To be continued

単純な日記です。

電車賃五円置いとくね。

I山(年下)のこと

昨日行ってきた集まりで、僕のことを応援してくれていた人が来ていて、その人は一応文芸界隈のえらい人なんだけどこれまで殆ど僕が知らなかった紆余曲折について偉ぶったりとかしないでいろいろと教えてくれた。その間、実はその人が僕の隣でずっとポコパンをやり続けていたんだけど,自分はここ数年ずっと死にかけVRおじさんみたいな人としかずっと話させて貰えなかったのでなんでお前は人の目の前に来てポコパンをやるんだと思うよりもっと自分がジョングリア孤児院にいるジュディみたいに強めのジャブみたいのを打ったら仲良くなれるのかもしれないとその時まだ考えていました。で、とにかくそういう時間が過ぎていった。で、そこにある飲み会のメンバーにとってちょうどええ気分の説明で、ここにはそれよりも、メンバー以前に大きな問題がひとつありました。それはこの狭い部屋にいる全員が,話す内容のひとつひとつを部屋にいるでかいおじさんから聞かれてるということです。でその間,おじさんの方からも話しかけてくれることはなく、ポコパンをやってはいるけども既にいつもみたいにキレてから来てるんじゃないかと結局急転直下かもしれないけど何の意味もないていう気持ちになっていた。それは、そもそもこっちは知ってる。そもそも、自分のいる場所を推し量れないような相手がなぜ,さも知ってるような顔でゲームしてもいいと思ってるのかというか、こういう飲み会がピカルくんの後についてくだけみたいなゲームの中にいるときに不自由を強いられてる私から、いそいそ来た人が何も言わないで取る態度かと思った。だからその無礼に対してもう、自分は何度も繰り返されてきたことだったので炎上してるみたいになってきてて何するも決めて来ないで、そんなことでどうするっていう立場を突然得たみたいで怒ってたりもした。で…その人界隈のそれまでのこと、実は僕には記憶も経験した事すらもない全く未知の領域のまんまで、その人らにこれまで会ったことがある…のかもしれないけど実際どうなのかも分からない。分からないって思うのは機能的に大丈夫なのかなっていうのもあるし、あとは例えばこの間写真を整理してるときに記憶にある思い出みたいのが自分の経験した事/実際にあったことって1:9くらいの割合くらいで人ってほとんどの事を記憶に留めないで喪失して言ってるんだなって改めて思ったって事にもあった。今更、仲良かったかどうかと聞かれてみて、一応知ってる」っていうレベルの存在。一応それでも話が膨らんでいくのがこういう場所なんだなとは思うが、で、その後、一応その人のことを横目で観察していたんだけど、何か僕に向かってわざわざ◯択みたいな質問をパンチみたいにして来ていた。でもまず、そもそも全く知らん同士がいて、そんなことするの凄くつまらないし、なんで取り返さなきゃならないみたいな考えになるのかと思った。おじさんはごくたまなけど親切で来てくれてるのは知っていて、僕がキレてるのはその下に余ってる重宝する話題みたいなものの存在で、こうやって根も葉もないとこから問題を探り出してわざわざ盛り上げてどうするっていうことなわですがここに居るおじさんの願望として放ったらかしにしてたであろう個人的な問題について、中1が急に威力を発揮してみたら止めどなくなり過ぎて「ぶち壊してくれ」みたくなってるみたいな気持ちがあるらしくて、けどそもそもそこに五年前くらいから放置されまくってたパンダくんの問題も,今になって見てみたらどこもいいとこがなくて負の部分→全て天国、それもフグ田サザエさん一家の方のこととしてしか浮かばなくなってきてるので、掘った穴に全部自分がハマりまくってたってところから来てるっていうだけ。この辺りについては、多分当の本人達が感情っていう合成薬物のせいで過去のこと、それをした理由、紆余曲折色々わからなくなっているみたいなんですが、全部見てたこっちから言わせてもらえばそうなっています。なぜそう思うのかというと、パンダ君は感情的な問題を自分では解けないほど単細胞だからっていうのがこれまで通ってきた筋道で明らかになったからです。でだから、今から何をどうせよとその事実には確定ということ以外なんの影響もないってことです。で、僕がもし自分の口からそれを言っても「もっと」ってなると思ったので黙っていました。まず、こんなつまらないことと自分や仲間が関係あるとおもわれてたまるかとなるのが普通の考えだと思う。それになぜ、この人達は顔を合わせるたびに俺にもこの手の質問をかましてくるようになったのか。?!

自分は考えてたけど多分この人たち自身が着地できるような場所自体が、「それが気持ちエ〜部分っていいまくる」以外何処にもないんだろうなとは思った。人は,嘘をつく生き物なんだなって本当に二十四時間思わされてました。それはたしかに、生きる上では大小さまざまな嘘は付いてきました。でもひとつつき,もう一つつき,それをカバーするためにもう一つ嘘をつき,それでもって、気持ち悪くなってる精神でまた人んちの前でゲロ吐きまくってるの見てたら人間の中にはたしかに,魔物が住んでおり…ていう感情のみになってくるだろうと思う。でも自分が通ってきた道すじ、認められないならきっぱり諦めればいいし、それでもそれが自分だと思ってるなら、ぐちゃぐちゃでも何の関係があるんだよって胸張れば良いって普通は考えませんか?だから僕は、こいつら全員が馬鹿なんだろうなと思ってるのと、で、あとは関係ないかもしれないがこういう進化をたどった後で着るファッションが他人が用意してたちょうどエエ〜部分だったとか、仮にもクリエーターを志望してるくせに冗談ぬかすなと爆笑しながら思ってたんだと思う。それでもいいんならそもそも,はじめから奇異を衒う必要が、あったんかと思うし、だったらこれからは喜びまくってサラリーマンでもやってろと思ったのと、それでしかもすべての話を聞いてみたら持ってくる荷物自体毎回,おまえの問題だったんじゃねーかと、こっちはその態度のせいで界隈に対しては毎日キレていたんだと思う。

