To be continued

単純な日記です。

キャッチミー・イフユーキャンを観た

昨日、途中までだけどレオナルドディカプリオの出演する「キャッチミー・イフユーキャン」をみた。トムハンクスも出演している。僕はこれを見ているとき、その映画が「キャッチミー・イフユーキャン」だと言うことを知らないまま何も分からないでいながら見ていたため何をしたいのかがよく分からなくてどうみればいいのだろうという気持ちでいた。物語はレオナルドディカプリオという17歳の少年がが何かよくわからないが家出し、そこから詐欺師として暮らして行き、パイロットとして制服を手に入れ、仕事場に潜り込み、女を引っ掛けたりし、小切手を詐欺のテクニックを駆使して換金するなどしていくさまが描かれている。僕はとにかく、これは上手くいっているのか、それとも下手こいているのかがわからなかった。ディカプリオはさまざまな臨機応変で場面に対応し、人を欺くのだけどそのシーンのどれをとっても何か、鮮やかとは言い難いちょっと無理がある感が残るのである。なので映画の説明を見てきたけど「鮮やかな天才詐欺師」みたいな感じはない。僕がずっと感じてたのは「何もかも、ギリギリじゃないか」ということだった。それもこっちがハラハラするようなギリギリではなく、子供の遊戯がテレビで放映されている感じのギリギリ感なのである。だからもしかすると、この青臭さというか、いたたまれない感を「キャッチミー・イフユーキャンとして見る」のかどうかが先ず分からなかったのである。
けど最後まで観るとまた違うのかもしれない。半分くらいまではそんな感じだった。あとトムハンクスのキャラクターもなかなか寒かった。
僕はこれを見て、けど、たしかに、実態のないものってこうだよなと思った。例え名作と言われていようと、例えばある種の文学ってなんでこれが大事と言われていのだろうみたいなのも割に多い。結局は背景に、つてやこねでのしあがる文壇みたいのがあったり、人生がセンセーショナルだから作品も注目されているとかいうのがあると思うし、その為ゴッホのように未だ埋もれている人もおそらくいると思う。僕は正直、草枕はもっとはしょれるのじゃないかと思うのだがどうだろうか。何か、この映画を見ていて感じたのは、たしかに、賛同者がいない限りそれは子どもの遊戯なのか、珠玉の◯◯なのかは一人きりでは、確かめようがないということであった…足元が寒くなって来た。僕はいつも思うんだけど、「これって、青色の中にある赤色だからあなた手に取りましたよね?」「くさやの後でレモンミント食べたくなってますよね?」みたいなものってある気がするんである。内容を見ていると普通だけど、たしかにじゃがりこのパッケージは人として手に取りやすい。だからといってじゃがりこばかり食べていて、納豆を死ぬまで食べないのはどうかと思うんである僕は。だからそういう人間の選びとりたい心理みたいのを自覚してない人が、ここは選んでるなーっていうとき、僕はもうそこに最初から応募しないことに決めている。









ワイルドだろ?