To be continued

単純な日記です。

今日は小説を書いていました。ただ、書いた…それだけです。それから色々な事があったので今後も、何か起こるたびに何を考えて感じていたとしてもそれがどこかに繋がると言うより他人のお楽しみの部分に毎回入れ込まれることで、自分の人格自体剥奪されてくる気持ちになっていた。そこで、もはや何かがどう言われているような事が自分に対して糧になるとも思えない。ただ限りなく現象の時点で他人があるっていう状態になっていけば、どうせそれが天気みたいに変わっていくんだしこれまでのように胸を痛めたり、頭を悩ませていちいち意味とかを考えなくてもいいような気がしていた。

何故か、はじめて会った他人を何の理由もなく信用して来たこともよくあった。でもいまから思い返せばその信頼にどれだけの意味があったのかと考えさせられた。皆、結局未来予測をして良いとこに乗るためにずっと黙っていたわけだなと思ったあとで、それに対してそれ以上の思い入れを感じられない時点に自分がいれば、それ以後超利己的に、これまで本やドラマでただしいとしてあると思い込まされていた人っていう理想の方ではなくて、自分が生き残ることを第一に考えるようになっていく。そう考えるにこれからはこれまでの普通っていうこと自体をなくしてしまって、ふつうに、誰かを信用して、約束するって言うことをする必要性がどっかに行っちゃったような気がした。もし相手になにか意味があることをするんだとしたらリターンなんだろうと思う。やってもらった分をかえす、そういう普通のことができる人と向き合っていくけど、それは多分いつも有限なんだろうなって思う。だってこれまで、全く何も返ってこなかったし。何のリアクションもないものを天気や現象以外の何として崇め奉ればいいのか…

で、そんなふうに自分の範囲内だけで考えてるときにそもそも「信用」って何なんだと思えて来て、それについて考えていた。
信頼感があるみたいな性格があったとしても色んな事がクソミソに詰め込まれているせいで、それが数時間で変わる世界にいれば何の意味もない。とりあえずの安全性とか、秩序が二十四時間くらいは保たれるっていう事を、相手に委ねてる事を信用って言えるのかもしれない。だとしたらそれ以後、自分がしたい時にしたいことをしたいだけするようになる。もう原始時代みたいに。もしかするとそうなれば自分の行動パターンって多分動物みたいに見えるんだろうと思った。それか、本来の生理か、たとえば、こなれていない国同士みたいな。動物も、見ていれば相手に要求もしないし、家族以外には愛着もあまり持たない。で、訪れるところは、それ以前に何となくいい事があったところで、そこで、もういい事が起こらなければただそこに行かなくなる。でも動物と人間と比べて、動物は圧倒的にエゴがすくないと思う。エゴがなければ相手に命令もしないし、相手の行動をわざわざ引き出す行動もして来ないと思う。


で、結局毎日はたいした動きもないのに一日の終わりに会議で結論や感想みたいのを教えてもらう集まりになる。それが毎回不毛だなとは思っていたが、べつにこれはある意味で「カベ」で、参加することが体力なのかも知らんが、そういう結論を見に行くの自体が時間の無駄だと感じ始めたわたしは、もう集まり自体を否定するようになってきました。そうして、もう何も見なくてもいいんだ…!と感じたくらいから、あとは自己責任の世界で自分の好きなものを見る、捨てるみたいな感じになる。思い返せば、いつも自分の背後にあったような他人の見方、声、それが、かろうじてたのしいって感じられていたギリギリの体力状態の自分から、自分はもう、卒業したんだと思う。
こういう会議で、未だそこまで言ってないのに結論を、批評とって血眼になっている相手に対して、感想でなくて会話っていう形式でやればいいんだと思ってみていた。おまえは早めに結論を出したいのかもわからんが、とりあえず会話を続けてください。そうすればあえてまだ何ともつかないものに対しても引き連れてくみたいに状態を維持できてく筈だったし、そんなふうに会話=相手の言うことを受けて、半分くらい返すみたいなやりとりが必要になって行って欲しいとおもったが、多分皆カネに目が眩んでいるから誰もそう言うことは考えてないんだろうなと思う。


ちゃり〜〜んッッッッ的な。



戦争はただの殺人


で、ニュースとかいろんな情報がてんやわんやで入ってくるような毎日になった。コロナの時も、それから大事件が起こった時もそうだったけど、自分もそれについて話題を追っていたが、あまりに声の方がうるさくなってきて眉唾みたいな記事も増えてこれば誰かの恣意がいっぱい働いているんだろうなと思えられて来ていた。僕は、これまで起こりそうな物事に対しても殆ど皆がシカトする状態であったことを、ニュースが、今さら怒るべくして起こった事に対して目まぐるしく変わってくる情報を逐一出して来ていて、感情論さえ湧いて来てるのを見て、こいつらはいったい何なんだと思えていた。それを言ったらあっちだってこっちだって、ミャンマーだって酷い事になっていたじゃないか。せめて民主主義について興味出して考えたり話したりしないのかと思っていたが殆どはそれに対して疑問もいだかずに事の起こりも調べずにお笑いを見たりしてゲハゲハ笑っていたんじゃないのかと思う。こんなふうにエンターテイメントみたいに流布されて初めて感情論さえも飛び出して、それだったら誰が選んだのかもわからない記事を読まされているよりも事の起こりについて個人が考えたほうが良い気がした。ハンコがどうとかおまえが勝手に考え出したのかも知らんが、もうどうでもいいわと思った。もう正直、そこで話とか合うわけがない。