To be continued

単純な日記です。

今日、仕事を終えてからAさんと会ってきた。このところAさんから何度か連絡が来ていて、その時はLINEで話すくらいで済ませていた。僕は平日はほぼアルバイトだし、夜に時間が開くと言っても十一時を過ぎていたりするのでなかなか予定が合わなかった。というか、僕からしたらそれほど話すことがあるとAさんが思うようになったことすら知らなかったのである。僕は、こんなふうに昔の友人を思い出すのってなかなか良いよなって思った。僕と友人というのはそんなに取り立てて話す話題みたいのを持っていないし、それにわずかな時間をできるだけ楽しみたいみたいな感覚ももういい大人なのでそれ程までにはない。だから着の身着のままで、とりあえず自分が今興味を抱いてることを会って話す…それはどこで会った人でもどこの場所であってもかつて同じことを同じ時間帯に同じ温度でしていたよな、って、寂しいだけだった体育祭の天候を思い出すみたいなまんまで思い出す。若い女の子が相手だとこうはいかない。彼女たちは尊厳みたいのを常に大切にするみたいだから。
Aさん、ものすごく久しぶりに会った。僕はひさしぶりに自分が住む駅それからアルバイトの場所があるところから離れてしかも自転車で郊外のファミレスまで出向くことになった。僕はここ最近まではAさんとは会わぬままだったけどAさんの噂話をものすごい聞くみたいな日々を送っていたため、知らぬ間に「Aさん」という虚像がかなり膨らんでいたみたいだなと会ってから思った。僕は会った瞬間、Aさん、思ってたより普通の人だったなと感じた。僕らの最初の出会いは少し変わっていたと思う。まずAさんという人は僕が文芸というものの深みにハマる時点に現れた人物だった。その頃だと、僕にわざわざ話しかけてくる人などそれ程はおらず、そのため、その時「高瀬、ちょっとこっち来い」みたいに、色々な人たちが集まるような公式のパーティーで隅っこにいた僕へと声をかけてきたAさんの存在、僕にはかなり怪しげなギョーカイ人みたいに見えていた。そして、Aさんと関わり合うようになった僕の周りの反応みたいのもけっこう慌ただしかったので僕はけっこうストレスだったのだ。あの時僕らの周りでは「ざわ…ざわ…」くらいの感触はあった。まず、僕がAさんと知り合った時初めに話しかけてきたLさんという年配の女性、それから僕よりも十くらい年上の女性がいたのだけど、ともかくAさんはイケメンと認知されていて、僕に対してあることないことを吹聴してきたのをよく覚えている。僕は、①Aさんはモテるため、近づくのは危険である②イケてると言っても魔性な感じはしないため、皆全員でふざけている。のどちらかだと思っていた。僕は、Aさんにダチョウ倶楽部上島竜兵さん的なキャラクターをその時、ほのかにかぎ取っていたのだと思う、僕は、とにかくAさんになるべくふざけた態度で吹っかけるように試みてみた…結果は、Aさんが何かよく分からないが閉ざした後で意味不明に拗ねていたみたいな結果になってしまった。その後色々とあり、Aさんと僕の距離は、「ちょっとこっち来いよ。心臓の音、聞かしたる」事件が起きたあとで一万光年くらいは遠ざかり、お互いにいない存在として暮らしていた。Aさんは寂しい大人であったためか僕にちょっかいをかけることに何か意味を見出していたようで、そのあとで「お前、睡蓮の花知ってるか」事件が起きた。僕は、その時いい歳をした大人が、さらに良い年をした大人の酔っ払っている様子を横目で見るみたいな態度を取らされたのだけど、その後くらいから、Aさんは僕と会うたびに「花が…」しか話さなくなってしまい、僕もその頃にはAさんの顔を見るとわけもなく殴りたくなるみたいな衝動を抑えるような関係が続いた。その間でAさんの噂をいろいろと聞き、Aさんが結婚していること、Aさんが女からモテまくって困っていることなどを知った。僕もAさんの正面からの写真を最後に見たあとからAさんってイケメンなんだなという記憶をずっと抱いていて、何かいろいろな行いがすべて暗礁に乗り上げていったあの頃を思うとAさんの事はもう知らんみたいな感じですごしていたのである。
