To be continued

単純な日記です。

今日もキャンペーンだったのでなかなか忙しく働いていた。キャンペーンは今週の終わりまでだからあと三日ほどある。色んなこと(三つとか)が同時進行していると集中しているとき、していないときで大分仕事の能率に差が出てくる。集中出来ていたとしても半日経つ頃どーんと能率が落ちてくる気がしていて、僕の場合最近のSくんが出勤するころミスばかりするようになる気がしている…
小説を読んで、それが面白かった。初めて読んだ作者だったけど当たりだったと思う。歴史のことが書いてあるやつで、文化を知るのにも結構勉強になった。

ずっと、なにかを書いていたいと思ってしまう。調子悪い時も、良い時もずっと、それで自分のことを知ろうとしている。
学生の頃の集まりで、自分達の立ち位置を知るみたいなこともたまにしている。その一人に、嫉妬を露わにするみたいなことをしている人がいて、冗談なのか、本気なのかはわからない。世の中には、人を騙して顔を見ているだけで満足する人も居て、そういう人は常時で人を騙そうとしてくる。僕は、まだそういうのは無理だなと思った。そういうことに芸術性を、どうしても見出せない。(だから、なんやねん)そういうのがずっと付きまとう。あたりまえのことを、あたりまえに載せているだけだ。
すごくはない。もうやめてくれと思う。

書くことをなんでって聞かれると自分もよく分からなくなる。一人でやっているとき、それが当たり前でしている人の中ではあたりまえにやっていることでも、そうでないところに来たらかなり変なんだなあということに気付いた。

ところで素数というのは単純に見えてこれはかなり難しい。僕も手を付けて見たけれど出てくるわ出てくるわ、多岐にわたる書物が…僕は好奇心でやっていたけれど一月の半ば「もうこれ、無理だな」って思った。もう無理だなって思う経験は何度もある。例えば、学生の頃のサッカーのこと。あのとき、熱意をもってやったことがほぼで初めてだったのと、僕は本当はメンバーでもなんでもなかったこと、そういうのもあって、だからこの辺に対して嫉妬とか悔しいみたいなことをわいわい言えるようにはならないだろうなと思った。日常的にやるのは、はっきり言って適当にも出来る。適当を、良くしたいと思えばそれなりになる。例えば文章。これが出来ない人は、本当かなり終わってると思う。僕が教えてあげたいのは、馬鹿っていうのは盲目という意味で、どうにかしようと思った時点で変えられるのですよ。小説も、やる気だと思う。ダメな人は、駄目って言われた時にすぐ「それ以外」をたくさん纏って自信を取り戻そうとしますね〜。良くいる、ガッチャガチャにアクセサリー付けて歩いてる大人みたいなやつ。雑学は多いのに、哲学はまるきりない。逆に言えば、毎日草履をつくるだけの人でも、突き詰めれば哲学はあるんですよ。僕はそういう人を、尊敬しています。
つまり、難しいことを突き詰めるのは、これは、本当に僕がするなら這いつくばってやらないと出来ないと思った。僕はあの時はそれでもう、サッカーをするのが嫌になった。
「嫌になった」っていう感覚を今も覚えている。他人からも言われたりしたけど、うーん、なんていうか、やったことないとそれはわからないよね、って思った。だから僕が、誰かに嫉妬しているとか、こき下ろしたいとか、そう想像するのは良いかもしれないけど、本当はコーチのことだとか友人とか、友人の友人の言っていたこと、それ以前に入る前のこと、希望、夢、脱落、全てがそこに絡まりあってて、僕はけど、本気でやってたから、僕が言わないことをなんでお前が言うんだよ、って言う気持ちはある。
そう考えると、やっぱ蓋をしたい部分ではある。

でもさー、ぺらぺら話せるって、人がいいとかっていうより、やっぱりどこか本気じゃないんじゃないの?って思うんですよね。僕は、本気だったから。サッカー、もっともっとやれるって思ってたから。だからそんなに軽く生きているように見えること込みで、やっぱり憎いんだと思う。