To be continued

単純な日記です。

最近小説とか雑文のあちこち気になっていた言葉の結びみたいなのをちまちまと直したりしていました。でもこれは,一応あっても年間を通して1とか2アクセスくらいしかない記事に対してだったり下書き状態のものに限ってなのでまだ許されてるかなって。それはいいんですが,最近ずっと会社の方から監禁されている状態で,もともと昔から連絡しろとか,メールしろみたいのが数時間おきに来たりうるさいところではあったんですが、軟禁状態みたいのがだいたい4月くらいから始まって気づけば10月ですでにそれが半年くらいになっているみたいでした。細かく書くと
四月〜監禁が始まる
五月〜どでかいアイスクリームを食べに行かされる
六月〜記憶がない
七月〜障害者みたいのが入ってくる
八月〜バイリンガルの同僚とやり合う
みたいな感じで,自分も八月の夏の終わりくらいにはさすがに「もう終わるだろう」と思ってました。でも、それがまだまだ何も変わらない状態で二ヶ月くらい続いていて、最後の方は自分はもう誰とも喋らなくなり、友人や家族とも連絡を遮断。ほとんど死にかけていたというか、はっきり言えば誰が見ても死んでいました。それで、亡霊みたいになった自分は何もかもがどうでも良くなっていました。思い起こせばとにかく起きている間の12時間ずっと、ゲリラ的に僕を誰かが驚かせるか、やることなす事全てに批判をしてくるか、メールで聞いてもいない近況をよこすか、それで最後は僕がやったこと全てを無下にして仕上げが終わる。みたいな流れの中にずっとひとりで置かされていて、自分はそれに対して常にこの人たちも何が楽しくて自分にだけ都合がいい論理をこんなに公の場で言っていられるんだろうとか、嘘ばかり言って恥ずかしくないのかっていうのが常ではあったんですが,その内容うんぬんよりもそれが毎時間,1000倍の量で来てる中に半年間休みなくいると、それは単純な作業に成り果てるんです。だから、来た→処理する、来た→処理する、で、これをえんえんと処理するだけのかたまりになった自分は、それは一体何のためにあるのか?を考えさせられる状態になっていたようで一ヶ月、二ヶ月の期間をへて、自分の中で最終的には「この世で起きる事全てに対して何の意味もない。」という結論になっていました。
で、思い返せば嫌がらせみたいのは半年間というか去年からもうっすらとずっと続いていたんだけど亡霊状態になっていた僕は、会社の中や外でもはっきりとした意識を保っていた一方でもはや生活の部分にまでそれは侵食されまくって来ていて,しまいには周りにいる人間全員がもしかしたら自分に対して嘘を付いているのではないか?という思考になって来ていたようです。自分は周りにいる人に対して、っていうか朝から晩まで何にもならない愚痴を吐いている多くの社員の前で自分が、愚痴を吐きまくっていてもなんの意味があるみたいなマインドになっていたので周りの人には普通に元気でいるみたいに振る舞っていたんですが、そのせいで何か「まだまだいける」と思われてたみたいで社員はおろか友人でさえ誰も心配みたいのはしてなかったらしい。
とりあえず七月に入ってきた障害者を自分が何か「世話」するようになっていたんだけどこの人が、周りのものを当たり前に壊す,人の仕事を横取る,隠すみたいなことの常習犯で,自分もそれに気付いてからは怒ったりするようになってたんだけどそれに対しても何の反省もなくほぼ全員がスルー。毎日どこで肯定感をチャージしてくるのかわからないけど自分はいまになってもこの人が酔っ払っているorわあわあ騒いでいる状態しか見たことがなくてまったく反省のは」の字も知らないような感じの人だった。でも結局そいつと一緒に過ごさなくてはならないみたいで周りも何かそれを見て楽しんでいるみたいで、何かやることといっても結局全部の責任が僕のところにだけ来るのがずーっとその中の流れであった。その後バイリンガルの社員が来て,この人は中国語と日本語を話せるみたいで話によると自分が気づく以前からずっと会社にいた人みたいなんだけど自分が存在感を感じ始めたのが今年のその8月くらいから自分に対してワアワア中国語で話しかけまくって来てるのをみてからの事でした。