で、今回久しぶりにAさんに会ったのだけど、僕はもはや、Aさんと会う前から散々、周りのおやじどもから「イケメンと大学生」など揶揄されていたために、Aさんの存在を奇跡的なイケメンとしてイメージされていたのが、普通にちょっと顔はいいけど普通の人がしずしずと歩いて来たので僕は、その時意味もなく笑ってしまいそうになっていた。Aさんて、何か思うんだけど、身体全体で「タハっ」みたいな雰囲気をどうしても発していて、イケてるかどうか聞かれるとイケているんだけど、ビッカビカな美人から思い切りふざけて叩かれているのを僕は何回か目にして、必ずそういう場面で餌食に自らなるAさんに対してはその度に引いていた気がする。僕は、まあそれはいいんだけど、Aさんからはこんなことを聞かされた「花のことだけど…」いや、またかい。おまえ最近それしか言わないな。「まあ、いいわ。お前に関わった女の子、今お前のこと避けて暮らしてるってよ」Aさんは襟を正して僕にほざいた。僕は、ふーんと思って、こう思った。「けど、そういう人、ごまんと居ますよ」「は?」「人の心にちょっかい出しておいて、その後のこと何ら責任も負わない人。いままで十人くらいは居ました。皆、ふっつーの人でしたけどね」「おまえ、よく言うなあ!おまえが酷いことしたってことになってるぞ。よくは知らないけど」Aさんは、僕を揺するネタを思いついたために生気を取り戻していた。「ははあ…言っとくけど、僕は何もしてませんよ。けど、彼女達だって、学んだんじゃないですか?」「は」「だから、人の心の中身を暴くことが、どれだけ責任を追う作業で、どれだけ恐ろしいことなのか、ちょっとは知れたんじゃないですか?」…専門家でもあるまいし、ずけずけと。僕は思った。Aさんは、けど多分僕とあちら側どちらの事も知っているだろうし、彼女らに本当はどんな言葉を言っているのか僕は知らないし、聞かない。「僕は今でも許していない人、たくさんいますよ。僕が出来ることは人を殺すことでも、邪魔したり陰口を言うことでもない。毎日、忘れずにそいつらを呪う事です。朝、晩、そいつらにはどんな苦しみが似合うだろう、どんな捌きが下されるんだろうと考えて、人間の僕ならどんなふうに味付けできるんだろうと考える。僕は、毎日、考え続けます。これが僕の、こころです。その子達も知りたかったはずだよね?…早めに謝っておけばいいのにね?僕を弄んだってことを、自覚して居るはずですよ。舐めてたってことを、恐れ震えているがいい。僕ごときが、死ぬまで誰かを恨み続けることだってあるんだということを」Aさんは、そうやって言うと楽しそうに声を上げて笑っていた。Aさんなら分かってくれると思ったのだ。この世には人の親切を憎む種類の人間がいて、こんな風に去っていった人を指折り数えて安心する行いもあるんだっていうことだとかを。僕は思うに、人の明るい面だけを愛するようなのは友情でも愛でも何でもない。僕が時々見せるような暗い部分、悪口や批判もそれは僕なのに、母やきれいな心の人たちはそれに対して眉を潜めようとするから僕はがっかりするんである。もし、そうするのだったらそれは愛じゃない。僕からの施しなんじゃないだろうか…僕がそう言うと、Aさんは「そうかも知れないね」と言った。
今日、彼が見せてくれた詩は、最初の十行は良かったけどその後はどれもが暗かったしあまり推敲されていないように見えた。「寺山修司を真似ているんだ。本当はこういうのは僕の趣味じゃないんだけど」ああそれで。僕は彼が書いてる詩は僕がこころが乱れてるとき支離滅裂になる状態によく似ていると感じてしまった。たしかに寺山修司ってトラックのタイヤを担いで山に登って行きそうな感じがすると思った。僕は、僕ならもっと細い線で書くことができる、と言った。多分それは、僕は最近人と会っていないのであまりよい考えじゃないような気がした。自信がなくなっていたのだ。だから話題を変えてみて「心を外に出す方法」を僕は話そうとした。心を外に出す方法はあまり難しくないと思う、僕はそれに最近はまっていて、文芸をよく分かっていない人もそれでかなり良くなると思う。