To be continued

単純な日記です。

コンティジョンを観た

コンテイジョン(かんせんせを観た

未知の感染症が発生してパンデミックになる、それを政府、医療側とマット・デイモン演じる市民、医者達のドラマとして追っていく内容は、新型コロナをそのままでなぞっていくような映画。これがもし、コロナ発現後の映画だったとしたら、視聴者は映画を見ているのかニュース〜復習を見てるのかわからなくなるような感覚にもなるのかも。感染症を防ぐために接触を避ける、モノを媒介したウイルスが人の手や鼻、顔から接触感染することや、発生源が中国の森林部にあるコウモリや豚を媒介しているなどコロナと状況が酷似している。とくに蝙蝠の部分はこの映画が単なる預言ではなくえいがをとおした何らかのメッセージなのか??とか色々考えて分からなくなってきます。

ただ、映画なので発生の部分から観ることができるので、無感覚になりつつある感染」が恐ろしく思えてきます。といってもそれを煽るような内容ではなく事態は淡々と進んでゆき、はじめは一人の女性(アイアンマンのヒロインだったグウィネスケイト)が中国に旅したところから始まる。この女性がマット・デイモンを夫にもつ妻で、前彼と浮気するために滞在した上海で感染してしまうのだが、そこから一週間も立たないうちに全身に痙攣を起こして家族の目前で亡くなってしまう。恐ろしいのはつぎつぎ接触感染を引き起こしていく人間がそれぞれの日常の中にある場面がリアルに映し出されているところ。感染者の恋人が、感染してトラック前に飛び込んでしまった恋人の死を悲しむ場面の後に、自身も一人動かなくなって感染死する場面がえがかれている。そのように、人々の状況、日常なども全く無視して、ウイルスは自身を変化させながらどんどん広まっていく。

場面が次々展開し、シーンが切り替わり映画的に明らかになっていく感染症の正体は、第九地区のドキュメンタリー調の始まりにすこし似ているようなとこもあったけれど、向こうがちょっとやらせ感とかエビがいることによるフィクション感がちょいあるとしたらこちらの方がリアルさ、真に迫って来る感覚がある。

ただたしかに、マット・デイモンが出てきたあたりから(何か起こるのかも?)と思いながら見ていた人は多そう!しかしパンデミックや強奪を行なう市民以外、特に事件のようなことは起きない。彼は単に妻を失うとともに、その浮気を知り苦しむ、誠実ないち市民として出て来る。

で、この映画は多分政府、医療側として見る視点だったと思うのだけど、特異だったのが一人のうさんくさいブロガーがその政府批判、ワクチン批判をする記事を書き一千万以上のアクセスを得ているというところ。この人はわりと初期から出てきて、まだ感染症の正体をこちらが知らない時から「水俣病のように、魚を媒介してうつるのかもしれない」とか「レンギョウ(ってなに)が効く」みたいな情報を植え付けてきて感染症のおそろしさと、それに群がるデマーうさんくさい人間とゆうパニック感を演出して来てくれるのだが、テレビで話すシーンとかも胡散臭さ前回の秀逸な演技を披露してくれています。首の傾げ方とか人の見据え方とか、こういう人いるwこういう話し方ムカつくwみたいでした…が、彼が言っていた感染症フィクション説→製薬会社や、それで売れなくなったモノに対する隙間産業を推すためにつくられた、のような説は一見胡散臭さ全開で話されてはいるが、この映画におけるひとつの真実としてもあるのかも?ちょっと立ち位置がある方に似ているような気もしたので、こういうのを見るときは「誰の視点で見るえーが?」みたいなのは考えてしまいます。