To be continued

単純な日記です。

いちいちこっち見てんじゃねーよ!は?なんだって?…ありがとうございます!!!!!!

仕事していて、アルバイトの人と話しているときふと自分が「疲れ」に関することばかり話していることに気付いた。「いや…寝てしまうし」「もうそんな体力ない」云々。僕はそのとき、その瞬間まで何か長めの夢を見ていたような気持ちになった。感覚としては未だ十代くらいにいるような感じでずっと仕事をしていたらしい。こうやって話してみると随時でジェネレーションギャップしか感じていない僕がいて、僕は「はっ」とした。そうだ、もう僕は体力のなさをスケジュール組むとき真っ先に考えるようになっていた。今も、褒められたツラ構えだとは言えないが、このアルバイトを始める三年前の証明写真をたまに見ると、自分は今よりもっとガイコツみたいな顔をしていて、見るだに震えが来る。ガイコツは、当時ブラックな仕事のため精神的にも体力的にもすり減っていたのだと思う。僕は、色んな問題を経験した上で一悶着あってそこをやめた。そのあとで多分、少しは太ったんだと思う。けどその当時のことを忘れていた僕は、当時の仕事をいまだに曲がりなりにも楽しいと皆に話していて、けど今見ると、でもお前、ガイコツじゃんとふと思った。とにかく、そのおそれーーつまり、貧乏暇なし貯金人望コネ経験すべて無しなことについてとりあえず置いておいて確固たる病持ちの人間くらいに僕は「疲れ」を意識していた。もうダメ。だって、疲れてるから缶チューハイ飲んだら七時過ぎから一時間くらいは寝てしまうもん。僕はそんなふうに話してて、じゃあ、何もできないよね?と感じていた。仕事あるとき、もうその後なにもなくても最近なら疲れすぎててとりあえず酒飲めない。翌日仕事がある時、休みないと翌日翌々日に響いてくるので無理が出来ない。この、ゆうには飛び越えれなくなってしまった川を毎日渡らされるために設置するための梯子をつねに抱えてる俺みたいな感覚でもって、僕は現実方面に関してとうとつに目が覚めた…コイツ(今話してる人)僕より一回り以上年下なんじゃないかってことをね。つまり、僕ってもう結構としとってるんだよなってことに対して。最近こういうことをよく考える。とにかく仕事していて、お客さんとか見ていても若いなと直感する肌を持っている人はだいたい十代〜二十代前半で、三十代は正直いってもうかなりキテる人が多い。三十代以後は個人差も多いといえるがつまり自分とは世間から見てかなりキテるほうのグループにもうすぐ入っくるんだなって僕はその都度で感じていた。このことに関して、特段のショックを受けたと僕は思ってるつもりはないんだけど、いちいち僕はとにかく、夢から醒めた気持ちにはなるのである。三十代=曲がり角は確実に過ぎた集団であるという事を。もう二十代は確実に終わりに差し掛かっているということを。よく、「まだ十代のような感覚でいる」おじさんとかがいて、そういうのを聞くとバカかと思うんだけれど結局自分も「あまりよくわかっていない感覚」があるのだった。ある日突然、何もかもが億劫であるみたいな感じももしかすると普通に年齢ってこともあるのかもしれない。とにかく、ギャップ。僕は「遊びに行く」という単語の意味がわからなかった。遊びに行く、て一体ナニ?遊びに行く、って何のためにするの?僕はこういう、普通に日常を生きてればそれなりに楽しいこともあるだろうにわざわざ腰を上げてから遊びたい系の人たちと一瞬遊んだことがあるけど、スポッチャとかカラオケとかドライブに意味もなく行ったりしたりしていて、こういうのが「遊ぶ」ということなのかと思った。ちなみに今、知り合いの誰から誘われようと頑なに遊びに行くに参加したくない僕が居るのであった。この中で思ったのが正月、実家に帰って姪やおいと遊ぶのがけっこうキツかったことがあって、まずトランプ、UNO、オセロ、人生ゲーム、まあ一応、誘われればやるけれども面倒だなと感じてしまう自分がいて、そのたびになぜ、こんなイベント時にしか会わないような人たちとわずかな交流をすることさえ面倒くさがる自分がいるのだと感じたりしていたんだけど、僕は冒頭に書いたように単純に、疲れてるからなんだと思った。疲れてるんだ。だからサービスみたいのしたくないんだ。もう本当に、「微笑みかける」くらいのことすら夕方過ぎしたくないでいる。むしろ笑わせてみろくらいの感じで、世界に対してマジで切れているのである。