To be continued

単純な日記です。

セクハラとパワハラの、玉手箱や〜(^O^)おふっ

●思ったこと〜
ハラスメントとともに生きるという事って、その行為や暴力それ自体の他に「この行為をされている理由」「相手の性格」についても考えさせられる。パフェ」の話じゃないけど、そのことは考えないようにするなと言われても自然と、ほっといてもずっと考えてしまう部分で、人間が次の事態に備えてする本能として、もしかするとあるのかもしれない。自分はそれがいやでも、なかなか考えないようにはできない。
だから来る日も来る日も、終わらない、変わらない人たちとハラスメントの中心に置かれて精神がへこたれてしまうのは「理解しよう」とする働きが「理解し切れない」に向かうほど、行為でパンクしてしまうという理由もあるんじゃないだろうか。ハラスメントされている側はそれ自体とともにそうせざるを得なかった、わざわざ奪って行った、相手の精神構造まで体験しなくてはならないと思うと病の闇っていうのは深いと思う。
※法律は理に適っている…
わたしら一般人の社会でもリーダーシップ〜体感強めの人に従うみたいなのがふつうにあるのでそもそも政治家」という職業自体が体感が強くて欲求がある人が率先してなるのに決まっているから、その人に経験や学問があるかどうかみたいなのが生活を左右するみたいなのも厳しいと思う。もはや、運…?いや、民主主義は違ったはず、、、
だから、理想や正義っていうのはなんなの…?とふと考える。「それが皆にとってわかりいい」は100%ではないのだと思った。皆が皆、今、ここにあることをとりあえず続けたいで続いてるというのもわかった。それが人間で、人間はもっとも、不安や恐怖という感情に従う。じゃあ、ここからはやっちゃダメというルールはどうするのか?一番良いかたちってなんなのか…?などなど
考えてました。

「理解するとはなんですか?」
「それは、相手の行動ひとつに自分をすりあわせてみることです…」
「分かるとはどう違いますか?」
「わたしはわたしの身をあなたの行動やあなたにすり合わせてみる事で、わたしはあなたになってみます。
あなたがあなたのためにした行為から、わたしは時間を遡らなくてはならなくなりました。
わたしはあなたに触れた時点から遡り、あなたがどうしてそうしたのか…あなたが「だれ」なのかを考えさせられるようになります。それは、わたしが人間で、あなたと同じたましいを持っているからです…
あなたがどう考えどう生きてきたのか、何もかもわかったふりをして嘆いたり怒ったり親しんだりする前に、わたしはわたしをあなたに重ね合わせてみます。