その人は末期癌で、しかも自分が今やっている仕事がポンしそうなところにいたみたいで、そんな事はつゆほども知らなかった自分は健康を害しているだけのバイリンガルおじさんに対してはじめは同情し、親切な言葉をかけてあげたりもしていたんだけど,何か向こうの方からすると周りの世界に対してそういう同情とか感情を受け入れるよりも、寧ろそれを拒絶する事で自分の世界が完成するという状態になっていたみたいなんですよね。それからは自分もその人に全く話しかけなくなりました。でも仕事みたいのは毎日流れてくるものだから、結局会話自体は障害者に対してと同様にしなくちゃいけないので、自分が話しかける→バイリンガルおじさんが中国語でワアワア騒ぐか、嫌がらせをしてくるみたいなことの延々ループになっていました。それで、それを毎日毎日三ヶ月以上(それを意識している期間といういみ)続けて居たんですが、僕もそれに対して「どうして日本語を話せるのに中国語で返事をするんだ」とキレてしまっていました。その人と会話するときのパターンとして、
①向こうが話しかけてくる→僕が応える→向こうが固まる→数秒後中国語で返してくる
②僕が話しかける→向こうが中国語で返してくる
この2パターンくらいしかなくて、何かいつも,予測不能な日本語の羅列に中国語でどう返すかとか、そうなる前に中国語でいてこましたるっていうマインドに既になっているみたいで,だから話し合いする場面でもこっちは穏やかな話にしたくても向こうだけバドミントンをほら、ほらとしかけて来ては空気を台無しにするみたいなのが基本で、自分も周りの人同様に最終的にはこの人のことが大嫌いになっていました。
そうやって会社の中にいて赤の他人の世話をしたり毎時間自分に対して批判の声を送ることだけが生きがいみたいな人の顔を見まくっては、そういう事を差し置いたとしても自分は人としての知性が全く無いっていう世界観とそこに何の理由もなく一人で居なくちゃいけない事っていうのがこの世に置ける一番酷い永続的に続く日常=罰としてあるんだなと何回も思った。とにかく環境を見渡してみてどこにも知性がないというのがまじできつい。

で、軟禁状態でいた自分は家族や友人とも連絡をもう取れなくなっていて、でもそれでも,はっきりとした意識だけはまだ残っていました。自分ははっきりと,やらなくちゃいけないことがあると感じ続けていて,それでやられた事やあったことを総ざらいで会社の掲示板に連投する事に至ったんです。それでもそれでスッキリして昼前に帰るわけには行かないので、定時まで自分はそこに存在し続けなければいけない…その間,ほとんど精神が死んでいる状態でいた自分は、色んなことを間違いまくって筆算も引き算も出来なくなっていた。しまいには、巨大連絡網みたいのも何か出来上がっていて、自分はそこにポンと入れられては名前もついていないアドレスの羅列だけをみて返信を⚪︎時までに返さなきゃいけないというノルマを新人社員みたいに渡されて、結局誰が誰だかも毎日全くわからないのでそれも当たり前に間違えまくっていました。でも、今でも思うんだけど,それが初見の人に分かると思いますか?僕がSuicaみたいに文字の羅列から人格が瞬時によみとれて、それでそのなかで嘘を吐くみたいのも常態になっているときに、それが周りから「ガンバレ」ってことになり得ると思いますか?でもその時は「しなきゃいけない」というのが世界観だから、当然それでも鬱。鬱が続きまくって,
