To be continued

単純な日記です。

小学生の頃半年くらい入院していた。あの時、日がな色々な検査を受けたり薬を投与されたりしていて、家族ともほとんど会えない生活をしていた。小学二年生で、まだ一人で寝たこともなかったから、僕はさびしいも感じられないまま、よく分からなくなった。時間の感覚がない。人が誰なのか、出たり入ったりでどう思っているのかわからない。で、そうなると、不思議と自分の声を確かめたくなるようなのである。周りが不確かになり、時間、感情の形態も掴めなくなって来ると、何処かにたしかな感触が欲しくなって来る。それが人間みたいで、けど、薬の投与の合間に目覚めるのは、一日のなかで数分だったり、数時間だったりして、それも、ぼーっとしていたりする。僕は、ノートを持ってきてもらって、そこに自分の考えていることを書き付けていった。看護士のこととか薬のこととか、いつ戻れるのかどれくらい不安なのかとか、それは同じようなことばかりを何度でも。最近、「言葉は食べ物だった」っていう記事を目にした。地震後の不安の多い状況で生活を立て直し心を取り戻していく過程で、ひとは、いろいろな人の声を聞き、理解し、咀嚼し、また元の状態に戻っていくのだという。僕は、周りからの言葉が遮断された中にいたから、人の言葉をもらい、咀嚼していくという経験が余りなかった。僕が欲しかったのは他人からそうしていてもいいよというただ、その了解だけでしかなく、自由にさせて貰えるのかどうかばかり毎日気にしていた。自由に(自分の中で考える、つまり好きな時に好きなだけ悩んでもいいのかどうかということ)させてもらえるためならどんな自分も演じた。僕は、自分の考えが自分の考えでなくなれば自分は終わるんだとそれは強固に思っていたから、他人の理解と本心は遠く離れていくことになった。
自分の言葉だけを書き留めて行った。そこにあるのは、自分が医者で、さらには患者なんだよなという事実で、僕はそこに入って来れるのは誰も居ないような気がした。今もあの時書いたことを引っ張り出してきて読んだりすることがあって、けど見てみるとそこにはいろんな薬の投与の跡が見えてくる。やけに落ち込んでいたり、先がまったく見えていない、憂鬱感、かと思えば、過剰に喜んでいたりする。それは僕だと思っていたけど、僕じゃなかったのかもしれない。

今でも、自分が落ち込んでたり調子が悪かったりするときはずっとその時書いたものばかり読んでいる。そうしないと、自分のこころがよく分からなくなる。他の人の書いたものや、他の音楽だったりも、調子のムラによっては受け入れられないけど、自分のはいつでもどれくらいでも読める。この、理屈だらけの変化のない話。論理ばかりだなと笑われる僕の文体。結局それは悪くなる所から這い出てくるまでの、単なる葛藤の部分にあるのでしかなく、それを一番必要としているのはいつでも僕だったりするのである。