To be continued

単純な日記です。

詩ーマグカップ

マグカップを買うとき、買ってすぐ後でだとそれが自分になじむかどうかはわからない
使い続けるうちにどんなマグカップだったかわかる
だいたい、ぱっと見の見た目と持った感じで買うけど
家に戻って
家のサイズ感と照明のなか生活してるとなぜか
どうしてもなじまないやつがたまにある

カレンダーも同じで、だいたい売り場に売られている表紙の見た目とぱらぱらと見てみた印象で買う
どれも、実際には似たり寄ったりで内容自体に変わりなんてあまりない

「いい一年だった」と言える日々になるかどうかはまだ分からない

それでも毎日、毎日それをめくり続けて途中くらいからだいたい

どんな内容なのかわかり始める。

…だからそれが、責任を伴ってくるとか
出会いなんだねみたいな話をしたいんでなくって

それを手に入れもしなければ僕は次にどんな日が来るかすら知りもしなかったんだなあ。


それから手に入れたあとでも次の日やこれから先自分がどんなふうに思っているのかはよくわからない

辛いとき、悲しいとき、苦しいとき、全部やめてしまいたい時にもそれらは家の中にあって
むしろその時にこそ自分がどんな奴だったかわかる
僕は日めくりのカレンダーをめくっていく

作業や義務感すら感じる

売り場ではあんなによかった、高かったマグカップが何故か自分にはなじまなかったのに

あまり高くなかったやつでも戸棚にあるだけでコーヒーを入れたくなったりするものがある
けどそれは、使ってみるまで
まったく分からなかった



良いやつがじつは周りのやつにだけ良いやつだった
みたいな感触
なんてことない奴が自分に何故かやさしい みたいな驚き
出会いと失恋を、選ぶ範疇にさえないものまで

なんだこれみたいな感じ



僕は分かっていたのかな?
選ぶときに
多分ぜんぜん分かっていなかっただろうな

売り場にあるのは今思えば偶然や可能性

そればかり買いためる。
けど、皆んなが、一年の終わりに

「ああ、よかった!これを選んで」

と言えるそんな日を
思いながら必ず
それに手を伸ばすんじゃないかな?




希望…今もまだ手にしていないな。

日々はまだ僕にはよく分からない

けど、僕は家の中にいる
買ってしまったマグカップにコーヒーを注いで

僕へと皆へと絶え間なく選択を迫って来る
変わっていくのを変わらないものの中でずっと見つめながら




それはこれからもまだまだ続くんだなって思う。