To be continued

単純な日記です。

女性について

今回僕が言いたいのは、僕は恋愛というものをそもそも好まないということである。多分、その人から見た女性像や男性像などの〇〇観というのはこれまであって来た人から影響を受けていると思うのだけど、僕の場合もその例にもれず、親、兄弟、友達、そういうもの、それからもちろん、メディアが提供してくるイメージからも影響を受けていると思う。僕の中にあるのは女性というのが自分から遠く離れた場所に存在しているような感覚で、それは一人の人から影響を受けているのかもしれない。ともかく、僕の母親というのは個性的な人だった。

で、その人は一般的に美人といわれるくくりに居るような人だった。僕や、多分関わる人が皆少なからず思うところだと思うんだけど、美人っていうのは「けど、なんか冷たいんだよなあ」と他人に思わせるところがある。それは彼女の責任からは程遠い部分にあったとしても、でもそういうものを抱かせるのは事実でもある。彼女もそうだった。僕は彼女がどんなふうに考えて生きているのかよく分からなかった。黙っていると息が詰まるし、なにか怖いと思った。僕は彼女が人一倍人の感情にほだされやすく、共感が強く、それからいったん悲しむと自分の世界に閉じこもってしまうようなところもよく知っている。けど、それは相対しているときはどうしても僕の中にはなく、彼女の雰囲気はどちらかというと対峙したくない感情を抱かせるのだった。今になって聞くと「へえ、そうなんだ。なるほど」と思えることも多いのだけど、でも、僕は彼女に対して人として信愛の情を感じたりすることはできるのに、けど、自分たちは同一になるべきという共感を抱くことが決してできない。彼女は虐げられている人だった。彼女の声が通らない場面によく遭遇した。僕が何度も思っていたのは何故、誰も正しいことを言わないのだろうということだった。僕はとにかく、幼過ぎた。今、彼女がそれをすべて水に流して、今その人たちを愛するようなそぶりを見ていると僕はなんとも言えない理解不能な感情を抱いてしまい、何かそのパワーみたいなものはたしかに、女性というものが昔から培ってきた愛情、そういった、源流のようなもののように見えて、空恐ろしくすら思えて来るのだった。そうなのである。僕は、彼女たちを愛することがことごとくできない。僕はどこに居てもいつも誰かの弟のような立ち位置で、ふざけているだけでいた。どんな役職についても、どんな関係を築いても、ぼくはそこにぴったりはまらず、演じきれない寂しさを持て余したままで中途半端に人の感情をコピーペーストしてそこへ置いていくようなことをしているだけだった。女性といても、男性といてもいつもそうで、けど、あるじゃないですかそういう、持って生まれた性分みたいなものが。僕の場合はそれで、けど僕は学生になって或るグループに入ったときに水を得た魚みたいな気持ちになった。心地がよかったのである。僕は彼らの原理が肌から理解できたし、こういうときにこんなふうに動くのだということを、無理をして学ばなくてもよくなった。といっても僕はその中で遊びながらも、一人の彼女のことを好きになったりとかするような、だらしのない関係性だったから、そのことを人からとやかく言われても仕方がないような気がする。ともかく僕というのはそこに存在しているのか、いないのかよくわからない立ち位置でいつも人のそばにいる。

 

僕が女性に未だに感じるのは、その一人の女性のような僕自身からすると身に余るような清涼さ、高潔さ、そういうもので、僕がそれを僕自身の欲望のままにしたいと誰かから思われていたのだとしたら僕はそれを多分怒るだろうということだった。僕はその辺を考えているときに自分が性的に抑圧された存在なのではない、僕はそれを日常的に願っているのではないと言い張ることは自分の尊厳、アイデンティティと強く根付いていたのだ、となにか思った。僕はあるいは、意のままに女性を操ろうとする男性のことを考えると反吐が出そうな気持にさえなる。すべての女性の持つ悪癖、それから男性の持つ悪癖、それが僕の中には蓄積されてゆき、女性は相も変わらずそれに対して毎日、声を上げ続けている。いっぽうで、それを喜びだと錯覚するような女性もいる。成熟することは時々怖いことだと思えるのである。それは余計な供物をわが物だと言い張ることによく似ている。彼や、彼女は本当の幸せを手にしていないのにもうたっぷりと、手に余るような論理で自分を満たして笑っている。その笑い方が、僕は今も怖い。

僕は多分、彼女たちの持つあたりまえのやさしさというのを身に着けていない。それから、受け取ったりすることができないのかもしれない。僕が今理解できる部分はもっともっとシンプルなものや、それからふざけたりしていることだけみたいだった。