To be continued

単純な日記です。

でも、いつもか。

今日は仕事が休みだったので料理のストックを作ってみることにした。「作り置き」系の本がよく行く書店の一角にあったのでそこを十五周したくらい後からやっと気になってきたのだった。以前も書いたけど、僕という人間はとにかく先のことを予測してするみたいなことをしない。これは、多分単純な意識の違いのようにも思うんだけれど、もっと言えば、現実が遠いみたいな感覚もあるような気がしている。自分の場合、その現実という皺に対して染み通っていく液体の速度が異常に遅いような気がしている。で、ストックを作ってみた。これは自分にとって苦手な作業をあえてやるという気持ちである。僕はストックというものが正直に言えばものすごく嫌いで、冷蔵庫にストックが5個以上入っていることに気づいた日には賞味期限も考えずにすべて捨てるくらいにストックというものが嫌いである。で、ストックを作った…鶏むねとかしいたけみたいな普段使わない食材を軽くor濃いめに味付けしたソースみたいのを、百円ショップで買ったタッパーに詰めていく。(よし!)僕は思った。
こういう、明日への準備みたいなこと、わざわざするようになるためにまず、精神状態を健全な状態に持ってこなければならないと思う。「たがやす」みたいなことは明確な種まき時期がいつか来るために日々必要なことなのだろう。しかし実際は他人が必要以上に耕しまくっているのを横目で見ながらもたいていの場合はまず、腰が死ぬほど重い。未来のことをやっておきたくない…それは僕というよりも、凡庸な人間の惰性で成り立つの精神っていうもので、あとはそれから、こういう「やる」って決めたことやってる間じゅうに「なんで、やるんだっけ?」みたいな次々湧いて来る疑問に対して「決めたからやるの」っていわさるための理屈みたいのもこういう蛇足の部分である作業の場合用意しておかなければならない。
今回の場合、「作り置きってナニ?」→「主婦がやるやつ」→「えらいな〜僕はやらないけど」→「やってみてもいいのかな?」→「めんどい」→「テレビでやってる」→「フーン」→「風邪ひいた。あのとき、やっていれば…」→何もない半年を過ぎたあとで、本屋で再会する。
こういう流れがあったと思う。この「何もない」の期間を僕はけれど必要不可欠のこととして毎回意識するのである。何もなかったけど確実に現実の皺に液体がしみとおってタンだな〜そうゆうこと。

とにかく作った。特に感想みたいなものはない。




あとは、服も買いに行った。この秋〜冬にかけてはなぜか服を一着たりとも買っていなかったので買いに行ったんだけど、春のコートを購入していた。一緒に行った人が勧めて来るから僕も、そんなもんかなと思って買ったんだけど試着した時いつもは選ばないパステルカラーのコートを着ている自分を鏡で見た瞬間、「ぞわっぞわっぞぞぞーっ」としてしまった。似合ってる、似合ってない以前におまえ、だれ?!みたいな。こういうやつ、わりと他人のものに関しては客観的に選べていると自分では思っているんだけれど、どうがんばっても多分自分というものをなかなか客観視することは出来ないことと、考えれば暗い性格故暗い系の色とか黒、灰色ばかり着ていて、まだ二十代だから別に白とか着ても良いよな、と勧められて何か勘違いして羽織ってみたけどそれよりも知覚っていう感情の部分がそれを完全に拒否していて僕はびっくりした。

「ストック」にしても「服毎回同じパターン」にしても、それは意識のなせるわざ、癖でしかない。悪習でしかない。僕は、「ぜんぜんちゃうやん」と思いながらも、あえてパステルカラーのコートを半笑いで購入することにしたのだった。これは苦行と、現実に即して生きることを考慮した為であって、特にイメチェンしたいとかそういうことではない。

本当にどうでもいいこと書いたな。