To be continued

単純な日記です。

人間は行動がすべてだ…

「さん付けで」の件


この間職場内にて同じ部署の人が「自分のことをさん付けで読んでほしい」と話しているのを聞いて、僕は「はっ」としたということがあった。はっ…、というのは、この人、こういうこと言う人なんだな〜というのでなく「僕はこの人のことなんて呼んでいたっけ…?」の方の「はっ」である。
ちょっと話は飛ぶんだけど僕はむかし、派遣社員をしていたことがある。あの時はちょうどニュースでも派遣と正社員の格差などが問題になって取り上げられていた時期で、その最中で派遣を、何人かの中でしていたりしたんだけど、皆けっこう他の社員に対して明確に線を引いているなと感じていた。もう就業経験のある大人がさっと来て、さっと仕事をして帰っていく…みたいな感じ。ネットとかでうわさを聞いてみると小規模のアットホームな会社とかでは「派遣さん」みたいな呼び方をして、例えば半お手伝い人みたいな感じで扱っているとこもあったみたいだけど、自分のとこではそんな感じだった。普段からして他人行儀、で、派遣さんが忌引きで帰る時にずっと確執もあって裏で悪口言っていた人が弔慰金を渡してたみたいなのをみて「おとなって、こういうことするんだな〜」と思って見ていたという記憶がある。(どうでも良いかも知れないけど…)
僕もそれを見てて思ったのは、そうか、結局働くっていうのはこういうことなのかもな〜ということである。つい、そこに入ったらそこに染まって、関係も築かなきゃならないと思い込んでしまうかもしれないけど、働くっていう役割をこなして、定時になったら帰る、そういうやり方もあるのかもしれない。で、何が言いたいのかというと、そういう場では敬語で話すみたいのが普通になる…と思う。派遣のみならずアルバイト、日雇いの仕事、僕みたいにフリーターの人の場合、そこに死ぬほど溶け込んでいるみたいな人もいるけど、だいたいが得体の知れない存在として仕事を担って終わったらサッと帰っていくみたいな人の方が多い。僕も、ある時から周りの人皆にたいして敬語使って話してるなと思っていた。明らかに一回り以上下の人に対してはさすがに逆におかしい気がしてタメ語になったりはするけど、だいたい同じくらいの人とは敬語でいつも話すようにしている。やっぱりそういう壁があるんだなって思った。
で…
それで思ったんだけど、僕、さん付けしないで呼んでたかな?と思って、その場で自分の記憶フォルダーを手探りのまま、その人と関わった時の記憶を引っ張り出してみた。僕は普通に、そういう線引きをして見ていたような気がしたのだ。そして「たしかにさん付けてなかったな」と思った。僕はすぐさま、その人(Nさんとする)に生まれ年を聞いてみた。だいたい、同じくらいってことを最初に確認した記憶がフォルダーにあったからである。すると、結果は生まれ年は同じで、生まれ月は僕の方が四ヶ月早かったということがわかった。

僕は「ほら」と言いそうになったんだけど、その時、「でも、待てよ」とも思った。こういう、どうでもいい言い争い、立ち位置の争いを、この年になるまでいくつもして来たし、見てきたような気がする。そしてそういう時だいたい、周りの人から半笑いみたいな感じで接せられてだなあってことを思った。僕はなぜその時、周りの人たちが半笑い状態だったのかも考えてみた。①関わるのが面倒だから②既出だから③周りから、動物と見なされているから
このケースがある。僕とこの人のやり取りだともしかすると③にしかならないような気が僕は、一瞬でしたのである。Nさんも結構そうだけど、自分は人間なのに、しかも結構優秀な方だと思ってるのになぜかわからないけど動物みたく見なされてるみたいな事に対して憤りを感じ続ける、みたいなことがあって、それに対する大分大きい疑問、蟠り、みたいのが気になりはしたんだけど、でも、今それをここで解消するときじゃないなみたいな感じはした。

立ち位置の争いみたいのは結構色々なところである。その時の線引き、人それぞれだけれど僕の場合は就業の長さでなく生まれ月で判断している。あと僕は、うっかりさんを抜かしていただけで、尊敬とかを蔑ろにしてたわけじゃない。









以上です!


