To be continued

単純な日記です。

つくねと僕

今日は、仕事場のおじさんが夜も10時を過ぎた頃に来て僕に焼き鳥を買って来てくれていた。僕はそれから、焼き鳥を温め直してから食べたんだけど,それは、つくねが2本のパックだった。それを見て,そういえばこういうシチュエーション前にもあったなと僕は思った。その時も自分はつくねを買ってきてもらっていて、「自分はいったいいつ、つくねがすきって言ったんだろう」と思った。それで考えてみたんだけど、思うに、例えば居酒屋とかに行った時のことを思い浮かべてみて、たしかに自分はそこにある焼き鳥のメニューからつくねをよく選んでいたかもしれないと思い,でもそれは別につくねが食べたいと思っていたわけではなく、唐揚げとか,ホルモンみたいのを食べるとそれだけで胃がもたれてくるため、結局つまみみたいなのがないかな〜と思って探した果てに毎回つくねを選んでるだけだったと思った。だからたしかに、僕がつくねが好きだと思われてても仕方ないんだけど、他人から見た自分がいつのまにか=つくねみたいになっているのを知って,意外だなと思っていた。ただ,それだけの話です。なんですが、考えてみて,前ももしかしたら書いたかもしれないけど,そんなふうに他人から「◯って◯◯が好きだよね」て言われることってたまにあるなと思って,自分の場合,実家の母親がいつも、「あなたは洋梨が好きっていってた」とか「りんごの中でも黄玉がすきっていっていた」と言う話をもう、会うたびに何回もされていて,その度に遠い記憶を腕で全部かき集めて改めて思うに、「そんなこと、いつ言ったっけ?」とどうしても思うのだった。いつ言った…というのと、そんなこと、今の俺に言ってどうするみたいな気持ちも多分ともにあるために,そうだったっけ?でも、別に今はたべたくないんですけど〜!!ていう強めの反発が,出会い頭に、意味不明に決め付けられたせいで湧いて来てしまうのである。

そう考えてて、とりあえずつくねにかんしてはまだかわいい話だけど,洋梨とか黄玉にいたっては、思い込みもあるというか、もしそうだったとしても、知らんしみたいな気持ちも家族に対してはあるだけに、あとはその、「好きだったしょ!」みたいな強めの圧にわけのわからない執念をかんじつつ、だからこのひとは、いつもまったく知らない誰かを僕と思ってかわいがってたんじゃないかと思うくらいキミョーな感覚になっていました。でも親ってけっこう、そういうものですよね。

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それからその後,自分がトイレに入ってから鏡で自分の顔の実年齢を見たあとで思ったんだけど,さっきまでネットの中坊とかにいつもみたいに腹が立ったりほかのことついていろいろ思い出しては考えてみたりもしていたんだけど,流石にお前はもういいだろと思った。もう、この年齢になった後でお前が来なくても良いっていうか、わざわざそれを見るとか,行ってきてわけのわかってないうるさいだけのことにいちいちリアクションしていたとしても、もはや「まったく関係ない部分」の方が五割以上の状態で侵食しつつある。それで、もう年寄りとしては、わーきゃーさわぐって言う立場自体,そういうのもあるんだなっていう認識くらいで、いつもの通りにただ自分の仕事だけを黙ってやってれば良いじゃないかと思った。目立ってみるとかも、もうしなくていい。もう、お前なんかは,早く裏方に回って、誰かのための礎を築くために汗水たらすとか、狭い人間関係の中だけでも親切を演じてみたりして,まわりに還元できるようなことを考えて生きてればべつにそれでいいじゃんと思ってしまい、もうお前はとにかく、見た目に輪をかけて中身、めっちゃ年取ってるんだからって思って急激に僕も、↑からの→ダウンしてきてました。