To be continued

単純な日記です。

アニマくそババア

最近、数年間連絡を取り合うだけでずっと会えていなかったKくんと何度か会う機会があった。あまりまともに話したことがなかったので「ふーん、こんなこと言う人なんだ。こんなこと考えるんだ」と思って新鮮だった。だいたい会ったのは3回くらいで、じつはそれきり話してない。僕は、とりあえずKくんがこんな空気みたいなふわっとした感情で話しかけて来るひとなんだなと思ったのだが、それ以後で話していない。とりあえずKくんと会い、だいたいはKくんの話していることを聞いていて思ったけど、自分が何が嫌いで、これに対してこう思うっていう話、他人が特に聞いて来てない時点で自分はこれほどまでに人前でして来たかなとあらためて思い直させられていた。
たとえば「何々が嫌い」っていう話、あまり関わりのない他人にしてしまった場合、もしかすると共感を呼んだりするのではなく「それを話してる人」の所属っていうメッセージに成り代わってしまうんだなと思った。それで、へえって聞いていて、Kの魂胆がよく分からなくなった。裏にそんな情報があるって言っているけど、自分が浸ってるわけじゃなかったので「えー…。で?」と失礼ながらその時はおもっていた。自分は結局、演説を話されてるんじゃないかともはや思われてきていたんだけど、繰り返されるあれがヤダみたいな仕分けは、自分の信念とは合致してないってことだった。で、あれを取らない方がいい、そういうのは自分の築きたい未来とは合致していないからなんじゃないかと思えて来ていた。で、繰り返されるほど他人にもそうして欲しいから言ってるのかなと思えて来ていた。で、そうなるとこれはこういうものって思うのは、まあまあそれでも、僕はKくんが好きだったから、へえっていって、それから二度と合っていない。

今思え返せば多分Kくんは「思っているより人の種類が死ぬほど多い」っていう事を体験してきたことを言っていたんだなと思った。でもそのとき僕は、まだ地上に出てきたばかりで、Kくんがホームステイのホストみたいに迎えてくれると思っていたのに、唐突に、そんかふうにケーキを木っ端微塵に切り分け出すみたいな「技」を見せつけてこられて、だったら自分も人と会っている時にこれほどまでに、聞かれてもいない時点でナニがすき、ナニが嫌いって話してたかなと思わされていた。で、書いてきたものや、ここの日記を僕は、見直したくなってきた。たしかに、やられてこられたことに対する恨みつらみばっかり書いてはいた。それよりももっと、押しつけてある部分の方が多かったのかなと改めて思う。とくにKという人格に対して。
それで後で一人で考えた果てにこういう議論とか経験とか政治的な話をしていたりすると、お互いの違いというのが白日のもとに出てくるわけだから、それは距離のみを感じることってあるんだなと思った。僕はKと会って遊んだり話をして見たいと思っていたけど、そういう場がはじめてこうやって用意されるとこういうのがはじまってしまったこと対して自分の人生とか、性格みたいなものに問題があるのかなって思ったり、あとは、ふつうにふつうのゴキブリが湧いたみたいなどうでも良い話はしたらいけないのかなって思ったりしていた。

で僕たちがあらかじめ勉強していたそこで、アニマなんだと思う。だから…それだから僕はアニマを表して来たんだと思う。これは、必要だからやってるんだって。政治的なことも論理的なことも人間が言葉と社会性を持った時点で必要なことで特に今、どうでも良い話や人が溢れて来ているんだから、かっこたる、構造の話をしたいじゃないかってKがなっているのも、多分分かる。僕の感情がついて行かなかったっていうだけだったんだと思う。

アニマ

で、アニマの話に戻れば芸術や文学のなかで繰り返して表される部分で、それは日常を当たり前にすごして行くことで次第に消え去ってしまう自分にとって必要だった筈の領域で、英語で表すとmamaみたいな話になると思う。伝えるべくしてある以前の人格、それとの融和。アニマ。それなのに、ある人から「ピンクピンクした〜」という表現を使わされたこともあってアニマに対しては持ち出したり説明する事事態に最近は正直言って萎えていた。


そういった行き違いに対してべつに、何か自分が意見を言いたいわけじゃなくなっている。とりあえず自分はもうゼロから十まで身を持って学んでるんだから、アニマとかスーパー銭湯みたいな場所は、いますぐに必要でなくてもある時に物凄く必要になったりすることを僕は知っているんです。部屋の間取りを区切って行く時、ついいまははしょってしまうところだけど、それは存在感を意識しておいても良いところだと僕は思う。許しとして。許しがなければ人は頑張れない。そういうことを、いま僕から元気いっぱいの人達に対して、自分がそれほど元気がないのにという事に怒り狂って血管がはち切れるくらいの勢いで説明しても無駄ということを知ってるので、僕はとりあえず待つことにした。だから、誰かが、やっぱり困ってから「やっぱりごめんね。必要だったのに、アノ時わたし元気すぎてアニマがわからなかったの」てなるんだろう事を僕は知っている。

ただそういう自分の態度を見た人達は、僕が若くて細過ぎるというだけの理由で「待ちすぎ」みたいなことを言って来たりすることがある。待ち過ぎ&ピンクピンクした、ていうけど、僕がそれを、死ぬほどやりたくて死ぬまでやってるだけだって本気で多分一部思っている人がいると思う。だが、これが僕がボーリング大会11年間チャンピオンみたいな出立ちだったら誰も「ピンク…」みたいなこと言ってこないで有無を言わさずに従うだろうことも、僕は既に知っているのである。だから本当に僕は、人って本当に勝手だなと思う。



アニマとは - コトバンク