To be continued

単純な日記です。

バナナ神10%どこにある問題

最近、西友の自社ブランド製品のバナナチューハイをよく飲んでいるんだけどおいしいです。このチューハイ、チューハイにしては珍しく果汁が10%も入っている。とりあえず、バナナの果汁っていう時点からすごくないですか?
僕もこれを、爆笑しながら購入したのだけど、飲んでみておいしかったのでびっくりしてました。今日も、五本目くらいに飲んでみました。感想は、果物は、体が欲する味なんだと思った。たまにストロングゼロを飲んだりもするけど、あれはガソリンを飲んでいるみたいな気分になる。

文芸の人たちは皆本を読みまくるので、僕もその恩恵に預かろうとして、連絡を取るグループみたいなやつがあった。正直言って最早有益な情報などないと言ってもいいのだけど、たまに自分も読んだのを教えたり、教えられたりとかは未だしている。最近は本を全く読んでいないため、ラインを見ることすらしておらず多分死んだんじゃないかと思われていると思う。けどこれについて考えてみたけど、実は生きてるとかいうこともなく、もう既に僕も死んだようなものだと思う。
いっぽう小説を短編でだけどマアマアなやつが出来てたりするので「つくるペース」でいえばいいテンポだと思う。だから特に、本を読む必要も特に感じていない。
身の回りの人のほとんどは文芸を「ツール」だと感じているんだと僕は思った。ツールっていうと、自己主張、自己実現、友人と繋がり評価されるためのツール。けど、ツールではなく研究のようにやるべきだったんじゃないかと今は思う。とにかくどこにいるやつも自己主張が強てああ言えばこう言えばいいのだと感じてるらしくて、一人で考えて何かを得たいみたいのがないんだなと思った。研究とか…じゃない。とにかく「ああ言えばこう言いたい」のだと思う。そういうとこにいて毎回、勝手な勝負の土俵にいれられた上で何も話してないのに「勝った」って泣き喚くみたいな厨房も山ほどいたけれど僕はムシ。勝ち、負け、そういうルールは各個人でひいて、それを受け入れるポーズを取らない限りそんなのはじめから存在しないと僕は思う。おまえが言いたくて言ってきてるだけだろ奴みたいのは死ぬほどいる。けっきょく、僕もそうですが人って何もかもを土台にするものですからね。そういうツールだと考えている限りひと対ツールであるのでしかなくて、そうなら僕はひとの中にツールが埋まっているんだと思った。

本を読んでても結局つまらないし自己実現を僕が、肩代わりしなきゃお前は浮上できねえのかと思えてくると目前にいるバカに対しても飽きてくるため結局、べつに自分を慰めたいわけじゃないんだけど自分が書いたやつを読み始めたりしてしまっていた。自分の書いたやつは自分のために自分が頑張って書いたやつだから自分にとっての興味はがっちりと掴んでいたのだ。当たり前の話だ。で、読書に対して特に哲学があったりするわけじゃないが、僕は常々思う。文章を、文筆家はきっと最後まで読んでくれるものとして前提でそれを書く。が、普通は、よっぽどじゃないと読まない。
時間がもったいないじゃないか!!!こんだけ(5センチ)分厚いやつ書きやがって!!そもそも最後まで読みたくなる、工夫をしろ!!!!!!!!!!


だから僕は短編小説しか書かない。ザマーミロ。




本を読むのはつまらない。だから俺は、読まないし、成長しない。















さようなら。