To be continued

単純な日記です。

他人が持って来る話

白黒付けること

ちょっと前までは本を色々読んだりしていたのに、最近になるとその一つを開くことすら億劫になっていた。何が嫌だったのか、…それが何を読んでいても、書き手がそこにあるもの、こと、人、事象に対して持っている怨念で真っ先に白黒をつけていくことばかり自分には目が入った。結局は、書き手の意図している価値判断の中に入れ込まれていくことがもはやイコール読書をする事になってしまっていて、それが学ぶ以前に人格をコピペ〜して「理解できるか、否か」におかされてしまう…それが窮屈で仕方がなかったのである。これは文学部に所属していた時も同じような事を考えていた。
最近は歴史小説の◯◯◯を読んでいても有名な本だというのに最早読めなかった。茶の湯の話のはずだったのに、構成されているのは俗な男女の駆け引き上にある人生みたいな話であーなんか、こういうのあの場で死ぬほど読んだんだよなと思う。ストーリーにあるのは妻と後妻のかけ引きみたいなもので、そういうひとがまたしても書き手のもつ単純な構造で比べられてるのを見るとうんざりした。美しいを表現するための自分勝手な女とか、性とか、そういうのにそれはつきがちで、こう言う取り扱いにくいものは、なまはんかに他人の意見を取り入れたり俗にそれたりするんでなくって生真面目にやった方が面白いと思う。全て自分の経験を入れ込んで、もはや理解などいらないでやってしまうとか。
日常生活においても僕はこんな風なテンプレ判断みたいのをしてこられるのが嫌で、というよりも自分がなかなかそれを早めに出来ないという劣等感があった。例えば最近会ったDさんとかも初めはそういう人だと思っていたのだが、会っているうちにそうでもないという事を知った。でもテンプレ判断をして来る人は、目の前にいる人と会話を交わさないままでだいたい、こうすれば喜ぶだろ、あるいは俺の事をこうやって扱ってくれよというのをいつも押しつけて来る。僕はそういう要領の良いことをなかなか自分ができないことで損をすることも大いに、というよりも毎回のようにあるし、だから飲み会みたいな不特定多数の人となんとなく仲良くしなくては行けないところには極力行かないようにしている。そういうところに自分が勇気を出して飛び込んで行ったとしても、皆があたり前に手に入れられているものすら自分はさらっとこなせないことがもうわかっているからで、で、逆に一対一とか、個人的に話す時間が沢山ある場でテンプレ判断されてしまうみたいな事にもその窮屈で何も楽しいと思えないやり取りにいつも腹が立ってしまうのである。

文学部でもそう言うのが沢山あった。文学をやっているのに…?と思うかもしれないが、人が人の中に居て群れていれば、そこはスーパーや居酒屋で集まっているのとおんなじような事が起こるにすぎない。例えば何か物事が出てきたらすぐさまそれに対する意見を持たなくちゃならない、みたいな人とかもいっぱいいる。何者かに早めになりたい、皆その罠にばしばしハマって行ってしまう。僕は、自分だけの経験をして来てないっていうのになぜ、そんな事やりたいと思うのか疑問だった。僕は思うが、それに対して批評を述べるっていうのは自分の血肉にする作業なんだと思う。それがしたい人がたまにそういうところにいて、家族や恋人や病、故人についても色を勝手につけて行くのを暴力だと思っていた。というか、あれに対して怒りを感じていた人は少なくないと思う。今でももしそれが大きな声にならないことに理由があるんだとしたら、多くの人がそれを戦って得たとしても何の意味もないことを知っているからだった。自分らの目的はいまここにではなくもっと少ない、誰も知らない所にあるはずで、それが自分達が文学に集まって来た理由だったと思う。そうやって白黒をつけて自分のものにしてはいけない事象もある。それによって、より苦しいと思う人も居る。とにかくそんなふうにして他人の手垢でベタベタになっていくのがもう、表紙を開く前からわかっていたので一行とか二行とかを読む、それが嫌だった。


で、話は戻って本を読んでいたのだけど、それを選ぶ流れで人と会って話してきた。これは五十〜六十代くらいの偉いおじさんなのだけど、色んな知らないことを沢山聞かせて貰った。僕は興味のある事をいつまでも読んでいるのは好きだが、未来を予測したり役に立つ部分を調べて公表するっていう事があまり得意では無いので聞いていて勉強になった。話し終えて、全く知らない事に対して一から十まで、何の感想も持たない部分にまで自分らの、立場も考慮しないまま「とりあえず聞かす」みたいなことが、はじめは嫌だったんだけど、とりあえず僕はそれを飲み込んだ。二、三日くらい悶々としていたが、多分、僕はこんなふうに無理強いしなくてはならないまでになっている部分に対して、最早全体が叱咤されているんだなと感じていた。僕は考えたが、だとしたら、自分はどういう人間ていうことを全て知っているのかと思っていた。それから歴史や伝聞は話す人の気分や希望で歪曲されていることも知っていた。だから相手が何を伝えたいのかと考えたが、やっぱりそれは何故か、叱咤されているんだと思った。たとえば、僕にそれを吹き込んで来る人自身がどれだけ残酷なのかを、僕だってどんな風に説明出来るのかよく分からないと思う。過去に見てきた色んなもので自分は判断するしかなく、都合のいい枠のなかに自分だけが入れられているような気が何度もした。皆は例えば初めて聞く話に前知識なしで聞くとき、一体それをどう受け取るのかなとおもいつつ、何故自分がそう受け取るのかなと考えていたが、本当にそれは、ああだからこうだからという説明出来るものにすらなっていない、未だ目で見えている事に対する判断の、感覚でしかないんだなと思った。


