To be continued

単純な日記です。

スプラトゥーンと家族という虚妄、おっさんの好きな虚妄

最近,スプラトゥーン3が出たみたいで色んな人がやってたりするけど自分は、それを横目で見たりして「いったい何が楽しいんだろう」と考えていました。何回も言うようだけど、昔はスーパーマリオとかヨッシーアイランドみたいのがあって、とにかく右へ右へと進んでいくみたいなのがゲームとしてあって,ただそれだけなのが楽しくてしょうがないと思ってやっていた記憶はあるんだけど,思うに、今もフォートナイトとかを見るだに「前へ進む」みたいなのと「ヌリ」みたいな要素が、人間の生体を刺激してやまないみたいなのがあるのかもなと思って分析してやってました。昔も,頑張れ五右衛門内のアルバイトとしてペンキ塗りみたいなアルバイトありましたよね。誰か知ってる人居ますか?

それから、もう毎日のことみたいになったが、おじさんの襲来を避けてから何かをするみたいのがほんとに日常になってきました。それで、暇なので考えていたけど,おじさんがたが言ってくることで一つ「え?」と思ったことに、「それでもお前は,ファミリーの歴史について詳しくは語れない」みたいに言われたことがありました。もういまは、自分は監禁されてずっと同じ人から話を聞かされるようなことは無くなったので色々な説みたいのが自由に出てきてる時代で、よく考えなおしてみて、まだ、そんな事言いたくなることがあるんだなあと思ったのでそれが意外だったので、それをめもしてみました。自分はなにも好きなものばかり選んで読んでてその辺をはじめから一切手をつけていない訳じゃなく,やろうとしたけどまいかいおっさんの人間性がクサすぎて無理だったみたいな過去がちゃんとあって、それについて話したこともあるんだけど、実際にその話を聞いてない人も沢山いるようだったので暇なので、もっと詳しい理由を考えてみました。

とにかく人っていうのが限られていて,そこにいる人すごく嗜好が偏ってるなていう感じはしてました。自分がいつも目にするのは「他人による人の仕分け」→それによる好き勝手な虚妄の構築というのがありました。他の人がよく言っていたのは家族病みたいなものだということで、とにかく相手の価値を上げ下げすることで、それ自体全てを牛耳れるっていうのがあるようなんですよね。そういう人たちが、人と相対したときに毎回湧いてくるのは、その人が宗教とか、組織とかを作ろうとする上で相手が役に立つか,否かでしかないようで、恐ろしい事にただそれだけの白黒のみで経験や技術、歴史によらず老若男女すべてが使いづらい方として仕分けされてしまっていました。なので小説の味わいのキモとしてある人物描写みたいなのが毎回クサすぎる理由はすべて、ここにあるんだと思う。なんで、そんなにも出会い頭の他人のことを批評してくるんだろうという疑問は、家族だけじゃなくてそこにいる人の交友関係,それから結局目に映るものすべてにおよんで食べてしまわないとならないくらいのまさに病気になっていった。

それ自体が面白いかどうかと思うに,それはなんもおもんないというか、あまりに視野が狭いんじゃないかと思ってはいたけど、とにかくそういうあやしげな前提をそもそも否定して考えるようなこと自体がそういう人達からしたら空を飛ぶくらいにとっぴに見えてしまうようで,自分なんかはよくただの鳥みたいに扱われてることもありました。

ていうことで、おじさんたちが未だしょうもなく骨まで呪っているような相手のことを見るとべつに普通の人だったりしてびっくりしてしまうんですよね。それで、体温を暖めてるのはしょこたんとか、ピーッみたいな十把一絡げみたいな人間だったりしてかつそのおっぱいが素晴らしいみたいになってないと腹が立つようで、それに参加してない自分なんかはよく黒みたいだと言われていました。狙われがちというか、とにかく利害に抵触してるかどうかが価値観のすべてみたいになっているようなので、だからそいつがバックに誰もいないとか無名だとか,そういう相手ならいいもん持ってたら当然そういう芋ジジイのジェラシーの対象になったあげく誰でも餌食にもなるし遡って理由をしってみればそんな宗教みたいなことと自分は相容れないと宣言しただけみたいなことだったりしていました。もちろんその部分で変わりゆく人も多いにいたし、多分全員ある意味変わってしまったんじゃないかなと思う。それくらいの「クサみ」ではあるので、だからそこにファミリーの記憶として知ってもらいたいとしてる理由は幅をきかせまくっていた過去をごりごりに白く染め上げ,なおかつ正当化したものを裏付けとして皆に目を通してほしいっていうだけだと思っていたし,そんなのが「勉強」と言われるなんてまじワロタではある。そもそもどこが家族なのか、血も全く繋がっていなければ愛着もないようなのが、家族だと言ってもそれは、利害で繋がったようなごく目立ちたがりの仲間達の結束が,ただ利用しやすい一人にいつまでも取り憑いていて、それによって起きたキッタない話を自分も鼻息荒くして沈めてたことじたい忘れて他人事のように語りまくるみたいなのがステータスってなってたような話なんですよね。いまはそれらのどこに行き着くこともない行い,グループなどなどを総称して,アメリカの墓って呼ばれているみたいです。

それで、いちばん「うあーっ」てなったのが、以前にも書いたけどとにかく人の社会性とかコミュニケーションの面にあるモノに取り憑きたいというのが怨念として何故かあるようなんです。かので権力に対して価値があるか否かについて意外にも、取り憑きやすい界隈みたいのはあり、文化だったりマイノリティだったり、恋愛,欲求、それが高じて最終的には「美しいか否か」というところになぜか最終的に取り憑くようになってしまいました。僕の思ったのは、あまりに漠然としすぎてやしないかと思って,なおかつそれが派生してきたのもあるひとの、スピリットがどこかに通じているという時,個別の形から発せられているという論文を自分なりに解釈しておだんごみたいに毎時間なぜか持ち歩くようになってしまったような話だそうです。これを聞いて僕は「ぼ、亡霊?!」て思いました。僕は生き霊って確実にあるなと思ったし,頭が悪いなってそれだけで人を羨む要因になりかねないなって思って,とにかくもっと勉強はしたほうがいいなと思った。勉強ていうのは、本を読むことじゃなく,ほんとに色んな情報とか,感情体験を自らして悔しがってみることだと自分は思う。で、それら自己表現となるものが個人の体験,気持ちの面からじゃなくて「ある、正しさ」※っていう圧力をともなって訳の分からないままにばんばん仕分けされていくの自体見ていられないっていう気持ちがずっとありましたが、そういうのを漏らしたりしたあとで結局,向こう側からしたら「自分の価値観を否定された」っていうわだかまりとしてずっと残り続けているようです。

なんでなんだと思いますか?お前が勝手に,ボコボコの城を築いていたのを僕たちが勝手にスルーしたというだけで,どうしてそんなに,リアルではブサイクなのに胸を張ってられるんだと思いますか?

僕はそれは、ハラスメントで増長しまくった結果の上にいま皆が立っているからだって思いました。

ーおわりー