To be continued

単純な日記です。

流動的な時間

家から遠い場所で仕事をしていると、移動に取られる時間のことがやはり気になる。交通費を出してくれるところもあるけど、天候が悪い中、数時間前から支度して、歩き、交通機関を使ってその場所まで行くのは良いのだけど、そこにあるのが本当は誰にでもできる仕事だということを僕は知っていて、だからつい、アルバイト情報誌に載っていた文句だったり自分が選んだ理由、面接したときの雰囲気とかを何度も思い出してしまう。移動している間じゅう、僕は自分のことを空虚だと感じていて、周りの景色やなんか、人、そういうのすべてなにも面白くないものだと思っている。毎日、毎日、どうしてこんなことをしているんだろうと思う。それはとくに答えなど必要としていない問いのようなもので、だから僕は、そのある時点で一体何か(表情、選択、場所、自分などなど)引っかかってしまっているのだ。その場所に、グーグルマップでスポットライトを当ててみれば、皆制服を着てベルトコンベアーに並べる商品を作るような事をしていて、僕はそれをつまり自分がやるのだと思ってここへ来る。で、何かそういう移動時間のもやもやが嫌なためいまは仕事する場所の近くへ引っ越してきてしまって働いている。学生の頃、それから初めての就職などで僕は二時間弱の移動をして通っていた。本当に何かどこか馬鹿だったんじゃないかと思う。移動が楽しいのはこれから自由になれる可能性があるからっていうときだと思う。独り身なものだから、家にいる時もこれまた僕は空虚なのだった。仕事が終わってから休んだりやるべきことをしてる間はいいのだけど、何か時間が空くと自分は心の落とし所を探しているのか、やたらと落ち着きがなくなることがある。そういう時、スマートフォンをいじってしまったりして、自分はなにをしているのだろうと考えると、何か人の声のようなものを聞きたいと感じているらしいのだった。僕はそういうとき、自分以外の何かに彩色されてしまいたいのだと思う。例えば喧騒の最中、それから街を歩くこと、タクシーに乗り、夜景を眺めながら帰るみたいな、まだ何処へもついていないし、出発したばかりだし、その移動そのものに夢中になっているとき、自分はそういう寂しさ、空虚さを感じていない。だからつまり、流動的なものになっていられれば僕は多分、疑問を感じていないのだと思った。街の、中心部には人が集まる場所があり、そこでたまに意味もなく時間を潰してみたりする。皆待ち合わせしていたり、自分もこれから何処かへ行けるという選択肢が、そこではふってわいてくるように感じる為少しだけ高揚していたりする。そうして時々だけど、わざわざ遠回りしてそういう場所を歩くことだけに夢中になってみたりする。そういう時はスマートフォンを見たいと感じていない。人の事も、思い出したりしていない。僕は景色とか、歩くことだとか、自由(といっても、これからたかだか数時間のこと)とか、その流動的な流れに入り込めたことに、夢中になっていて、久しぶりにただ、ここにある事が楽しいと感じている。