付けるという仕事で、店長の補佐みたいな仕事をしながら、毎日顔を出したりその都度でアルバイトとかと一緒に働いたりしていた。あちこち回って多分五、六軒くらいは移動していて、その傍ら、前もやっていた本を読んでまとめて→要点を送るっていう仕事もやっていました。今またその仕事の方が急速に縮小しつつあるので、自分は平日たまにまるまる一日空いたりする日を小説を掘り起こして書くのに当てたりしていて、その中のいくつかが進みそうな気配を感じていた。飲み屋にずーっといて、そのうち顔を知られたら「いる」っていう事だけで人が来るようにもなるらしくて、めっちゃ声デカい人から引っ張られたりした。だから今は自分の中にあるのが「全酔っ払いに対する対応力」みたいなものだったりします。で、そこで流行っていたのが仮想通貨で、そこにいる人達は皆それについて話すのがブームみたいだった。仮想通過といっても色々な種類があるけど流行っているのがあって、それについて情報を共有してみたり大穴を狙ってみたりするのが楽しいらしい。とはいっても、一見それはギャンブルとしても使えるし普通に趣味として仕事の傍ら程度でやっている人もいたりして、何人かはブログも書いたりして居るので、それもたまに読んだりしていた。
自分はこういうので、アクセスを稼ぐのが正義になる→稼ぐ人がタレント化していく→タレント化して来た人が色んな社会的スキルを身につけてって非人間てきになる
みたいなのを見ている時間がかなり嫌で、そういう世界に対して食傷していた時期があったんだけど、自分の見る限りはかなり大人しめにやっている人が多いみたいだった。
何をするにつけてもどうしても新人とか、古参の考えかたみたいのがあるとは思うけど、ここにいて自分は冷めた目で見てしまい、仮想通貨自体にはどうもずっと参加できなかった。ずっと参加していないとそれがどうなるのかを、自分は観察することになり、日記もそれがずっと埋まり続けた。「皆がやっている事をわざわざしない」でいることで、別にそれが義務とか、正当性があるみたいな事でなくても幾らか申し訳なくはなって来る。自分は、別にそれに参加しなくても良いことは知っていた。だから、最早これがひとつの、実験ベースみたいなものと考えてみて、自分がいつかどうしてもやりたくなるのかorやらない事にどれほどの危機を抱くのかみたいな話になる。それ以後、あらゆる理由をもって誘われ続けることになる。というか、これは「暗の圧力」であって、誰も「やれ」とは言わない。それは、「やれ」といったら負けだと多分思っている。だからどうしてそれをやらないでいるのか、こっちにいればずっと楽しいという演出とか、仲間意識とか、別に聞いてもいないのに毎日届く状態になる。けど、正直楽しく無い。楽しく無いというより、意味がないに等しい。例えば、結局人がいればそこに生まれるのは必ずノールール&ノーマスオセロみたいなもので、色々ないざこざ、それから痴態をここで目にする事になる。僕は、多分これは「炎上してる」のだと思った。これだけ、必死感が漏れ出てるのに自分で自覚できなくなった人が場を荒らしてるのが日常になってるんだとしたら、最早それは炎上じゃないかと結局思った。自分はだから、結局どうしたいのかを何故決めないのだろうと思った。ここが起業家のチャンスだと言われてるのはそこで皆の支持を得られるとかいうことじゃなくて、どれだけ稼いで、何をするとか、スキルを学ぶだとか、そうで無ければ、たまたま生えてるクサみたいに暗躍するんでなくて、自分で勝ちを作ってしまうことにしかないと思う。たったそれだけのことに、何故気づかないのか。これは人がまわりの人の真似を入り口にして色んな事をするからだと思う。
これが危険だと思うのは、自分ベースを持たない人は、常に人と自分を比べて危機状態に自らなっていくって事と、余裕がなさすぎるっていう事。会話すら成り立たないで毎時間、仮想通貨の話を持ちかけられて「え…うん」以外の返事なんてできそうにもない。
 
仮想通貨〜飲み会と、雑多な大人が集まる場にいて、けど多国籍部署にいる時よりは表面上落ち着いていたと思う。
自分は他人に興味を抱いたり、他人から興味を抱かれたりする事への対処、なんでこんなにも人それぞれ何だろうと思った。自分が迷惑なのは、イメージの時点で、「必ず、そういうふうになるだろ」っていう感覚で話を持ちかけてくるタイプの人。その強固なイメージ、そこに行き着くまでに色々なとこを通って、そうじゃないを何度も繰り返して作ったものであっても、ぱっと結論を出されると「毎回このレベルで良い思いができるはず」って人ってなるんですよね。はっきりいって、それはないです。それは、毎回入り口で全く知らないもの同士が会って、「相手をどうにかして知る」というターンを毎日少しずつへてからそこに行き着いてるのに、楽…しようみたいな気持ちになっちゃうんですかね?ふつうに、相手に尊敬を抱いているような関係であればいいけど、飲み会みたいなとこにいると基本、優位にいるってことを元手にして何かを引っ掛けて引き出しに掛かるみたいな論法の人ばかりだったりした。そういう、仮想通貨のみでわちゃわちゃしているみたいのがあるとどうにも毎日尊敬度が下がって来てしまうのは当たり前で、そこに哲学とか、いやらしさに対処すべく人間臭さみたいのがあってはじめてそれ以後で「しごと」になってくるのに、はんを押したようにいい結果がある「はず」みたいな態度とかイライラは一体何なんだとずーっと思う。
無駄なのは、押し合い状態になったあとでこの尊敬をどうしても欲しがるみたいな態度。もうお前、辞めた方が良いよって何度も思った。
が、基本的にべろんべろんに酔っ払ってるのがそこにいるひと達で、それがカネという上がり下がりするもののパワーなのかなと思う。成功したときの記憶、それから失敗者の記憶を引っ張り出して来て自分で考えたのでもない方法論であがく。なんていうか無知とか無秩序、これに対してはどうしようもないと思う。
それから平日の中でどう時間を捻出するのかを考えつつ、ぜんぜん集中出来ない日もありながらも小説を少しずつ書いたりしてました。これに対してどれくらいの時間を消費したかは不明…周りの人から見られて「調子いいね」「調子悪いね」と言われたりするけど、そんなに違うもんかな??自分から見たら、他人だって調子良くてチョーシこいたり、調子悪くて二週間軽く休んだりしてるのに、自分のことは何も説明せずによくそんな他人の体調ばかりを気にしてられるなと思う。ほーんと、人間ってイヤらしいですよねえ。