To be continued

単純な日記です。

愛着について

今、印象派の絵画を見ているんだけど良かった。やはり、ゴッホの絵と同じように何度も見たくなってしまう。こういうものに死ぬ前に触れられたことを、知ることができたことを嬉しいと感じてしまう。印象派の絵を見ているとき、それは綺麗だったり繊細だったりするので「美しい」とも言えるのかもしれない。けど僕は、なぜかそれを「かわいい」と感じている。たぶんそれは、人間のもっと根源的な愛着を誘い出すように思う。。たとえば、人の表情も印象派の絵は親しみやすい。わかりやすい。綺麗さ、届かなさ、絵画的美しさというより、ひとの心になじみやすい。色も、なにかどこか身に付けて歩きたくなるような楽しさのあるものが多い。かわいい、と僕は感じている。こういうの僕は好きだと感じる。

たとえば、水槽でなにかを飼うときそれをディスプレイするときの気持ち、それから詩を作るとき、お気に入りの形に変えていく気持ち、印象派の絵画にはそういう「愛着」手に取り、持ち、そばに置いておきたくなるような、人間の感情を引き出す感じがある。

その中でもゴッホはやはり格別だと思った。ゴッホの絵も、その、かわいいに触れてくることが多い、と僕は思った。技術、理論、歴史、もちろんそういう背景があることは知っている。でも見た印象と、それを再び見たいと思うときに、自分の中にある愛着をゴッホの絵は刺激してくる。ゴッホはたぶん人として可愛らしい性格の人だったんじゃないだろうか。