To be continued

単純な日記です。

さようならフリースタイル

この間、GEOでゲームを買った時に、前に並んでいる女の人がプレステ4のバイオハザードを買っていた。まあ、普通に興味があるのかもしれない…僕は持っていないが、プレステ4のゲームというのはおどろおどろしいものが多く、青少年〜おじさんが結構プレイしているイメージがあるから、こういう若い女の人がプレイするのって珍しいな、と思い、よくよく見てみるとその人はお腹が大きく、妊娠数ヶ月目くらいの妊婦さんだったので驚いた。女友達、何人かいるが、やはり生理の前とか妊娠中というのは気分が変わりやすいらしく、その間数ヶ月くらいまったく連絡が取れなかった友達も結構いたりした。後日その時のことを聞いてみると、やはりメンタル的にナイーブになっているらしく、仕事を辞めた直後から気持ちがゆるむためか人と全く会いたくなくなったりやたらと何かを精算したくなったりしていたらしい。「まるで自動操縦の車に乗っているみたいに、抗えない気持ち」と友達は、赤ん坊を抱き抱えながら晴れやかな顔で言った。姉もそうだった。だから僕は自然と、女の人って僕が知らない間にもいろいろなこと、荒波、血潮を抱えてて、会ってない間もそういう土石流と戦っているんだなという意識がある。
だから僕は、珍しいなと思った。多分この人は、気持ちの切り替えが早い人なのだと思う。
けど、お腹に赤ちゃんいる時、普通にゾンビ撃ちまくりたいみたいな風に考えたりします?




