To be continued

単純な日記です。

氷河期


◯恋愛厨から攻め込まれ続け、僕が砦守ってただけの期間

個人的な恋愛の話をラッシュのようにずっとされていた。話を聞いて、別れて、後でLINEや電話で事細かにその話をまた持ち出し相談されたりし続けたのだけどなんとなく、これって嘘なのかな?とかすら感じ始めてきて、こわくなってきたのとこれこそが最大のストレス源だなと感じたので返信するのやめてしまった。
話、聞いたり答えたりするのは嫌いじゃない方だと思うけど、「こんなにも暗中模索の質疑などない」と感じていた…。もうそれは、恋愛の話は脳内がピンク色になって口から思わず出てくるような方向性不明の問いかけでしかないと思う。だから、正解云々とかよりもノリが合うか合わないかしかない。僕も話しててしばらくしてから以後は「そんなもん、臨機応変でしかない」と思えてきて、気分によっては真面目に答えたりもしてたんだけど結局もてあまらした女ザルをコワイと思うだけになりたったひとりで切れるという結果になってしまった。

◯小説って、おのれの絶対性を説くためのツールなの?


僕が最近食傷気味だったのはそもそも、そういう疑問があると思う。これはたとえば、スプラトゥーンのようである。Aさんがマイワールドを構築したあとで、そのAワールドを受けたり噛み砕いたりするのでなくBがまたあらたなマイワールドを構築してゆく。皆が皆、そっぽを向き、反省も、いまある現状や問題に悩んだりすることもなくまわりなんかないかのようにして「マイワールドいっぱい作っていく」みたいな運動。
それで、こじ開けるとなんとなく不快になる。すべてがそれなりなのに、いったいこれはなんなのだろうと思うのは、それぞれがまだ、互いにそっぽを向いたまま満杯に認められたさを投げつけ合っているからだと思った。
感情を言葉にする時、方向性ってのは明らかだと思う。「じゃ、どうしてもらいたいんだっけ?聞いてもらいたいだけ?それだけでなくオッケー言って欲しい?」てとこまで、考えないから僕は投げ付けられている気分にはなる。
たとえば、問題が起きるとする。自己実現というとこに立っているとすると、問題と対峙する期間がそうなのかもしれない。けど、結局自己完璧には認められないもっと大きな世間は存在している。これが段階的にモラトリアムの終わりだと思う。
そういう時どうするんだ。人は色んなことに逃げる。言い訳する。僕もいっぱい、逃げてきた。そういうの込みで、自分がどこ寄りの人間なんだなみたいのは見えてきた気がする。
それは人それぞれにある。だから、世間のせいで羽ばたけない部分もあれば、自分のせいでうまくいかない所もある。
それは皆が皆同じ筈なのに、自分だけ特別なんだとおもってて、それを発することを常に厭わない。
完璧に嫌いな感情に近いと思う。
こういったこと、成功者であれば余裕を持ってよい部分を採点してうまく突き放すみたいなことは出来るんだろうな。
僕もお前はそういうのをなぜさらっと受け入れないのだみたいな疑問を抱かれたりするけれどこれに対してはものすごい反発を感じる。僕はその人たちに認められてるのではなくキモチワルクなで擦られ続けている時点でしかないからだ。
けどこうやって書き連ねていくに結局それは、互いの認められたさがずっとぶつかり合ってる状態なのかもとおもった。僕自身はそれが時間の無駄だと判断してはなから逃げていたし、向こうは反抗心と誰かへ向かう性欲や感情をこじらせたままでそこにある。
言っとくけど僕は何かして欲しいなんて言ったことない。もし、そういうことがあるんなら強烈にちゃんと頼みまくるんで心配などしないでください。

◯誰も信用しなくなった

それは去年の終わりから今年にかけてあったこと、会った人の影響で僕は一切誰の事も信用しなくなった。話を合わせる事は出来るけどそれ以上求められた時の不快感が半端ではない。


◯結局は、自己さえもツール

最終的に弱音を吐かなくなった代わりにどうせそれがツールでしかないと思うようになった。この辺の視点としては自分の身体から尊厳が離れてしまってボコボコに殴ったりゴミ箱突っ込んでもよいものと感じてる「あきらめ」の状態に似てるのだと思う。
そして僕は人の笑い声を毎日聞いている。



ていうわけで、文学界隈の未成年の会話には完ぺきに付いて行けなくなった。
今趣味の友達とたまに会って時々話したりするけど皆常識的ですごく居てラク







おわりです。バイバーイ⊂( ˆoˆ )⊃