To be continued

単純な日記です。

二月4日⭐︎晴れ⭐︎

今日職場へ行った時に聞いたのだけどいまこの場では「高瀬は、英語が喋れる」という噂が流れているということをMさんの証言から知ったのだけど、いったいなんでそんな噂が立ったのだろうと不思議で仕方がなかった。僕の英語は片言だしかなり日本語なまりがあるパンピー英語でしかない。

キャンペーン中

冬休みが終わって風邪が流行る時期になったのかはまたまウイルスを恐れてなのかお客さんの半数以上が皆マスクをつけて来店してくる。この時期お客さんが減ってくるという理由から不意にキャンペーンが開始され、結局は長くいる、長く出られる僕がその担当をすることになったので唐突にシフトが忙しくなったのと、昨日からその用意の為に慌ただしく過ごしていた。今日は朝から入念に準備をしていたためアルバイトの人へのキャンペーンの説明や店内周知みたいのは上手く行った。その代わり、高校生がいつものシフトから替わって居ることに対してなんのフォローも出来なかったことに今日帰ってきてMさんからLINEが来たことにより気付いたのだった。…ひとつのことに集中し、あれこれ、溢れないように気を付けるのだけどそういう時の自分、背中がガラ空きになっているんだなと改めて思った。
これは明らかな失敗である。最近は、色々な失敗を目にしてきた。そういう僕も失敗を経験したりした。

失敗をアメリカの視点で断罪しに来る

失敗の性質を考えてみるに、「もうこれ、どうしようもないな」というものばかりなため、必要以上に悔いたり、責めたりするのは多分意味がない。今日読んでいる本で有益だった情報では、アメリカ人は成功と失敗を明確に区別するということだった。アメリカでは成功が讃えられ、評価される。その一方で失敗したことに対して特権階級であることを理由に暗のフォローをすることが非難を呼び、著しく正義の原理を不安定にし、国民の不満を煽るのだと書いてあった。特権階級とはそもそも、恩恵を受けられる代りに、責任の方も多く有するポジションなのである。たしかに、職場内でも有事の時に責任を取るべき上の人が知らん顔して居るのと、いちいち何か起きるたびにフォローに向かい、別に悪くないのに謝って歩いている上の人がいるのとでは従業員のやる気に大きく差が出てくる。「失敗」とは何なのだろうか。僕は個人的に、失敗はすぐ忘れていいのだと思う。本を読んでいても感じたのはまずいのは、失敗したのに失敗してないみたいなことを言うことであって、あ、失敗したなと思えば軽く笑った後で他の方面でがんばれば良いじゃないかと思った。そう、失敗は必ず起きる。そして、必ず自力でフォローできるものと考えたほうがいい……のだ。
日本の場合は村社会なのでこういうことがあまりうまく行かないのだと思う。その裏にあるのは「俺の時は、もっと………」そういう怨念で、年功序列、男尊女卑の悪習であり、だから目の前に浮かんでこようとする気持ち悪いアタマを足で押さえつけようとすることが実際は非常に気持ちよかったりもする。

そう思った。そういうわけで高校生から現時点でLINEの返事とかは全く来ていない。

「そもそも」まで思い当たる俺

こういう、ひとつのことに集中しすぎて他のことを完璧に忘れ去る、みたいのは男の性質として付いて回るものだとMさんは僕をフォローしてくれていて、僕はじゃあ、その時現実としてフォローしてくれよなんて思っていたりもしたのだけど、たしかに、僕達は筋肉の発作的感覚で動くようなことも多いし、失敗は基本的に認めたがらないし、声をかけるみたいなこともリターンが無い限り全くしたくなる性質を持っている。Mさんの饒舌でつよい語りをLINE越しで聞いていた僕は、僕は本当は、大木の横にちょっとだけ付いている寄生植物のように本当は、男はメンタル弱いんだよなって事を考えていた。

少なくとも未だそれが攻撃性に転化していないことを今の時点で褒めて欲しい。…みたいなことをうじうじと考えている、根本的にはキモウジ虫なのだと思っていて欲しい。Mさんは四十五歳の夫があるため、その辺はソフトなタッチでふれてくれるところがいいと思う。おっぱいもけっこうでかいし。

