To be continued(お掃除期間)

単純な日記です。

にっき

取り合えず自分は仕事がひとつ無事終わってほっとしていた。ひと段落着くと、それを自分ではわからないけど他人から言われた時点で形になったような気になるんだと思う。それから資料の整理とかしたり仕事が終わってから買い出しをしたりしていたけど何がスーパーの人が多い。外出自粛どころではない人の集まり方・・・最近はこんな事が多い。そういえばいつもだったら明日は祝日で、クリスマスや年末の準備をする頃なんだなあと思った。僕も色々どうしようかと考えたりしていた。精肉コーナーに鳥を丸ごと打っているのがあったからあれを焼いてみるのも良いかもしれない。と、主婦の考え事みたいなことをしながらとりあえず海老をカートのなかにIN。
仕事のまとめを書いたさなかから、自分の頭の中では脳内麻薬みたいなものがぶわーっととめどなく出ていた。自分内でどうこうするときはまだいいとして、何かそれを他人と共有しようとするとひとつのハイみたいに余計になるのかもしれない。このときも本当に頭が痛くなりそうだった。

同じように考えるのもあれだけど文章を書いているときもこういうホルモンみたいのは出ていると思う。
けっこうそうしている間にもいろんな人のことを思い出していた。それから文芸での出来事やそれぞれが凝っていることなんかも思い出した。僕はこんなふうだから今気が合う人と過ごすのが楽しくて仕方ないけど、もっと揉まれながら書いている人もいて、その人は「夢をかなえたい」と話していたなと思った。
そう考えてみるに自分のかなえたい夢みたいのが何なのかよくわからない。たとえば恋愛・・・友情・・・裏切りのるつぼの中でその感情をこじらせ続けることを、たしかに楽しいとか夢の砂地に身体をこすりまくりたい豚みたいな感覚にはなっていたのかもしれない。けど今世界中がオセロみたいなボードとしてあって、それをひとつ、ひとつとひっくり返して明らかになる可能性がほの見えているとしたら、その時に自分はわくわくするしそういうことがしたいって感じるんだろうなと思った。
なぜ自分はそんなふうになったのだろう。多分これは何か全体に対して争い続けた時の気分が残っていて、自分内に確かにあるのかも知れないと思う。あたりまえの杓子定規を繰り返す事でどんどん善になっていく気分を僕はぶち壊したくなる。
目的もなくやり続けることが体力の消耗でしかないと思う。その人達がそれでも良いと思っているのが不思議なのだけどもしかすると、目的があるとかでなく、そういう何にもならない紆余曲折自体が目的にすり替わっているんだろうなと思った。
だから僕らは違うベースに確実に立っていて、目的もまったく別の人間なんだと思う。その事を確認し合ったあとから、その人達が躍起になって自分たちの目的を正当化しはじめた。そうしてどこにも届くはずのないそれを世間から認められるように内包するすべ(あるいは犠牲)を求め出したようだった。自分はそんなこと、たった一人だから何度でもしてきたけど、この人たちは今更なのだ。
けどそれに対して言うような嫌味も特にないなと思った。それに対して二、三日後復讐心を拗らせて自分のフィールドに入ってこられることも予想が尽くし、それ自体が面倒くさい。目前の勝利に目が眩んで結局自分の足場を自ら突き崩すようなことをずっとやっている、それを眺めて、いったい何を言えば良いんだという感じ。

ただ、それでも毎日目的を拗らせている向こうは向こうの土台を確実にするために構造や犠牲を払って自分らの世界を構築する。それを見た僕たちが「もういいや、なんでも。勝手にやってよ」と言うのを待ちに待っているのだと思う。何度も思ったけどこの世界では構造を先に見つけて実現させたものしか勝たないと思う。感情論でどこまで引っ張れるか、は、それは若い人や優しい人しかついて来れない。
結局疲れるから、構造を形づくれる知性がいま一番必要なのだと思う。それであればいくら盗まれても風化したとしても結局人の中に知識として残り続けてしまう。
一応言っておきたいけど自分が人の取り入れたい意見として置かれているのもギリで負けていないのもそれがあるからだと思う。自分もけっこう無能だといつも思うけどこころ折れないとかいう精神論でなくてそれに対する反証を作ってこれない人間が多すぎるのでしかない。

結局ばかどもが自分が想定している敵を自分よりも力がない人間と見做すのを辞められないから、相手の立場を見ることも出来ず、文化を理解することもできずにすべてのやり取りは力の押し合いに成り代わる。

だからそれを判断し続け、時には発言するような心や知性を失わないで維持し続けられるように努力しながら、情報を安全なところで撮り続ける…っていうのしかないなと思う。

 

 

Mワン倶楽部

 

