To be continued

単純な日記です。

今日更新した二つの記事、本当クドいなと感じた。今日はもちろん、仕事だった。朝からついさっきまで。僕は昨日くらいに新しく買ったコートが何か似合っていないような気がしていて朝も、そのことしか考えていないまま仕事場についたのだけど、同僚の皆様から「似合っ…いや、ふつうじゃない?」と言われて安心しました。それ以来僕は普通にいつも通り働けるようになりました。
今日、とにかく平日なため店舗は閑散としていました。この店は、暇なときは笑ってしまいそうなくらいに人が入らない。僕は、このことに対してとにかく、「無駄だなあ」と死ぬほど思う。もし人生というのが川の流れだとしたら、その川の水がそのまんまマンホールにズドドドドドーッ!て入っている状態になくらい無駄だと思う。そこには、生産性…コミュニケーション…精神活動…すべてゼロの世界がある。生まれる前の宇宙くらい均衡のとれた社会がある。もう、数時間客が来ない…このような、街中で…そんなことって、あると思いますか?そういうとき僕は考えたのだけど、もしかするとこの店はもう、そもそも無人でも良いのではないかということである。今は、レジもセルフになったものが多いけれど、僕は常々、レジではなくてレジカゴにセンサーを付けて精算するシステム作れそうだなということを考える。あの、GUにある、商品を指定しなくても機械にぐしゃぐしゃに入れればバーコードを読み取りすべて判別してくれるレジがあるけど、あのシステムを持ってすれば人が入り口を出ていくときに勝手にピッて精算するみたいなシステム、普通に出来そうだと思う。これをなぜ、機械化しないのかというと、技術的にはもう足りているけどそうなってしまうとつまんないからとか、一段階ずつやりたいからみたいな感覚がある。ドローンとかも実はフェイクで、本当は超小型精巧ハエ型ロボットみたいのも出来てると思う。

ところで、知り合いが知らない間に漫画家デビューしていた…みたいなことがあったとしたらどうしますか?僕はこういう体験を最近3、4回したのでけっこうびっくりしたのだった。でもこういうの、よく見てみるとその人の特徴があるようなないような感じがして面白かった。◯◯イズムはこういう仕組みで作られているのか…的な。僕は名前で見ただけなので、もしかすると違うのかも知れない。(確認はいつもの通りしていない)考えると多分違うように思えてきた。

で、文芸やるについてだけど、今日はなにひとつとして進んでいない。それよりもスマホでダウンロードしたゲームの方にあり得ないほどのめり込んでしまって汗だくになって夕方の休み時間を過ごしてしまっていた。バカじゃないだろうか?僕はもう本当にこういうことを辞めたいと思っている。で、やっぱりこういった意識的な文章と、詩や歌というのは質が違うんだなあと最近は感じた。詩、というのはリアルでは恥ずかしくて言えないような本心が並んでしまったりする。バナナ、チンコ、セックスセックスばかり並ぶ僕の文章だけれど、感心してくれる人が図らずも居たことを知り、はじめて実感として書いておいてよかったなあと思った。そんなふうに、素直になる瞬間というのを、忙しすぎたり頑なになるようなやり取りばかりしているとなかなか持つことが出来なくて、わだかまるばかりになる。けど、これってこころのシンプルな部分で会話しているみたいで、充足するという感覚を久しぶりに味わったのだった。なんていうのだろう。「…ありがたい…!!!」それの強化版だと思う。こころ、って大事なんだな。それから、素直に吐露出来る様になるまでの過程、自分もなかなか遠回りだった気がする。そんで、伝える側が素直にならないと受け取ってもらえないものなんだな。全然、知らんかったわ。何か本当、こういうことを書くと自分勝手と思われるかもしれないけど、僕の話を聞いてくれる数少ない人というのは、僕が何か言うと、ちゃんとあたまと心を使ってそれを考えてくれるんだなと思った。だから僕はその、なんてことない事というか、過ぎてしまったことが、他の意味を持ち得た事にびっくりしたし、それは文芸というのは本当におもしろいと感じた。今まで、嫌なことの方が多かったのだけど、僕はやっと、自分の実りの方を手にしたのかもなと思った。本当に、何かわからないけどやっと…!って今までけっこうレスポンスもらっていたにも関わらず僕は思った。僕はとにかく、十倍くらいに膨れ上がるそれを見ていて僕はもっと頑張らなきゃいけないと思った。文芸、それはイコールで豊かさっていうものなんだなと感じた。豊かって思えるようなものを僕も書こう。みんな、コングラッチュレーション!!