ところで僕にはかつて対外的に物凄く批判的だった時期が一年くらいあり、その時期に会ったNさんと最近関係がギクシャクして来ている。

■ - hofanの日記

Nさんは、僕の批判力に注目しているらしく、それから興味が漫才だったりラップ、フリースタイルダンジョンなど、なんというか叩き上げのあるブラックなユーモアが好きみたいである。僕は、Nさんと出会って三年くらいにはなるけれど、Nさんとなんとなくで付き合いながらこの「ブラックなユーモア」の部分に全くと言っていいほど共感はなかったなと最近感じはじめている。よくよく考えてみたのだが、しかし僕はそれに同調したことはそれほどなかった。あったのは、単なる僕の酷い人見知りの部分だけで、それに対して目が覚めた思いがしたのには、出会いがあるような気がしている。僕がアルバイトしている先でもう一人高校生の女の子がいるのだけど、Sくん、Mさんといる時とも違ってなんていうかこの子(Lちゃんとする)といるとすごくラクだなって感じるんである。Lちゃんはすごく真面目な子で、育ちも良いし最近の若者にあるまじき気の弱さで、何に対しても尻込みしている感じが初々しくてかわいいと思う。僕は、Lちゃんといる時、自分の精神年齢、実はこのくらいなのかもしれないなと最近感じ始めていた。そういうときに、Nである。Nは、またもや(ここ数年、一ヶ月おきくらいに連絡をよこす)僕に「来いや」という煽りを入れてきていた。僕は、毎回それに誘われるたびに、別にいんだけど、でも期待するなよみたいな無意識の壁をNには感じていた。
今回、正月ということで、僕は夕方に呼び出されたのである。数駅先の駅前のツボ八に呼び出された仕事帰りの僕に、畳み掛けるようにして話しかけてくるN。僕は、「なんかだるいな」と感じていた。多分、である。Nは僕が、対外的に批判的だった頃の僕をずっと覚えていて、それが僕だと感じているし、そうなって欲しいみたいなのである。おい、批判しまくろうぜ。おい、世界に、争ってやろうぜ。みたいな空気。自分に対して突っ込まれたことさえも全て受け止めて、それを笑いに、変えてやろうぜ。みたいなやつ。オモロくなりたいやんか。人から言われること、許せないやんか。全て、笑いでエグく尖りながら、おい、消化してやろうぜ、みたいな空気。僕は、正直、どうでもいいやんかと感じていた。帰ってから、LちゃんからLINEが来ていた。Lちゃんは、どこまでも普通の文面で普通にアルバイトに対する問い合わせを僕にして来ていた。僕は、部屋の入り口に立ったままそれを見ていて、ああなんか、こんなに人を煩わせる事を普通に思うのとか、思わない人とかって何なのだろうなと思った。もう批判とか、オモロで昇華するみたいの、僕からすれば正直どうでもいいんだと感じていた。例えば何かをしててそれに対して好き勝手くるやつ、ごまんといるけれど、もういいじゃないか、と僕は思う。何かこの数年をへた後で、「その先に何があるんだろう」と僕はまず、1ターン目で考えるようになったのである。その先にあること、それは、奴らと同じ舞台に上がるということ。そして、そこで勝っても、そこに僕の好きな尊敬する人は一人もいないということ。いや、いるのかもしれないが、その界隈の面白みや、努力は分かっているつもりなのだが、僕はとにかく、芸人になりたいって思ったことがない。あの頃…三年前、Nと出会った頃、たしかに僕はそれを全て昇華できると思い、それをNの前でやってのけた。何か、Nの時間というのはその時のままで止まってしまっているみたいなのである。僕は、…なんていうか、そういう笑いはもういいよ!と感じていた。
で、考えを辿ってみるに、僕の中に何かしらの愛とか、ニュートラルでいいみたいのが復活しつつあるのだと思った。数年前、ザリガニを飼った時…それから、数年前、姉が出産した時…正直、「サルみたいだな」と感じていた。僕は、何か恥ずかしくて、そのサルを抱く自分のことを、強烈に笑っているもう一人の自分がいることを意識していた。けど今、僕はその、サル込みで猿を抱いている僕さえももはや、尊いし、そのまんまでも別によいよなと感じているのだと思った。これは、もしかすると歳を取ったということなのかもしれない。というか、もともとそうだったんじゃないかな?と思った。僕はたしかに、神経質を拗らせているところはあるけれど、根本的に「ちゃう」んだと感じていた。けど、数年前、僕とNの共通の意識はそんなところにあった。Nも、自分の自意識に対する感覚が強い人間だった。Nは数年前、自分には許せないことが格段に少なくなった、とほざいていて、飲み会があるごとにずっとそのことに対して話していた時期がある。僕はまだ自分のことを若いと感じていたから「ふーん」と思って見ていた…「ふーんそうなるもんか。なんか、困ってる人に対してはそれって自慢みたいだな」けど、実はNはそれほど変わってはおらず、それどころか、僕がそれを見て何と言うかの方をずっと気にしていたみたいなのである。Nは最近にいたっては日々、自分のもともとある批判的精神を拗らせていて、何か関わった人、同じ場所にいる何の罪もない他人をずっと批判し続けているし、キツいツッコミで傷つけまくっていてもそのことにさえも気づいていないらしい。正直、いい歳してイタいなと僕はもう感じていた。年下、女性、同じ場所にいる人に対してもやたらと厳しく、ちょっとのミスも許さないし、アイデンティティいじりを必ずする。そしてそれに、誰ももう笑っていない。…Nの中にあるのは、圧倒的な飢え、それから認められたいという気持ちなのだと僕は思った。そしてそれをまだ指摘しても来ていなかったのに単に表情に出てるという部分だけで、今回他人の前で僕を侮辱しまくってきた。けど、思い返せばここ一年の間でずーっと彼はそういうことをし、僕のことを煽り続けている。年取った、とか、おもろないこと言った、とか、さあ、普通に誰でもあるでしょ?なんでそれをいちいち、皆の飲み会の中で、お前がくだまかなきゃいけないわけ?俺はさあ、知り合いだからそういう時もあるかなと思って許してきたけどさ、お前のそれって、強烈な欠点だよな!直すべきだよな!お前の一番近い人間が成長出来なかったのも、お前が精神的に自立出来てなかったせいなんじゃないの?そしてそれを、皆が今思ってるから、お前がやり玉に上がってるんだろうが!認めろや、そこを!俺に、鼻くそなすりつけてきてんじゃねーよ、クソが!!!
と思う部分もあったけど言わなかった。何故ならば面倒くさかったから。
僕はそれをずっと許してきたし、まあ、彼だから仕方ないんだろうなと感じてきた。そういう、やんちゃをやってないと、溺れてしまうタイプなんだろうな…
ま一応友人だったから。けど、あまりにも「それ」に誘いまくってくるのや、友人に同じ態度で接触されるのには閉口していた。

もう、いいよ…お笑いとか…昇華してやる、上がって行ってやるみたいなやつは。何かあった時、普通に反省しろよ。ごめん、って言えないの、人間じゃねえだろ。迷惑かけてるなら、他人からもらった分と切り離して、それをテーブルに乗せるくらいの知恵、もうつけろよ。とにかく、もう、フリースタイルダンジョンみたいのはいんだよ…もう、それは、僕にとってつまらないんだよ…!!僕はそう感じていた。僕は、僕の中身が知らないうちに変わっていたのか、分からなくなったのだけど僕は、正直にいえば、Nの態度にはずっと疑問を感じていたのだと気付いた。僕は、基本的に後輩には優しく接したい。何もわからないなら、分からない事を取り立てて批判がましくなんて本当は言いたくない。相手が善なのか、悪なのかくらい、僕にはわかるし、善でいる人が困っている、調子の悪い時くらいは見守る大らかさを持ちたい。ところが、フリースタイルというのは全てをいじくんないと気が済まないみたいなのである。僕はもうこの集まり、正直俺の場合酒飲んでねえと見ることすら無理だよと感じていた。もう、なんっっっっっにもならないし、おもしろくないんだもん!自分と違う人を、違うという理由で受け入れられないことは本来、それは笑えることじゃない。格好悪い事だよ。それは、ブラックな正義と僕は思えなくなった…のではない。ちがう、初めから、そんなふうになんて感じてすら居なかった。僕はずっとずっと、嫌だった。なんの否もない、傲慢でもなく普通に生きているだけの人の欠点をあげつらったり、自分の悪い部分を笑いに載せて皆に披露するなんて事、僕はずっと嫌だったんだ。