自分は休憩室でその後休んで居たんだけどそれに対して話しかけてくる人が何人かいた。当然、好き勝手に喋ってるだけだからほとんどスルーして僕は自分の言いたいボケをするか自分の言いたいことを向こう側気づかないうちに吐きまくってストレス発散するみたいな関係になって居たんだけどその日は僕のことをじっとみて来て「頼りにしてるよ」と言って来た。自分は,何でそんなふうに感じたかはわからないけどそれでこの人は一体,何を言っているんだろうと思った。僕が周りから世話を押し付けられまくって毎日,毎日目立つ嫌がらせを受けていることは全社員が知っているじゃないか。それで、そのことに対して僕が怒りに任せて誰かに対して吐きまくったり訴えたりしたことはないし「何も起きてない」みたいなそぶりはしていたけど半年間,ずっと朝から晩まで,耐え難い嫌がらせを受けている間の僕をこの人たちはずっと見殺しにしているだけなのにそ知らぬふりをして何を勝手なことを言ってるんだと思って,自分はアドレス帳にあるメンバーのメールアドレスを全部その日に消してやる事にした。
しまいに自分は自分がやった仕事も結局相手からの批判という喜びに変換されるだけなんだったらこんなことやらなくていいと思っていた。だいたい何かをして僕が驚いたり、僕が何かをしたら前後に勝手な意味を付けてアドレスの向こうから見てるみたいな相手ばかりだからノーパソの中に入っている途中までやったやつを全消ししてやったのである。僕はそれでその日は帰ることにした。やってやった。亡霊はこんなふうにして、自分以外の事なんてどうでも良いと思って暮らしてるんだって。で、まあ、別に良いかと思っていたんだけど自分はそれから数時間後,大袈裟では無いが立ち上がれない程の鬱に襲われていたのである。あれこれ邪魔だけされ続けて来て,毎日毎日何の意味もなくただ向こうがやりたいことをやってるだけで、でも実際には僕の1ターン1ターンが全て無駄にさせられてるだけで、やっと次の1ターンで自分が自分に対してまだ動けるってことを示すことが出来なかったら自分は死ぬんだなと思った。
それで自分は数時間布団の中で寝ていて、そのときもとめどなく「鬱」の感情の波が自分を支配し続けてたのである。もうその掲示板に書き込んで行く事以外のやつは全てやめようという気になっていた。というか、何も出来ない。用事も済ませる気がまったく起きないしご飯を作ったり誰かと連絡を取ったりはもちろん、本も読む気がないしテレビも見る気が起きない。で、結局一時間ちょっとしか眠れず,でもやっぱり、服着てやるべきことやんなきゃなあっていう気持ちもスケジュールに追い立てられてるあいだまだ少しだけあるみたいで,そのせいでいちおう起き上がって支度をしようと思い始めたのだった。こんなにどうしようもない自分が、何の楽しいこともない世界で,休みなく死ぬ迄…そうしてるまに、不思議なことにどこかから、起きなきゃっていう声が聞こえて来た。「起きなきゃ。」ほら。ちゃんとしなきゃ。
え?いったいどこから?自分は殆どよろよろになって起き上がり、それからやっとのことで歯ブラシをしてぼさぼさの髪の毛を整えて,階段を登り降りしながらも、それでもまだ憂鬱に支配されまくっていた。また今日も、やることだけは膨大にある。けどとりあえず、布団に戻るよりは外に出た方がいい。でも外の天気が良いとか悪いとか,はっきり言ってどうでも良いと思っていた。…でも動かなきゃ。そう思ってるみたいだった。だってそうしないと,今よりももっとやばい明日がくることが分かりきってるから。ほら、元気出さなきゃ。
…元気が出ない。
うん。でも、元気は自力で出すものだよ。それは、別の本に書いてあった言葉だったと思うんだけど自分が思うより以前の知覚みたいのがそうやって自分の意識に語りかけてるみたいだった。そうして僕は誰が何を言ってるのかわからないみたいな感じになっているようで、はっきりと思った。
元気出さなきゃ。ちゃんとしなきゃ。
みたいな。それて自分はまた外に出る事が出来たのだが、何かそういう状態を経たあとで僕は、人間には社会に存在してないような個人のなかにも仏さまみたいな存在があったりして、自分が意識だと思っている以外の部分でそういう情報⇔善悪がたたかいながら人格が統合したり分裂したりして居たのじゃないかと思った。そんなふうにやっとだけどまともなこともひとつずつ出来るようになってきた僕は、友人も家族も、それから過去に良いことがあったという記憶も一切なくなって一度完全に死んでから須藤元気を取り戻したのである。