青春が終わる危機

話は変わって、自分は最近人が自分のとこに来るみたいなことが多くなる。自分が役にいつのまにか付けられて、それをするのが当たり前になってしまってから僕も何故、こうなったんだっけと何度も考えていた。それが多分ここ一ヶ月で、僕が本当にやりたかった事だったのかよくわからないと思う。というより、他の手段が無くなってしまった事を僕がどこにも残していなく、誰にも話していないまま、周りがそれを願望としてもはや体現していると感じているんだろうなーていう、諦めみたいなのも感じつつ…で、それをやっていくうちに「自分てもう青春は終わったんだな」てなんとなく感じていた。
ちょっと前まで、こうやって他人の前にいきなりきて、自分という人間の価値をまるごとで判断をしてもらうていうのを、これまで自分はやる側だったと思う。僕は自分ていう人間を測ってもらう事を楽しんでもいたし、そのとき、だいたい僕はいつも全力を出せる確信があった。だいたい僕は、ただ居るだけで皆を驚かせることが出来た。でもそれが今は逆転して、僕はだいたい手に余っていた。目の前で、どんどんバンジージャンプをしてゆき犬ころみたいに楽しそうにしている人たちの顔を見ていて、僕は楽しそうだな〜良いな〜と思っていた。で、今それができるか?それがもう、足がマックスで動かないどころか、さらには、いろんなものが足りなすぎてちょっと先にも行けないっていうのがてにあまるほど分かっていたんだ…!もう30も近い僕の場合、はじめっから自分丸ごとで行ってぶつかってて、それに対して相手がなんて言うか…どれくらい困るか、みたいな、勝手に演芸を用意して100%カツみたいなことに百パー勝手にドキドキしたりとかもすることないんだろうなと思っていつ、あ〜ッなんか、つまんないな〜〜〜ッッて思った。僕は、ていうか、守らなければならないものや言っては行けない事が上の立場になるとこんなにもこんなにもあるんだと思い、最終的には、イライラさえしていた。皆が好き勝手やり過ぎているんじゃないかって。

でもここまで書いてて思ったが、色々な大人に自分も会って来たが、いろんな人がいた。はじめから自分のことを嫌いな人もいたり、あるいはやたら親切だったり、ふつうを保ってくれたり、過去が僕の存在と抵触してしまってるのかなみたいなおばさんだとか、でもだいたい、はその人たちの懐加減のなかに自分がいることや、自分が存在していてもいいと、だいたい五割くらいの感覚で自分は許されて来た人間だったんだなと思っていた。



Oさんが変わって来た

困り果てた僕は、いろんなことの吐け口としてOさんにいろんな事を相談しようと思っていた。だから朝から昼くらいまでは同じようなとこでウロウロしていたのに、まったく連絡が取れない。仕方なく、たった一人自分でそれを考えてみる…何故なら責任が何処にあるのかわからない時点で、それは多分自分に沢山あると思ったから。でも思うに、Oさんがいたとて、それで話したとてどうにかなるわけでもないとも思うが…結局、可能性を試したい以前の「ある事」に対処していくしか無いのかな…ていう。で、僕は数日くらいはたった一人で無闇にそれを考えつつも「そういえばOさんて、キャラ変したよな」って考えてだしていた。
…Oさんに僕が初めて会ったとき、Oさんはもう少しチャラいテイストを出していたって思った。彼はたぶんまだ周りの人をぶいぶい言わせることに勤しんでいたのだけど、それが案外同性から聞こえがよく無いという事に気づいたため、その日のうちに「やめる」宣言をしてしまったのだ。僕はそれを見て、Oさんて、こんなに素直な人なんだなと思って爆笑しそうになっていた。まず、ぶいぶいの部分から、誰にも言われてないのに「いい」と思ったとこ。その後、特に突っ込まれたんじゃなく、ちょっと暗に匂わされただけで人の目の前にあからさまに挫けてしまったとこ。僕はこういうOさんのこと、ひっくるめて「かわいくていい」と思った。でも他にも不具合みたいのはたくさんあり、最近のOさんと僕が話してるあいだでだいたい
①ネタで話しかけても笑わない
②自分からふざけなくなった
③万物に切れるようになった
になってしまっている。なぜなのか…僕は考えたんだけど、Oさんは僕との関係性を部下と上司に限定してしまいたいか、僕の振る舞いが妙過ぎて距離を置きたいと考えているかのどっちかだと思う。だから僕は最近、Oさんに対して「上司のO」としか言わないようにしている。

AKBのこと

話は変わるが、社会人になって十数年過ごして来て、必ずしも気の合う人間との関係を数年単位で保てるかというとそれはなかなか難しいことなんだなっていうことに最近気がついた。

たとえばしばらく仲良く過ごした相手なら100%でずっと繋がっているだろうと思っていたんだけど、実際はそのなんとなくで繋がっているってなかなか難しいことだったのだ。いくら仲が良いといってもきっかけすらなければ会えないのが人というもので、なんのきっかけも無くぱったり連絡も途絶えてしまったりするものだったのである。
そういうなか今も繋がっている人って思い返せばいつも返事くれるっていうところがあったなあって思った。家族か、友人みたいに何の手土産を持って行かなくてもよろこんでくれて、話す事がある…みたいな雰囲気。それか、いつもそこにいるみたいなところ。だから駅前の中華料理店に勤めているそれほど仲良くなかった同級生とかと数十年くらいずっと繋がりつづけてるみたいな事が意外とあったりして、そういう窓口みたいな存在が案外大事なことなんだなって思った。いつもいる、常駐している…AKB48みたいな、そういうやつですね。