To be continued

単純な日記です。

人の才能を羨んだり、自分に失望したりすることはたくさんあると思うけれど、でもさすがに、一人の人に固執してそれを嫉妬し続けるということはあまりないと思う。こういうことをしていて、それはやはり自分の経験で形作るものでしか無いし、賞や人気というものがあったとしても、明確な勝ち負けなどない。けどその中でも、やっぱり嫉妬だったり、劣等感を感じることはあって、彼の場合はぶれないところが、皆や僕の劣等感を煽るのだと思った。人のつくるものだから、どこか欠点や偏執みたいなものは、プロだって一位しか取っていなくたって必ずある。けど彼は、すべて難なく昇華してくる。ように見える。どういう状況でもわざわざそれをやる。僕は、それがある時には単純な、若さみたいに見えていた。なんでもかんでも、彼の中にあるブレなさが、それを引っ張っていくさまは、たぶんどういう人が見てもある意味で驚異に映ると思う。「若さ」はすべての人に対して驚異だと思う。目の前にあるものを無意識に食らい、ねじ伏せていく。強さ、それからブレなさ、そういうのを人が見ると、どうしても怯む。そして、何故かわからないけど負けたって思う。見た目の美しさ、もちえる、もち得ない、そういうことに人間はすぐにはまり込み、抜け出せなくなる。何かするときに、足かせになるのはその部分だろう。美しい、美しくない、飛び抜けている、いない以前に、凝り固まったものは必ず心の中で墜落する。だからつまらないし、心にも残らない。人を動かさない…この完膚なきまでの負けている行いを、僕も経験したが、これはつらいと思う。知らない人の考えが、自分とは相容れないのにいつまでも心に残る、これは不愉快なことだ。もう多分そこで、勝ち負けがあるのだとしたら、それはどっちが早く先に進めるかという意味で決まっていると思う。でも、それを考えの中で抜け出して昇華させ続けるのがやはり、心の若さがそうしているのだと思う。美醜や金で買えるもので勝ったって、それはある意味で負けだろう。だから僕らは悔しくない、けど心で負けた時、それは劣等感をずっと感じさせるし、だから足を引っ張ってやりたいという気持ちも人に思い起こさせるのだと思う。僕の場合は、そんなふうに感じたら尻尾を巻いて逃げると思いますね。毎回毎回、根本的に勝っていないなんて思いたくないもの。それも、絶対に番狂わせのないものでの勝負なんてのは。もうだから、そういう自分自身の何かに負けてしまえば、彼のブレなさ、勝ち気、そういうのを暗にねじ曲げてしまいたくなるのだと思う。才能で、ポテンシャルで負けるのは一番怖いことじゃないだろうか?だって死ぬまで絶対、勝てないんだから!手術でもしないと無理だね!僕は、多分そういうこと以外で嫉妬を感じたことはない。持ち得るもの、知識、語彙、それはこれから払拭することができる。でも心の強さやブレなさ、取捨選択する早さ、そういう能力を持っている人は成長も早く、そばにいるだけでずうっとこちらに何かに対する劣等感を感じさせる。変わり続ける潔さ、貪欲さ、というか。僕は嫌だ。