まだ誰にも話していないし、Aさんは知っているのかも知れないけど。と言ってみた。Aさんはよくわかっていないみたいだった。僕は、心を外に出すためには、自分と、それから他人という場所が二つあればそれでいいのだと言った。そうしてみれば、語彙や言葉の配置にはそれほど拘らなくてすむ。もちろん、拘った方がいいに決まっているけど、それで良さを潰してしまうこともあると思う、と言った。彼は、あまり理解していないみたいで、多分それは僕とは興味のある方向、ハマっている遊びがまた違うところにあるのだと思った。「君は、歌に興味がある人なの?」僕はそう聞かれて、それはそうだと答えた。たしかに歌に通じている部分はあるのかも知れない。

こんなことをして、言葉で遊ぶようなことをしていると、本当も嘘も、それが価値があるとされるのは本当に価値があるという前提のある世界だけで、それが目まぐるしく乱雑に置かれているだけの世界でなら、「本当」にそれほどの意味は初めからないんだと、僕は最近思うようになった。文芸でもいた。「本当のことを言ってくれ、教えてくれ、僕らは本当で繋がっているのだから」とかいう人。僕はそれはあなたが安心したがっているだけだと感じてしまうようになった。つまりポーズを求める、それは証明にはなっても、約束にはなり得ない。けど政治のやり取りを日常でもやりたがる人というのは、この辺をよくわかっていない。人を捕らえることなんてのは、出来っこない。なら、好きな人には好きと言い続けたいと思うのも、嫌いな人に合わないを選ぶのも、実は自由なのだということになる。この世には、そもそも本当なんてものはないように思える。すべて流動的で、早いなとか遅いなとか、そういうのを見ているだけ。こういう感覚は、自分に魅力があって自信もある立場の人からすると理解出来ないことなのかも知れない。僕は、誰かから注目され続けるようなことも、それから僕の魅力を一目で気に入ってもらえるみたいな経験もほぼなかったから、当然仲良い、当然親しい、そういうルールっていうのがほぼで身に染みてなくて分からないのである。「なんのために?」似てるとか、似ていない…そういう区切りでたまたまそっちに入れられた僕は戸惑って、政治家達から逃げ出すのである。僕に理由が与えられなかったために。なんとなくの束縛に恐怖するために。僕はもしかすると、例えば大切な人に裏切られたとしてももう「ふーん」としか思わないのかも知れない気がした。その五秒前くらいまで、僕が大切に育ててきた気持ちや生活、そういうものが投げ出されても、僕は気持ちを切り替えて二度と会わないを直ぐに選択できるのかもしれない。相手が信じてくれなくたって、それが一体なんだというんだろう。僕はもう、他人よりも僕の形作った「家」の方をずっと大切に思うようになっていて、それはAさんや他の人たちが自分の作品を至上だと崇めて欲しがる気持ちとも違っているような気がした。僕の心は僕だけのものであって、時々誰かが懐かしくなったり恋しくなったりはするけど、もう別にそれがなくたって良い、僕はそういう生活をしている。そういうものが、受け入れられてきたこと、今まであっただろうかと考えると、別にないし、気持ちは目まぐるしく変わるし、かろうじて僕らは同じ宗教を選んでいるときに繋がっているだけで、そうでなくなれば、お別れは初めからあるべくしてある、そういう世界にいるんだなと思う。僕は、相手が文芸というものに何を求めているのかを、常に気にしてはいる。その考えも変わっていくし、誰かにどうなってほしいみたいのがそもそも、何もないんだなと思った。
そんなわけで、僕らはしばらく話した後で別れた。最後Aさんは僕に「いろんな人が君のことをまだ騙そうとしているよ」と言い、そんなことはじめから知っていると僕は思った。それよりも僕がやり返さないで来たことの多さを彼に数えてみて欲しかった。僕が、興味本位でそれをネタにゆすることを始めたら彼ら、一体どうするんだろうか?僕が、何時も恐れていることを理由にそうしないとでも、思っているんだろうか?