To be continued

単純な日記です。

今日は半日休みだったのだけどその間に実家や友人から電話がかかってきたり用事を済ませるのに時間を費やしたため読書も創作もなかなか出来なかった。物理的に…というよりもややこしい話が入ってくると集中したいみたいな気がなくなる。僕は普通に息抜きがしたい。このところ寂しいみたいな気持ちが少しずつ失せてきたのにはきちんとそれを解釈していっているからかもしれない。どうしても何かが蟠っていると次のストーリーが出てこなくなるみたいだ。このブログも書こうかどうか迷っていた。去年は書かないと死ぬ気がしていた。
バイトの店舗移転の件で僕はあと一か月で退職することになった。移転と言ってもたった二駅移動するだけなので通おうと思えばそれほどの問題はないが、Sくんに聞いてみたら以前やっていたアルバイト「なんでも屋」に戻るんだそうで、Mさんもせっかく覚えた仕事をやりたいけれど子どもと姑の事もあるので辞めるかも知れないそう。
僕は辞めるついでに長期休暇をあてていっそ、これまで出来なかった分文芸に触れられる生活をするのもいいなと考えてしまったりした。けどそれは自分をよく知る知り合いから速攻で止められてしまった。考えるに、僕の場合はもう仕事というものをしなくなれば一切外に出なくなるだろう。友人とかと会ったりも先ず自分からは連絡を取らない。自分としては別にいいのかもしれないけれど人間としてこの状態は限りなくやばい気がする。何か趣味があるなり、友達が多いなり、死ぬほど爬虫類が好きだったりするのであれば自ずと中心街へ行って基礎体力をあげる行いをするだろう…それが人間というものである…けど僕の場合、正直言ってそれさえもしない。「ヤバイな」と思いながら家で飯を食い、「ヤバイな」と思いながら夜、まだ眠くないのにとこに付いて三時間くらい半生をほじくり返して悶々としていたりする。だから「仕事」この線を切るのは非常に危険なのかもしれないと思った。
もしするとしたらコンビニでバイトがしたい。実を言うと接客は今の仕事がはじめてで最初は呂律も回らないし手が震えていてかなりやばい人間でしかなかったけれど、今ならコンビニにも手が付けられる気がする。今の仕事と比べたらやることも覚えることも多いし何かコンビニってテーマパークみたいにも見える。


ある人から連絡が来て、ちょっとだけ会ってきた。向こうも懐かしいと感じているようだったけど僕も懐かしいと感じた。何よりも自分のことを覚えている人というのがなかなか居ないのでそれは心地よかった。けど外へ出たあとではすぐにその感じも忘れてしまった。やっぱり昔のように毎日会っていた関係とはまた違うのだろうなと思う。その分話す内容は違ってたりもしたんだけど。僕も彼も多分感覚が似ていて、文芸をやっていて、僕は彼がああいう極端にそれない、平坦なのにどんどん降っていく考え方をするのはどうしてなのだろうと思っていた。だから僕は多分、彼に声を掛けたのだけど、その謎はいつも解けなかった。けど今回少し分かったのは、彼も自分の体に不具合を感じていたっていうことで、それが聞けたのが僕は良かったと思った。僕はいつも自分がどうして何かをしたいとか、やりたいとか、希望だったり、人を引き止めたりしたいと思えないのかが不思議だった。そういう人は、自然に笑えないし、それから無気力に生きているように写る。「どうしたの?」「たのしい?」「何がしたいの?」みたいな。何か聞かれればあるけど、自分ではよく分からないから常識や他人の顔の事ばかりを考えていた。だから知らぬ間に、たくさんの理屈や自分なりの考えが出来ていた。文芸をしていればそれを、時に感心されたりもするけど、彼が偉ぶらないで、人を惹きつけることに戸惑っているみたいのは単純に、僕みたいにそれが無くてはならないと感じていたからなんだと思った。彼の、透明っぽい理屈、僕がそれを聞いていて飽きないと感じるのは僕だからなのか、それとも僕以外の人も同じように感じているんだろうか。いや、でも今の時点ではたぶん僕よりも他の人がそれをよく知っているんだと思う。けど彼も僕も、人と人との繋がり、というか恋愛、もっと言えば性愛、そういうものに対して深い感情を感じるらしい。僕はその部分をオブラートに隠して生きてきたけど彼はなんていうかキャラクターとして隠さないため色々と攻撃を受けているのを見た。彼が僕を信頼してくれたのは彼のその部分を普通の人対人としてあってもいいとあの時に言えたからなのかもしれない。けどあの時、僕もギリギリだったのでよくいま、こうやって話が出来るようになったよなあというのを、本当にそれは奇跡的な確率だったように思った。人と人というのはやはり、理屈とかではない線、糸でつながっているのかもしれない。なんとなく、絶やしたくないな、ていうのやなんとなく、こうしたいな、離れていたいな、とか、そういうのを、全く分かってくれない人もいるし、けどなかなか説明しずらい。僕はよく、人を「切る」と言われているけど、僕は自分に嫌がらせをしようという意図が少しもない人を切ったことなどない。一度もない。もしかするとそれは勘違いなのかもしれないが、僕はいつも僕の方が蔑ろにされたのだと感じて彼らと会わなくなる。それはいつもごく自然な摂理としてあった。
僕たちはやっていけるんだろうかと思う。なんていうか、文芸っていうもので関わり、理解し合ったあとでごくフツーのなんてことない話をして笑ったり突っ込んだりするのみでやってくみたいな日常っていうのは、普通にあると言えるんだろうか。皆が皆、それを普通にして飲み交わしたりもしている話をよく聞くけど、僕というのはこの辺の運が異常に悪いため未だ気が合う人と出会えていない。その辺のビミョーな問題に「やればいいじゃん。普通にすればいいじゃん」って言われたけど、僕からしたらまったくいみがわからない。つまり、興味も必要性も親しみも感じないのに、ごく当然に輪を広げなきゃみたいな行いという事とかが。僕自身、そういううまくいくルーティンみたいのをたまたま感じたこともある。だからそういうひとたちは、現在うまくいくルーティンに乗っかっているから、逆に、そうやって自然をしない人を「どうして?」と感じるのだと思っているということも知っている。彼らなりの当然性、それは僕の今とは相入れない。そういう、ごくごく当然の明るいオーラに塗れている人たちと常に付き合っていかなきゃならないんだなあと感じることもある。僕はけど、それに耐えられなくて文芸の輪から逃げ出したのだ。

僕は彼が僕に近づくために、今まで見たことも聞いたこともないくらいの何重にもある予防線を引いたうえで声をかけてきたんだなーと思った。彼の警戒心と自尊心が異常なくらいまで繊細だった、ということを多分、僕以外は誰も知らないんだろうなと思う。ちょっとそれが面白くて笑ってしまいそうになった。