To be continued

単純な日記です。

本当に青いな....

今日は特にすることもなかったので自分が今までに書いた(主に去年のもの)小説を読み返したりしていた。二、三作くらい…何で、こういうことをするのかって言うとやっぱ、書いた後でまるきり忘れ去っているって言うのがあって、あまりにも忘れすぎな気がするので自分でも考えてみたのだけど普通に今でももう五日くらいすればその内容とか結構忘れてるみたいな感じで、一年前〜それ以上になるとなんで、こんなものを書いたのか本当に自分が書いたのか疑わしいレベルくらいまで忘却されているみたいだった。何でか色々考えるけど、その中でも自分の書いたやつのおかしい表現とか、ちょっと足りないとこみたいのが気になってとりあえず本能的に「見たくない」みたいなとこに位置付けてしまう癖があるらしく、自分の中でその時間が経つにつれて「見たくない」→「失敗した作品」と見做しているみたいな感じでいるんだと思った。
見直して見て、他人事のように感動したりしていた。自分でも書いたこと忘れてるので過去から現在にあたっていろんな角度で自分に接触してびっくりしているみたいな感じ…

今日もこの日記をどうしようかなと考えてて、周りの人からおかしなことをするなと、忠告を超えた「訴え」的な態度でもはや言われたりもして居たんだけど、やっぱ続けて行きたいなと思った。
自分がその過去作を見直すにあたってどうしてこんなものをわざわざ作ったりして他人に見せたりして居たのかと考えて、改めて思うに自分の属性としてはエンターテイナーみたいなところにいたのかもなと思った。やっぱり自分は相手がびっくりしたり喜んだり怒ったりしてる顔を思い浮かべてやってるらしい。で、あとは自分もそんなふうに、ひとつの世界のカラクリが少しでもきちんと見えたり、楽になったりするとりあえずのものはどっちかというとあってほしいと思う。だからいろんなことが起こるけどそれを毎時間で忘れて、関連性とかもそこにいる人が居なくなってしまえばまるきり忘れ去ってるのがひととしての常態であるので、それは地味だし、毎日古新聞に置かれる程度の重さで忘れ去られるようなものだろうけど、やっておかなきゃならないことだと自分は思う。たまに書いて置けば自分から見た時も役に立つんだなと今日は思った。
で…そんなふうに自分の地点から書いてるもので、それは困った時とか、一人の時に読むような部類のものだと思う。そんな中で突っ込まれることに、「たのしくない」とか「感心しない」みたいなことを言われて、しかも別に僕が読んでほしいと頼み込んでるとかいう事実は一切なくその人たちが常態として勝手にそれを読みあさっただ上で、その知識は当たり前のものとして吸収し尽くした上で読んでいると言う事実さえ忘れ去ったあとで「面白くな〜い!」みたいなことを言われるにあたって僕もさすがに、感じてたんだけど、うわ…ッこいつ…


うわ、うわうわうわわわわ!

こいつ、タダでやってもらってることに対して…


うわ!


みたいな事だった。

 


わざわざ、特にその人には必要ないのにやってもらっている」こととか「ちょっとでも工夫すれば自分でやれること」だけどその人が努力で毎時間やってくれてることも好きだから勝手にやってるその人の性質なんだろうみたく変換したりされて居たりして、自分達はまだわたしは、前世を遊び尽くしてる】みたいな状態でいるだけなのに良くそんなこと他人を指摘しに来られるよなと思った。
そこら辺はいくら説明しても結局翌日彼なりの解釈に再び変換されていると思う。もうこの辺は毎日、毎日言ったり言われたりしても変わらないところでその人なりの世界が存在しているだけなのでもう自分からわざわざこれ以上言うことはないと思う。何にも決めないで指針とかもないでやってると結局ひとって、その辺の人に寄りかかったり寄りかかられたりしてるだけで特に何も得たり努力もしてないのに「生きてる」って思ってしまいがちだと思う。で、知らないうちにひとりの、何もしてない何も持たない浮かれてるだけの若年寄りとしてそこに居たりするというわけ…
とにかくそれは僕がこれから合う人を選んで取捨選択すれば解決することだと思った。僕はそのへんに付いての擦り合わせを必要としてない。

 

 


今日の朝小沢健二の歌を思い出して聴いたりして居たんだけど歌詞がよかったと思った。歌で聴いてる時ももちろん良いけど文字を追うだけでも、小説読んでいる時くらいの感情移入があって、気がつけば自分は歌詞サイトにあるそれを全部読とうとしていた。
小沢健二のことに対してはメディアの在り方だとか、自分が聞こうと思ったらぜんぜん関係ない人から突っ込まれたりしたことだとか色々思い出してしまう(なにか、ぶってるとか、太宰を読んでる的に思われるようである。)んだけど、そういうもの抜きに小沢健二を聴きたくなる時が自分の中であるんだと思って、それも彼が、あの時の時代のひとつの象徴でいたっていうこと込みであるからだなと感じた。メディアのことに対して彼も多くは語らないし僕も良く知らないけど、才能があって調子に乗ってるみたいに見えるみたいな人が妬まれこき下ろされるみたいな傾向があるのかもしれないと思ったりする。小室さんとかもそうで、そういうのはあまたの人の中で揉まれる人として、哀しいかなありうる現象なのかなあと思った。けど時代が変わってからも、というか成長してからの方がよく分かるようになったし、いま改めて見ても得るところが沢山あって、あらためて小沢健二があの時代にいて、それから友人がそれを好きで居たっていう思い出込みで、本当に自分は歌を聞くたびに過去を思い出しつつ、小沢健二的なものを良かったなと感じていた。皆さんもぜひ、見てみて下さい。(誰)