To be continued

単純な日記です。

物事の終わり?そんなのナイナイ。あなたがギャフン!って言うまでだよbyカラ◯ーゾ◯の電波基地

こんにちわ。最近、体の調子が悪くて,いろんな人にいろんな言い方でそのことを話しながら,一体どうして同じことを何回も自分は言ってるんだろうと思いながら考えてたんだけど、多分こういうのは、訳がわかってないとか話したこと自体を覚えていないっていうよりも,誰かから明確な「ギャフン!」つていう声を聞くまで繰り返されるものなんじゃないかなって考えてました。それで、自分が体の調子が悪い理由をだいたい半年〜一年間くらいにわたって大いに考えてて思いついたのは

①コロナに罹患したせい

②肝臓の調子が悪い

③加齢

にあるのじゃないかなと思いました。それで、本当に自分は何回もそれを書いたんだけど,とにかく酒を大手をふるって飲めなくなったのがあり、これまでザルかというくらいに浴びるほど飲んでいたのが本当にマジうそのようにぱったりと飲めなくなってしまった「ふしぎ」の理由が一体なんなのかていうのがまずあり、それから、毎日基本的にある体の調子自体が,ともかくも死ぬほどダルいというのと、かと思えば,体の内部が上昇気流になってるみたいに「ワーッ」てなっているときがあり、この時はほんとにねむくてしょうがないような感じで,自分はこれまでに経験したことのないようなそういう不思議な感覚に塗れておふとんで寝てるみたいな機会が増えてしまいました。

それで、自分は対策というか、もう人生も曲がり角に差し掛かりまくっている年齢において地道な体力をつけていくことにしました。まず、自分がやってるのは筋トレで、これは寝る前の30分くらいを使って腹筋、&足アゲ腹筋体操と腕筋、をすることにしました。これは、自分の深夜の行動を見ている人からはいつも奇妙な行動と揶揄されたりすることもあったんだけど最近ではもう何があってもそんなしょうもない揶揄自体をされなくなってきました。

次に,地下街を毎日30分〜40分くらい練り歩くというのがあり、これは仕事のあいた隙間時間とかになんの予定もなくウォーキングするっていう体力づくりとしてあります。これは、仕事の予定が入りまくっているときにも別件として処理してやっていることなため、「おい、そんなことはいいから早く仕事しろ!」と言われてもしょうがないかもしれないんだけど、自分の中での「問答」→「答え」まで出し尽くしてることに対しては,しょうもなく誰彼に対しても胸を貼ってやっているっていう時点で行うことにしています。

ところで、話は変わるんだけど最近いろんな調べ物をしているうちにはまったものがあって,その中の一つに霊界についての話っていうのがあります。これは、自分の友達からたまたま大量に本を貸してもらって,気づいたら全て読み終わった後でも先が読んでみたくて自費を払って新しい本を購入して大量に読んでいるという興味というよりまず手段の方が先に立ってはじまったことだったりするんですが、それを読んでて自分も、霊界とか神様だとか、霊魂についていろいろと考える機会をもって、それでもってさらには、何故そういう界隈に対してなんの疑問もなくスッと入り込めたかというと,そもそもハマった本というのが実体験をもとにしているため、いつもみたいにでも、フィクションなんだよね?ていう疑問が湧いてくることがなかったというのと、その本の絵が艶っぽくてまあまあ好みだったということ、あとは、よく少女漫画とかって文法的に,他人から言われたことだとか急激に気が付いたことに対して感動のエフェクトを大きくするみたいなジワりゾーンみたいのをよくもうけてるなあっていうのがあり、それが作者によってはちょっとでかいというよりかめちゃくちゃデカイみたいなこともあってそのへんの文法がどうしても飲み込めなくて少女漫画に対しては好き嫌いが割に激しく,白泉社とかのはまあまあ読めたりはしていたんだけど自分の借りた本は,少年漫画ばっかり読んでいる自分でもスッと読むことができたのである。

で、自分がそれを読んでて霊界について気づいたことを簡単にまとめておきます。

①神様、霊魂はいる

まず前提としてこれは「いる」ってことになっています。

②世の中には、見える人と見えない人がいる

とりあえず前提としている神様、霊魂のようないろいろな要素に対して視力がある人とない人がいて、見え方もさまざまだけど、自分の感覚をもとにして読み取る→なのでさまざまな形でそれが出てくるというところがリアルに感じた

③悪霊退散するために写経を使う

随所に出てくる写経を何枚もするっていう成仏のさせ方を見ながら,でも自分も苦しい時は南無阿弥陀仏を自然と取っているのでこれもスッと飲み込めました。

それで、こういう世界があってこの本の主人公になっている人は霊能力者としてお仕事をされているんですが,具体的には人に憑いている霊を見ること,それからその過去、因縁やその人にくっついてしまった理由を透視するかのように解き明かし,なんとか除霊するという感じで物語が成り立っています。これを読んでて,へーっ!て完全なる興味でいっぱいになって、もっと知りたい,もっと知りたいってなっている一方で,自分の中でまったくわけのわからない「でも、ウラヤマシイ!」っていう急激な憧れみたいなのが湧いてくるのを止められないワタシがいました。

こういうのにハマるのって結構昔はあったりして、そういうテレビ番組を見たり本を読んでみたりして妄想するっていうことはありましたが多分まんまそれだったりするんですが、でもその友人づてであったそれ繋がりの人と話した時,その人は実際に霊能力を持っていらっしゃるんですが、普通に話してるんだけどまったくへんな先入観とかがなく、自分の話してることの表面上の会話じゃなく意図のほうから一瞬にしてわかってしかもレスポンスしてしまうみたいな人で,すごい面白かったです。

それで、話は飛びますが②の部分のリアルに感じたというところ、自分は学びとしてためになったところも実は数多くあり,いったいどうしてそういうイタコだとか、霊能者とか、占い師のような人がいたり,例えばいまの日本みたいな都会化に向かって突き進んでいるみたいな状況からは読み取れないくらいインドの占星術が発達していたりするのはどうしてなのかと考えながら、あるとき養老孟司さんの対談本を読んでいたんですが,それによると人間が外に作り出したものと,生物が元から持っている身体の構造で後から照らし合わせてみればだいたい同じ法則性を持っていることが数多くあるらしく、そういった神秘的な奇跡みたいのは数多く存在しているんだそうです。まずピアノの鍵盤なども、耳の神経の配列と同じ法則にのっとって配置されていたりするのだそうです。養老先生からしたら、例えば弦楽器のような地続きに音が変化するものに対しては創り出せるというのは頭で理解できるが,ピアノの鍵盤にいたっては、こんな区切られてあるものをどうしてそんな配置を思い付いたのかわからないとのことで、自分も確かにそれは摩訶不思議と思いそれについて考えてみたんですが,超能力的なことを考えてみるにあり得ないなどと思ってしまいがちだけど、世界に数多くある超常現象を自分らが見ながらそれについてはなかなか知っている言葉でそれを説明できないのと同様に,自分らが地球の上でやや閉じ込められた状態で生きている上で,そういう超次元的なエネルギー、わけのわからなさというのが予め地球次元的な感じで自分の中に全く眠っていないなんてこと、むしろあるわけないなって何か,考えたりしていました。

でも自分は本当に,もとから霊能力は無いみたいなんで全く霊魂を見たり、聞いた経験というのがなかったりします。