To be continued

単純な日記です。

バッドマンビギンズを見た

◯バッドマンビギンズをみた

いろいろなヒーローものをへてからバッドマンを観て思うに、ヒーローには構成要素みたいなものがある。それは、戦う大義名分、変身するためのキット、父親的な存在、姿を隠さなければならない理由、(あとヒロイン)などなど…そう言えばわたしはこういうものの最初に見たのはスパイダーマンだった。

アイアンマンのテーマが心臓、可動燃料だとしたらバッドマンは、「恐怖」がテーマである。バッドマンの主人公は幼少時に両親を暴漢から殺されているが、それと合わせて幼い頃に井戸に落ちた恐怖体験がトラウマとなってコウモリに恐怖心を抱くようになった。自らのトラウマとも言える恐怖や、そのトリガーとなる過去の経験、街を支配している腐敗した支配層に復讐するため、さらには、克服するために主人公は一度武者修行に出るのだが、、

渡辺謙などがその修行先の謎の支配人のようにいるのだけど、日本人感覚でこれを見ていると序盤は違和感だらけになる。まず、主人公の顔立ちがトムクルーズ的な強めの(みたことない)白人のかおで、それがアジア圏に入り込み修行をしていたり、汚い服を着て配給をもらってたりするシーンがあるのだけどそれが踊るサンマ御殿に出ている日本語を話す白人的トリッキーさがあるのである。わたしは、これを見ながら不思議に思った。この違和感を、白人圏の人たちは感じないのだ。くすんだ色や土に馴染むようなファッション、アジアの荒廃感が白人には全くと言って良いほど似合わない。

文句ばかりをいいたいわけじゃないが、それから、わたしたちが慣れ親しんだ渡辺謙さんが「アジアの謎の悪人」として出ているのもかなりヘン。渡辺謙さんはどう考えてもヒーローの顔立ちをしているのでマフィアの重鎮とか日本の仁義を知ってるボスとして出てくるならわかるが、素性を伏せた根拠の不明な悪人としてあり、ニヤニヤ笑っているとこがとてもヘンでした。

そういう違和感は映画を見ているうえで珍しいものではなくややゴリ押しで映像の魔力で推し進められるみたいなとこはけっこうある。

アイアンマンでは技術者でもある主人公が、廃材のようなものから最新技術を駆使してアイアンマン(ゼロタイプ)を作ってしまったのだけど、バッドマンの場合は「富豪だから買える」みたいなシーンが大幅に出てくる。それも、武器製造をしているというアイデンティティがあるわけでもなさそうで、副業として武器を輸入しているという設定である。ここに出てくる執事のおじいさんが主人公を何度も助けてくれるのだけど、その執事に頼んでバッドマンの素材を集めてくるみたいなシーンが多い。収集のシーンは「こうやって使いたいから持ってきてくれない?船に◯トンくらい」みたいなノリ。え…それだけではなく、バッドマンのテーマとなっている「恐怖」にまつわる話は、街を支配している構造やバッドマンの過去、それから強さや行動の原理としてあり、哲学的な話も出てきてその部分は面白いのだが、バッドマンがとりあえず選んだシンボルとしてのコウモリは、そのまんま自分のトラウマのトリガーであり、そのことを執事からなぜ選んだのか尋ねられるなどのシーンがあるのだけど「自分は恐怖を乗り越え、恐怖のシンボルとして支配者に恐れられたいからこれを選んだ」のだそう。つまりバッドマンというのはハンドメイドのヒーローだったのだ…!とわたしは思った。スパイダーマンは蜘蛛に噛まれたから必然としてスパイダーマンだし、ハルクも意思に関わらず巨大化してしまうとこがあるが、バッドマンはどう考えても「やりたくてやっている」が強いため、この辺の設定がちょっとあやふやなので見ているときにムズがゆくなる部分がけっこうある。その辺は多分トラウマ体験があると思うのだけど、特にコウモリの部分はそのくらいでッ的なのもあるし、与える恐怖もちょっと中途半端で、マスクを付けた時の顔のコワさで補ってしまっている。肝心のアジア武者修行もトリッキー過ぎてしまった。

