To be continued

単純な日記です。

おカネさまのこと

こんにちは。

最近、お金の使い方が良くなくて大損をするという知人を何人か目にした。こと「お金の使い方」において僕はほぼなんとなく、気分でやっているという自覚があるため特に言うべきことはないのだけど、でも、逆に、自分がおカネを使う立場だったら一体どういう興味を持つのだろうと僕は考えていたのである。

僕が思ったのは「お金にも人格がある」ということだった。お金に失敗した人はこの部分をはき違えていることが多い。だから、いきなり得をしようとして一千万くらい無知な上で使ったとしてもリターンはそれほど期待できないだろうし、ほったらかしにしておいたとして一年後死ぬほど困った時点で思ったほど助けてくれないのは当たり前なんじゃないだろうかと思う。なぜ、お金に対して全裸にはなるのに挨拶はしないのか・・・僕の考えるにやはり皆お金のことを過小評価、あるいは過大評価しすぎているからなのではないだろうか。

ここでお金のことは単なる一人格として考えてみる視点にシフトしてみる。

 

努めて僕は、そういうお金様に対してはあまり興味がないふりを醸し出し続けていた。ただ、とにかく強制的にお金を使い続けなければならないとしたらどうするのかなっていう話です。

①お金にも人格があると考える

 

②お金は欲求を吸い取り続ける

 

③お金は結局、誰の手元にも戻らない。ただ、思い出だけが残る

 

つまり①~③を考えるに、自分の身長と体重を図るためのツールだと考える。

それで全部終わった後でみんなと図り比べてみる。※殿堂入りした人は、ミスチルが聴ける

 

④お金に願い事を唱えることで一生それがかなわなくなる

お金には人格があるが、それは「復讐心」でできてている。お金に願い事を唱えるのはタブー。

 

⑤お金は、下手に出ると足元を見て来る

お金の前では胸を張っていないとならない。ムンっ!!

 

⑥お金は使わないとはたらかない

お金を褒めても、けなしてもうんともすんとも言わない。ここぞというときに使いたい分だけ使うと、メダルがいっぱい出て来ることがある

 

 僕の思うに、例えばひとつの仕事をするにおいてもスケジュール管理やら資料、それから人とのかかわりだったりいろんな前置きを必要とするのに、ことおカネにおいてはパンツ一枚で現れて小汚い素手で触ったあげく「お~、あったあった」「もう、ないんかい。」っていうリアクションをするのってすごく変じゃないかなと思うんですよね。

お金だってきちんと場所を与えて使い時に使ってあげればもっとたくさんリターンをしてくれるものだと思います。僕自身は、気分で使っていますし、関わるの面倒くさいなっていうのをぬぐえませんけど・・・もっとこういう意識をコントロールして、いっぱい投資したらスペックはそれほど悪くないのでナンバーワンにはなれるんじゃないかなと思ってます。

 

 

 

今日は気ままに書いてみました。皆も親しみを持つためにお金にマイネームを付けて呼んでみよう!

 

 

 

バイバ~イ!