その前は友達に誘われてM-1グランプリを一緒に見たりした。話しながらだったのであまりちゃんとは見れていないけど、優勝はマジカルラブリーていうコンビだった。


何かその後くらいから友達と果てしない話し合いみたいになりそうな雰囲気になっていた。その日たまたま宅飲みしていた自分たちが、だんだんつまみも減ってきて、酒にも飽きて来て、ダウナーになってきて自分の家庭から相手の家庭、その果てにおたがいの仕事の話に入ってきそうな雰囲気を感じてて、つぎ、自分のとこに話がまた、これまでなんびゃっかいも繰り返してたのとおんなじ様な態度でこの程度の質の質問が繰り返し浴びせられるのかなあと思うとなんかもう結構どうでもいいいや、と思って、会話するのを辞めたくなった。そういうのが最近はなんべんもあったりして、だからけっこう何かになる前に遮断してしまうみたいなことも多い。文句とか、議論とか勝ち負けとか、それは何か意義があるからしたいと思えるんであって、単にくだ巻いてたいだけの集まりでまたそれをやるとか…別にいんだけど、普通にそれが一体何になるんだろうって思う。
真面目に考えれば、それぞれの場所で精いっぱい生きている人達がいて、自分がそれに対して何か言うことがあるだろうか。友達の方も意味も特に分かってないで居るみたいだったから余計に僕に何かしら言ってもらえれば悦みたいになるのかなと感じていたんだけど、でも自分はもう人生の中で既に同じようなことを何度もループみたいに見てきたようなきがした。そのフォルダというか引き出しみたいのが出来上がって来ている。だからそれがどういうとこに分類されるかっていうのを考えるだけで、あとはどうでも良いことのような気がした。それは多分、僕ってよりも、そういうことを感じやすい彼がいることの証明でしかなくて。

「年、取ったからだ」と何か思った。周りの人間が、果てしなく若過ぎるのだ。結婚も、すれ違いも、人の生き死にも、自殺したいくらいの苦しみも、何も無い。つまらない。こいつらといるのが、どうしようもなく、退屈でしかない。。。。

 


こいつは、僕がたとえ、何の理由もなくけつの穴にリポビタンDを入れられたとしても翌日平気な顔で出てきて全て忘れ去ってるような人間だとつゆほども考えてはいないんだと思う。

 

 

僕は、自分の内側が何かそんなふうにどうしようもなく年を取っている気がしてた。どうでも良いと思った。その辺のことで僕たちが本気の喧嘩をしようとするならそれなりの案件をここに今ある以上に集めてこなくてはならないんだな、と考えて、それが起こりうるとしたら、と想像して、かなりうんざりした。
それは誰かを納得させるための行いというか、ポーズとしてあるような気がしていた。

自分に対する印象みたいなものが一つではなく色んなパターンであるんだなと思った。貧乏人、金持ち、おとこ、おんな、ブサイク、性のモチーフ、それぞれのひとの口からまったく逆のことを次々と言われる。それを言われるたびにどうしてこの人はそんな風に考えるんだろうと考えた。その人もそれなりの理由と見た時の感じで印象をかたちづくっているのだろうし、それを変えないっていうかっこたる理屈だってありそうだ。自分はどうするのかと考えて多分同じような印象を抱くんだろうなと思ってしまう。ただ、それが何であれ縋ったりはしない。
こういうことがあるたびに知りもしないでと以前ならすぐに腹が立って言いそうになったけど、今はもう知らないのが当たり前だと思っているからほとんど言うことがない。いつか分かるときが来るよ、ていうのは同じような経験をしていない人が意見したいの塊になっている時、たしかに、知りもしないことを事実だけで受け渡されたらアドバイス一つでは変われると錯覚するんだろうなと思い、そう言いたくて仕方なかったこともあった。けどいまは、別に自分のためにそいつに変ってほしいと思うでもない。けど、僕たちは分かり合うを排してここに積極的に来ているんだよな。....そうやって色んな事を思い出してるあいだ、じゃああの人が僕を分かろうと思った理由は何なのだろうかとも考えたりした。 

僕たちが同じベースに立っていると向こうが先に思ったのは、その時点では勘違いだったのだ。自分は常にそれを覆い隠す愛情なんて持ち合わせていないから、こうやってサルみたいな顔をさげてふたたび、またふたたびと会うことになるんだろうな。
ただそういうのがある意味でM1グランプリと言えるのかも知れないとその時は思った。(※必ずしも理解者を必要としないという意味)

 

そんな風に考え方の違うだれかを年を取った今僕は「この人なりの世界地図の中にいるんだな」と思うようになった。
僕らはお互いのそれについて普段は何の意見も持たない。

互いの世界地図に対して意見を述べたくなってきたら、それは戦争の始まりなのだと書いておきたい。そういうゴングを常に、何の理由も言われもなく知らない人から鳴らされまくっているのが年長者の役目で、けどそれに対して得るところと失う所を考えると、ある意味でこれは気がくるっていないと果てしなく面倒くさいことに思えて来る。
戦争はそんな風に自己をひとつの狂気に入れ込んでしまわないと進ませるっていうことすら困難なのかもしれない。

誰なんだ・・・!一体・・・・!

やろうって言いだした奴・・・・・・!!!

 

 

 

 


自分の中では今身体の機能のことと、戦争や民族闘争のことに興味が湧いてきている。自分があそこで体験したことを分かち合うにはひとつの、大きな喪失感を伴う体験をしている人の話の方がいいと思った。僕がC君に対して出来るのは求めることでも与えることでもなく、ある線引きを見つけて僕がこれ以上Cくんを傷つけないようにする(成長する)っていうことだと思う。これは他の人達にも言える。

もう、求め合うのは辞めよう。それから与えているそぶりをするのもやめよう。僕は多分それをひっくり返したくなるから。けどそれは、常に無意識で起きている問題解決でしかないから自分でも何をやっているのか分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だれか頭の良い人、僕に教えて下さい!