死に場所を探していた

ひさしぶりにこのブログを読み返したりなどしていた。自分の鬱期について色々考えたり、ノートに書いてみたりなどしていたけど、多分百回くらい同じことを書いた。
鬱についてはまあ、それでいいんだけど、自分の中で年末年始にかけてずっと、「これからどう死んでいくか」みたいな考えがたしかにあったなと今になって思ったのである。僕は理由を考えてみたんだけど、やはりこれも積み重ねだと思う。いろいろなことに興味を持ったり、働いてみたり、日々を重ねて築いて来てはみたけど、そのどれもが失敗に終わったと僕は感じていた。いや、失敗ならまだいい。マイナス、マイナスの連続で、自分はこの先どう気配を消して、体力を維持したまま今よりもっと汚く年老い、それを周りに晒し続けながら、今よりももっと能力も失って、人脈も潰えて、それでも生きていくを選択し続けるのだろう、そういう思想がもっと確固たる位置であったなと思った。
今は仕事もまあまあうまく行っているし、体力がすり減るようなことがあまりない。本当にびっくりするんだけど、回復スポットも休憩もないまま、なんとなくで人っていうのはかなりの距離を普通に走り続けられることが出来るんだけど、そういうとき、外側からして骸骨みたいに変貌していくみたいな現象があって、そういうとき、本人はまったくそれに気付いてないんだなと思った。今結構太って来てるけど一年毎、二年前、僕はガリガリだったし、あんなに体調が悪いままでよく生きてたなと思う。
で、いつか死ぬ、人よりも早めに死ぬ、そういう考えが失せてしまってることに昨日、読んでいて思ったのである。体力も地味について来たし。あの時自分はたしかに、周りの人と自分はまったく違うし、死に方、気配の消し方、引きこもり方、それから、自分が生きていたあかしをどんなふうに残せばいいのかと言うことをずっと考えていた。そこに、これ以上もっと頑張って目立ったり、交流して楽しんだり、みたいな希望、まるきりなかったと思う。



連勝した。でもそれを全部夢だと思う

そんなふうな日常で、いまは生活が大分安定しているような気がしている。文学部の人達のLINEもまた見たりなどしているけど、ふと思ったのは、きちんと体系立てようとしてる人がこういうとこに入り浸るわけないよなっていうこと。もうそこに明確な使い分けがあって、もう自分のかっこたるコミュニティを持っている人がそのLINEに息抜きとして遊びに来てわざわざうんこばら撒いて反応を待ってみたり、ネタとして活用するために見る専としているだけなんだろうなと思った。

この間その中の人達と会って麻雀をしたりもしたんだけど四連勝くらいして僕(とYさん)だけがうはうはになってるみたいな現象があった。明確な勝ちを手に入れると人ってこんなにもアガるというか調子に乗り始めるんだなって僕は、自分の内面(新幹線みたいになってる)をみつつ思った…本当にこういうのはよくないですよね!槍玉にあがっている◯さんも、多分こういう感じの勝ちを重ね続けていて自意識の方が歯止めが効かなくなっているのかもしれないなあと思った。けど仕方がないのかもしれない。僕だって「全員、ばかなんじゃないの?」って瞬間瞬間で思うことがありますもん。みーんなおんなじようなことばっかり足並み揃えてやってて、誰もが知ってるようなことを今更のように話してるだけ。明確なリーダーもいない。こじ開けてみたら誰が何いった、誰それが何した、そういうことに拘ってないと居られないような職場内の主婦のようなことをずっとやってるだけ。ああくだらない。いや、主婦の方がはっきりいってかしこくてかわいい。でもその◯さんが公衆の面前で、今まで見たこともないくらい異性から振られ続けてるのを見て僕もだいたいがいい加減にしろよとは思った。







人間は行動がすべてだ…