答え合わせの後でも、宇多田はピカッピカッ★★

で、話は戻りますがその人個人について、それが、今VRおじさんというか、ビデオを撮りたがったり、偉ぶってくるタイプの人じゃないみたいだ。十数年いきて来て,どういう地域出身とか年齢とか性別うんぬんよりも、無意識なまま喉が乾いたら即エラぶってくるみたいな人間を最も苦手とするようになっていた。

それで自分も、いい歳して話しかけてくれたおじさんの全人生についてなんとなく知った僕は、自分個人の人生についてもあらためて考えはじめました。僕は、10代の終わりの頃にもう既に自分の両親は自分の中で死んでいると感じながら生きてきたんだけど、別にそれだから,これから何だというわけでなく、それはグッピーがただ何も知らないままでもずっと生きてこられたみたいなタイプの話で、だから10代くらいで自分は母〜女親に対する興味はもはや喪失してたみたいで、なぜかというと自分のオヤは、自分に対して愛情も多分注いでくれたしそのせいで自立だけは早くに他人みたいになった上で,それ以外の面ではとにかくこいつらが、精神的に自分よりもずっと子どもなんだとずっと感じて来たからみたいだった。

お母さんのことで宇多田はピカッピカッ★★

自分の母親は仕事も二つ以上あり友人も沢山いる人で明るくて,人付き合いがいいみたいに見えてるような人なんだけど近くで見てる人間にとっては細かく言うと,何があっても反省を一度もした事がないんじゃないかというようなタイプの人で自分とは全く重ならない感情とか論理で生きていて,それが良い影響を与え合うと言うこともあまりなくて会話自体が成立しない24時間がずっと続くみたいな女だった。思い返せば二十代はとにかくそういう感情がハバをきかせまくってるところから逃げたいというのがこっち側の感情としてあり、一方で父親は癇癪持ちでこっちも会話が二十四時間成立しないみたいなまともな人間だった。でもこっちの人はそれ以外の偏屈な部分や顔や体格は自分にそっくりだったから、自分にはこういう遺伝子が元からあって,引きこもりで偏屈で人を意味なく嫌う危険要素みたいのがあるんだなと思って見ていた。で、さっき書いたけど普段から会話も成立しない人だったせいで何を考えてるのか、どんなふうに生きて来たのかとかも全然知らなかったし、「よけて」っていうこと自体出来なかったので待ってるか、Uターンして違うことをするみたいのが日常的にあって、自分が子どものときはそういう人格で世界にずっと存在してたかもしれないと思う。だから自分は、誰とも関わらないでそこにいるのが普通の状態だった。それで、待つ」かUターンして違う事して時間潰すみたいのが二十四時間ある生活だった。

例えば、マザコンみたいな人の方がずっと多い中でなぜ自分はマザコンにならなかったのか,もともと身体が不健康過ぎるというのもあったのかもしれないけど、これについては二十年以上ずっと一人で考え続けた結論として自分には、感情の元になる「ホルモンみたいのが異常に少なかったんだなと思っていました。

お父さんのことで宇多田はピカッピカッ★★

で、結局父親という偶像に憧れ続けた10代の僕はそれを探しながら失望を繰り返して,いつのまにかずっと自分の中で作ったどこかにはいる、頼れる父親=正義みたいな存在に憧れていた。僕は、無いものはいつしか自分の中で作り出せると思い始めたみたいだった。で、そういうような人と会うたびに、その人が自分にとって納得のいく正義や論理を持っている事というか、それがちゃんと体系立てられていること、それが僕のような人間を凌駕していること、それからいろんな人をも導いてくれるようなことをずっと期待していて、そういうことが本当にいつかどこかで起こるべきだと感じてずっと生きていたんだと思う。

一応この辺は自分にとって熱くなるポイントみたいなのでここは、泣きながら書いてます。

あと言いたいのは,自分が憧れてるみたいな相手に対してはわかりやすく片一方で危険なほど崇拝し出すので遊んでるのとはちょっと違うんだよなーって一応書いておきたいですね。自分が何か,がばがばだと思ってる人もいるみたいなので


自分にとっての母親〜父親みたいなのを僕はどこででも見つけることができなかった。けどそういう線上にいるというか実は,自分が成長しきれなかっただけで予めそこに居たんだなとそのときなんとなく思ったのだった。それが自分にとっては新鮮だったのと、そういうことを強烈に感じたりとか、時によっては全く理解できなかっただけだった以前の自分よりも、自分のことや身の回りのこと,過去のこと、人生のことが色々分かるようになって来た今,なんというかその人達も人間らしい人達だったんだないう事が分かったのと、自分ももう35歳を意識しているのに「大人になったんだな」って何か思っていました。