【フリーの文芸委員がみにつけるべき心得】
①恥ずかしさを受け止める
何かをやろうとした…あるいは、人前で盛大に告った。そういう時にその全てが100%で受け止めてもらえるなんてことはまれである。だいたい5、6割くらいはスベる事もある。が、そういうとき、フリーの文芸委員のメンバーは、恥ずかしがってはいけない。やるべきこと…それはすべてを自らが受け止めるという事てある。
スベッている最中、人が感じるのはまず
◯人の声のなさ
である。静けさ…それを100%で受け止める。
それから、次に感じるのが
◯何故この場所にいるのか
みたいな「そもそも」「理由」みたいな事である。
何でだっけ…?そうそう!オモイダチタ!(^q^)
そのあとで感じるのは
◯もしかして滑ったのかな?
みたいな可能性に対する疑問。その時すぐに自分の中で反証が浮かんでくる筈である。「まだ分からない」
え…?今の誰の声…
つまりひとは、その中で反証と事実の中でごた混ぜになる。
が!フリーの文芸委員は、そのすべてを100%で受け入れろ‼️
そしてその次に、フリーの文芸委員は
◯グルグル状態
になる。でもここで、狼狽えてはいけない。メタを使いこなせ…。
とにかく、グルグルになっているのは確かだが、そのすべてをフリーの文芸委員はむしろ見る。
そうする事でその場に残された自ら一人が、それを100%受け入れる立場になる。
それから、一番恐ろしいのがこのあとである!
民間の文芸委員であれば良い。それは、会社のせいとか、トモダチのせいとか、誰も聞いてないけど現代の流れっていうかおまえらのパーティ感覚を読んだせいみたいな意味不明な原因を引っ張り出しても許される。
が‼️
フリーの文芸委員は人のせいにしない❗️その為、このあとで「何か一言」を言わなければならない❗️
ハア〜困った困った❗️
困ったぞ❗️
フリーの文芸委員は…ここで「※存在理由に関するフィクション」さえも
自分で紡ぎ出さなきゃならないのだ❗️
このとき、※アマチュアの文芸委員の場合、これまでの過程を全否定して、「スベッた感」を野外に対してバスケットボールを渡すみたいに投げつける事がある。
これはいけないと思う。
オマエがやりたくてやったんじゃないのか…?
それなのにオマエ❗️
すべての理由を、いま、偶然目があったやつのせいにするな!
檻の中のゴリラか!おまえは❗️❗️❗️
はっきり言って
危険やぞ❗️
が❗️
【フリーの文芸委員はこれを、100%で
受け入れなければならない❗️】
皆〜‼️
復唱してくれ❗️
【フリーの
文芸委員は
これを
100%で
受け入れま〜す/(^o^)\
ハア〜ドントコイドントコイ
ドントコイドントコイ
そんなふうにして、
「自分のやったことを、皆が見てない時にはむしろ自分が100%受け入れる」
ようになったフリーの文芸委員は、サラリーマンが宴会で滑った後の数十分の状態よりもずっと安全・安心・クリーンオブマインドネスなのである。
おわりです!