あと、文芸のバカどもに関する報告

夜は文芸の人達と軽く会ってきた。会ったのはいつものオリジナルメニュー満載の居酒屋で、僕達は鶏肉のパリパリ塩釜焼きの塩の部分をフォークでパリパリ剥がしながら和気藹々と話していた。
話は佳境に入り、ある人の話になった。「ある人」は昨年、僕に大量の本を貸してきてくれた人である。僕はその人の本を、だいたい一冊三分の一くらいまで読んでそのままで返してしまったのだけど、そのことを非常にに気に病んでいて、いま暗黒面転生したかのような顔色をしているとのことだった。申し訳ないことをしたかな、でも、と僕は思った。僕は普通に体調不良だったのとか、なんで、カナダの文化を今知る必要があるのかなとか、色々僕なりの人生を通して考えたい時期でとにかくその本を返して以後それが理由というわけでもないけど急速に読書欲みたいのも衰えて来ていて今、危機感みたいのを感じて居る、みたいなことをその人達に一応話した。
今日来た人達は二人だったのだけど皆、一日中しこたまに文章を書いているみたいで、内容とかを聞いたのだけどこういう人達って、本当に「頭おかしい」の部類にいるよなと僕は強く思った。

何かを書く人は、やはり「怨念」を秘めている。嫉妬…憎悪…それは希望や夢、愛について書いていたとしてもきっとそれはたくさんある。そのエネルギーが、何かを書かせるのだと思った。才能、あるいは馬鹿とひとえに言ったりもするけど、視野をクリアにするまでの過程は人それぞれ大変なものがある。一人一人がそれをするのだと思う。
僕自身は自分にまだ自信や結果みたいなものが全然ないので、顔には出さないけれど特に同年代の人の活躍みたいのをあまり受け入れられない。この辺は鍛えるとかいうよりも見たくないものもあえて見るの精神で一枚ページをめくって→閉じる程度のペースで現実を見る作業をひとりでやっていくしかないのだろうなと感じる。そう、皆結局は一人でやることなのだから…

ていうわけで今日も、小説を書きたいと考えていたのだけどなかなか進まない。プロットを引き摺り出してみてはいろいろと考えたりもするけど、資料がないとか、経験がないとかいろいろ考えて、もっとこうしたら書けるのかもなあ…そういう時点で止まっている。

誰も聞いてないけどそもそも、ジャンルがしんどくなって来た

最近ネットをしていて、本を読むにしても恋愛の話があまり好きじゃないという意見を多く聞いた。僕の場合も、書くけど、この辺を読むのは苦手だったりする。まず、それを読む必要があるのか?知りたいのか?そういうモードでもないのに???そういう、いろんな壁を破って、「読もう」と腰を据えなければならないのがきついのだとか、そもそも、他人の幸福は自分が幸福である時にしか受け入れられないのだとか、色々と考えたりして、じゃあ万人が受け入れられる恋愛小説って一体なんだろうなと考え、そうなると、この嫌気を感じる部分にむしろ向かい合って書いてみようかという気に昨日はなったりしていたのだけど、結局何も浮かばなくて書いていない。多分それをすれば、SFあるいは漫画の領域に行くのかなと思って、自分のしたいことって何なんだろうな…っていう思考を旅するような感じになってしまっていた。
万人受けするものを描きたい、というよりもそもそも、その受け入れられないの壁っていうことから、じゃあ他人が感じている嫌の無くなるような、なんていうか原理を表すような恋愛って何なんだろうなと考えてたら、やっぱりそれはSFになるような気がしていた。
そうしている間にも文芸の人たちは何かをしこたま書き、読み続ける。そのあとで現状報告のLINEが来たけれど本当にこいつら、頭おかしいよなと思った。多分常日頃相手(※自分以外全員のこと)をビビらせることに熱意を燃やしているのだと思う。性格がよくない。

そして僕と来たらまた今日も結局何も書き出さないのだった。