見どころは、クレール(?)という弁護士との対決だと思う。支配層のコマとして使われているだけの人だったのだけど、恐怖で街を支配するという構造を示す重要な役割を担っている。ヒロインは街の検事を務めているのだが、街や悪人、汚職にまみれた警察などを法律により裁こうとしている。が、いっぽうでクレールは支配層と裏で繋がり、人々を恐怖、つまり薬品などを使いマインドコントロールで支配することで精神を支配しようとしている。なんて言っていたが忘れたけど法律ではなく僕らは病院内の精神の中で戦っているんだとかなんとか。。

支配者層はそのように中間層を使い人々を支配しており、中間層のやり取りはなかなかおもしろい。バッドマンで一番面白いところはこういった、構造や人がぶつかるときに交わされる会話の部分だと思い、その辺はアジア授業時から哲学も大いに含んでおり、文字に書き起こして読んでも面白い部分だと思う。
※意識してホメています!
主人公とアジアでの武者修行に出てきた父親的存在の人との対話も多分ストーリーの中核を占めていると思う。この人たちは最後、主人公の街を破壊しようとする闇の組織として再び出てくる。最後の戦いを見ていて思ったことは動物は力で勝つが、人間の場合はそれ以外の論理上でどう勝つかというというのもあるんだなーということだった。特に、主人公は相手の質問に答えすぎるが、支配者層はそんなことはしない。相手の質問に答えるって時点で相手に合わせてるわけだから、これは勝てそうにない感があり、それが論理で勝つってことなんだなーって見てて思ったが、最後ようやくバッドマンが優位に立つことになる。

そこでその父親的存在の人も「おまえもいよいよ信念を貫こうとする覚悟ができたか」と言うのだが、バッドマンが最後勝ち、それに対していう返答が「この電車を止めるとは言っていない。だが、助ける気もない」みたいなことで、結局相手にはとどめを撃たずに墜落する電車に残したまま飛び去ってしまうのだが、うーん、、なんか中途半端!と思ってしまった。

置き去りにして死なす…そんなのヒーローじゃない…いや、バッドマンだからなのか…

ヒーロー的にいけないところは多々あり、絶体絶命のピンチを執事に電話をかけて迎えに来てもらうみたいなところもちょっと見方を変えるとコントでしかないのでその後のムキムキの裸体とかヒロインの前で正体をバラしたかったりするところとか、それでいてバッドマンでいたい部分とかもウフッて何回もなりそうになる。しかも来たぞ的に置いていくバッドマンのシンボルはすのこみたいので自ら手作りしている。。や、やめちくれー!(もしかすると手裏剣をイメージしたものかもしれない。)と思いつつ、その辺は大真面目に進んでゆくのである。

そんで、次は何かまたジョーカーみたいな別の話につながっているもよう。

ジョーカーははっきり言って見る気ない。

色々と疑問はありつつも、とりあえず物語は進み、水道管を破裂させることで事前に撒いた幻覚剤が拡散する→人々が幻覚を見て、恐怖にまみれてパニックになる、というのは新しい感じがした。ゾンビ映画はあるかもしれないけど。

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まとめとして、台詞や哲学的要素は面白かったが、そもそものバッドマンである理由やヒーローとしての意義、&キャラクターはちょっとなじみにくかった。

ヒーローは一朝一夕ではできていない。。。「勝ちたい」「やっつけたい」という強い意思が、観客を、ストーリーを引っ張っていくのだ。。そのうえ、敵にも哲学があるともっと面白い。スパイダーマンの場合は、敵が倒されたというのに悲しかった…

あとは、ヒーローの成り立ちやキットの入手法からしてアイアンマンみたいに練られているとおもしろい。

そう思った。

今回、文句や斜めの意見など言わないに越したことないと思ってたが、とりあえず書いたらこうなった。