To be continued

単純な日記です。

アマですけど・・・

何かこういう日記みたいなものを書いていると、どこまで意識的に書き、どこまでを創作の方へ練りこむべきなのかがわからなくなってくる。僕の思うのは、個人的な悩みはなるべく他人に解消してもらわずに、きちんと書いて置くべきだということである。これは僕の尊敬する人も言っていた。だから、創作の方面をもっと重点的にやりたいと思うなら、日記を一度辞めてみたほうが良いのかもしれない。

 

昨日、以前働いていた人が職場へ来て、いろいろと話をしたのだけど昔話みたいのをしていって、「へえ、そんなふうに思っていたんだ」ということにけっこう驚いたのだった。僕から見た感じでは、そんなことはまったく分からなかった。あの時の僕の状況というのはなかなか厳しいものがあって、前職(正社員のやつ)もほぼけんかのような形で辞めたばかりで、本当ぼろっぼろの精神状態だったし、この職場のメンバーもそれほどよくなかった。僕がずっと思っていたのは、なんとなくだけどそいつから小ばかにされているなっていうことだった。なんとなくというかその初めの確執みたいのははっきりと覚えているけど彼も多分覚えていると思う。彼も、文芸方面の方をやる人で、僕よりもよくできた。僕は、他人に対してそれほど嫉妬を感じない方だと思うけど、彼に対しては嫉妬心というものをかなり持て余していた。学んだことも多いけど。というわけでいろいろあった僕たちのことを思い出したりして、それってどういう意味なのだろうと考えたりして何か会った後も、いろいろが複雑すぎて結局数時間しか眠れなくなってしまったのだけど、で、なんでこんなことわざわざ書くのかっていうと僕は、それをもすべて、彼が来るまでは忘れそうになっていたからだった。

僕は、彼は僕を軽く見ているんだとずっと感じていた。実際裏で何か言いふらして笑っているのも見たりした。だからそんなにいろんなことを考えて、それを一人で言いに来てくれる人だなんて思っていなかったのだ。だから彼が来て、初めはうれしかったのと、「へえ」っていう驚き。けど僕はそのすべてを、もう過ぎたこととしていやなこととして忘れようとしていたのである。彼が来たことでそれを思い出した。個人的に、自分はなんであんなことをしたり話したりしたのかなと考えるとそこには多分嫉妬、憧れ、賞賛、劣等感、そういうものが確かにあったなと思った。でも僕は彼の若さや自信、それから、それほど話したこともないのにこちらに対して何かよくわからない距離感詰めてくる感じも、すべてが僕という人間を小ばかにしているがゆえだと解釈していた。僕は、今考えてみてその辺はもしかすると伝わっていなかったんじゃないだろうかと思った。向こうはその気はなくても、状況や伝わり方の違いで馬鹿にしていたり単純にあざ笑っているように見えたりもするのだ。彼は普通に楽しんでいただけなのかもしれないけど、例えばそこに葬式を終えたばかりの人がいるとき、それが死への侮辱に見えてしまうとかそういう意識の違いで。

彼のしてきたこと、僕はちゃんと覚えているし、僕のしてきたことも、彼にとって未消化の部分はたくさんあるんだろうなあと思う。僕の場所からは彼のやるべきことに対してよくわかるよ、とは言えないけれど、でもこうやって考えてくれたっていうことは嬉しかった。彼が僕のことを個人として見てくれたのは、もしかすると僕が以前頑張ったからなのかもなとも思ったりもした。僕は当時嫉妬心と劣等感に飲み込まれてしまいそうだったから。だから彼が少なからず僕を注視していたみたいな発言はかなり意外だったし、まったく知らなかったと言ってしまっていた。全然わからなかった。ずっと僕からの一方的なやりとりだと感じていた。僕は彼といるとき僕の中にあるものが彼にそんなふうに影響を与えるとは感じていなかった。ずっと僕が考えていたことは本当はどうすれば彼に僕のことを発言させることができるか、それから影響を与えることができるかということだったのかもしれない。何かその辺のことを今考えると恥ずかしいやつだなとしか思えない。

憧れたり影響を受けるほどの存在っていうのは強烈な力で、正と負を同時に引き連れてくるのだと思った。ただ目立っているだけの人ならいくらでもいるけれど、才能のある人というのは、誰とも分かち合わない部分で努力している、ということが、僕は彼を観察して見つけたひとつの真実で、それはさなかに居る間も、ずっと一人きりでしかなかった自分を支えてくれていた。僕も彼のこと、個人としてちゃんと見ようと思うし、それから彼の才能をちゃんとたたえたいと思った。

 

 

 

 

ところで話はそれるけど、こういう真面目な話をしながら自分のこころは相手のことを考えたり、思いやったりする方向へ向かっている間にさえも、僕の頭に雑念みたいなものが次々と沸いてきて、その時僕がなぜか考えていたのは「なぜ僕は、スマートウオッチを付けているのだろう」みたいなことだった。この、スマートウオッチというのは僕はどうしても欲しかったものなのではないが、たまたま前使っていたのが2000円くらいの腕時計で、ベルトが切れた後も使っていたけどかなりボロボロだったため買い替えようと思っていたところにちょうどほしいやつが現れたからだった。僕は、即決というものはあまりしないで、ほしいと思えるものが現れるまでけっこうぼろっちいのをそれが死ぬまで使うみたいなことはよくある。何かビビッと来るものでないと買いたくないというか、けど、だからピンと来るのであれば初見で買ってしまったりすることはある。今回はその「たまたま」があっただけなのだ。けど僕は、スマートウオッチってバカみたいだなとも思っている人間である。そんな自分が、今かなり深刻になっているしかも、年下の若者が、スマートウオッチ付けたフリーターである俺に話を聞いてもらっていると知ったら、一体どんな顔するのかな・・・と僕は考えてしまい、僕はそのとき自分のことを恥ずかしく感じてしまっていたのだった。なぜなのかはわからない。普段調子のいいときであれば、スマートウオッチは普通の時計にしか見えていないのに。

この「全存在恥ずかしい」みたいな感情は自分の根底にありそうだと思った。

しばらくはこのことを突き詰めてみようと思う。