To be continued

単純な日記です。

最近はけっこう出歩いたり人とあったりすることが多くて、読書も色々なものを読んでみたりはするけどそれほど腰を据えてはしていなかった。何か、書くよりもこういう時期なのかなと思って雑然としたままで交流したりしていた。これが多分、波みたいに現れてくるような時期なのだと思う。ちまたではコロナのことが言われていたりもするけれど、外では人のいるところへあまり行かないようにしているくらいで実際それほど意識していない。けど今日聞いたニュースではまたコロナの騒ぎが大きくなってずっとすごい剣幕の「否か有か」というような話は続くんだろうなと思った。僕の考えはコロナ自体よりそれで儲ける人、損する人がどれくらいいるのだろうという感じがするのだけど、これについてはめちゃくちゃ連絡してくるグループLINEの人もいたりして興醒めした。いかなるところにも資金が埋まってるという考えはあるのだ。否か、とかいうけど、そんなの知らないし、変わり続けてる中で何を求めてるのだと思うし、実際有事でもそうでなくても常に気をつけるしかないだろ…という気分。裏に沢山の利害関係が絡んでいそうだなと思って、それなら自分のお世話になった人がもっと特をしてほしいと思うのだが、僕のお世話になった人はだいたいそんなことを求めていない人の方が多い。なのですべて、関係ないのでしかない…それで、何か玄関に入ったらすぐシャワー浴びて、顔や髪も洗う方がいいみたいなことを言ってきてくれる人もいるのだけど、思うに、そこまで来てたらもう避けられないよねって僕は思った。もうその辺まで来るといくら抵抗しても有事起こりうるのパーセントがでかくなるし、抵抗など無駄である。僕はこのパーセントについて新聞を読んでて思ったのだけど、実際や真実、正義というものは別に人は求めていないのだなということであった。ただしいが必要になるのは割に特殊な事情のある人たちだけで、政治っていうのはだいたいのちょうどよく見えるように演出された方に転ぶのである。多くの人はそれについて、真剣に考えてなどいない。だいたい、それは六割、七割くらいただしく、またあと押しし易い理由をフェイクでも用意してもらえればOKを押すのだと思う。僕も多分そうなるだろう。だから無駄と思われてもあんなにもニュースはフェイクを流し続けて、そしてそれが蓋をあければまかり通っているという驚きである。けど僕は、表舞台で生きているわけじゃないので本当に実際、関係ないとしかいいようがない。
何となく、やっぱり引きこもりたくはなってきた。SNSについても考えたけれど、色々と合う合わないとかもあるけど、それよりも要不要で考えるとやっぱりどうしてもSNSは不要で、そもそも楽しめないのならやる必要ないんだよなと思えてくる。
そもそも僕はTwitter特有の文法の、あの何も考えないで投げつけてくる勢い自体が無理で、浅い発見を見るのが無理で、他人のなんの透過もへてない吐露が無理で、生活も無理で、アピールがいやで、人格も無理で、クラスターの紹介も無理で、なんもかんもすべて好んでないのだと事あるごとに思う。人をみていて、それが楽しいと思っていられることにおどろく。僕は、酔っているか、そのあとですぐ扉を閉める気でいつもいる。だから、違う人達を、特に見る必要ないよねって思った。もっと選べば良いのかもしれないな。なんていうかな…普通に生きてて、ちょっと違うなっていう人、すれ違うだけでなくて思考まで入ってきてそれにたいして甲乙を自分が付けなきゃいけない、それすべて込みで無理だな。けど僕のように足がない生活をしている場合、SNSとかネットって生命線みたいな感じなので、無にするとこれがまたネックにもなるんである。