To be continued

単純な日記です。

寂しいと僕が思った事

今日は、四時半過ぎに起きて仕事へ行って、それから休んだりする時間もあったりはするけど夜8時くらいまで働いて帰って来て,家のことをやったりご飯食べながら文章を編集し直したりしていた。それで、一日にだいたい三時間くらいは書く時間を取れるっぽい。けど、その中でずっとがっつり新しいのを書いてすいすい進んで〜て言う時間ばかりあるわけでなく、最近はだいたいちょっと前にざーっと書いたのを手直ししたり,文の繋ぎ目を直したりしてたらあっという間にその3時間が終わってしまってたりする。それで、あとは明日の準備とかをしこたまやってたりするうちにどんどん「鬱」みたいな気持ちに覆われて来るのだった…本当はもっと文章を書きたい。けど、平日三時間…て多いのかもしれないけど集中して書ける時間はそれくらいしかない。で、今の仕事もまた殆ど事務作業みたいなものなので前も書いたけどとにかくひとつの事をやって→完了ってなるような仕事が殆どなく
一つのことのために準備,準備,そればっかりしてそれがいつ終わってるのかもよくわからないような内容。だから一日中なにやってるかわからないけど時間だけはめちゃくちゃ無くなっていって、それも「やるだけやった感」だけが手に物凄いずっしりと残っていて,夜11時くらいから何とも言えない暗い気持ちになって来る。考えれば、四時半に起きてるんだからもう寝た方がいいんだ。寝ろ,っていうサインなんだと思って寝たりするんだけど,でも今の歳になって、こういうのが1日のサイクルなんだなって改めて思った。昔は,二時三時とか当たり前に起きてたりしたのに、今はもう次の日の仕事が出来なくなるって分かってるのでそんなことも出来ない。その、「限界」みたいな気持ちを感じつつ、本当に僕は、寂しいって思っていました。
1日書いてる時間が取れるのは良い事なんだけど、その時にやっと「ちゃんと書けてる」って思えてる時間が存在していれば良いけど、何か右往左往してまた通常の仕事やってる時みたいに時間だけが過ぎていく事もある。

理論のこと

以後、だべりなんですが,最近読んだ漫画で少し考え方が変わったんだなと感じたことに、「夢に楽土を求めたり」ていう言葉に,自分はそれほど共感出来ないでいるんだなと思った事があった。その内容を詳しく書くのは省くんだけど、でもここ数年は全然真面目に物を書いたりはしていなかったけど書くにあたって,それから読んだりしてるうち,「もしかしたらそうじゃないんじゃないか」っていう気持ちが自分をこれまで、どうしようかな〜ていういつもの状態から「だったらうだうだ言ってないで自分で必要なことを書こう」ってさせていたのもあったんだなと思ったのと、そうしているからと言って,それが皆にとっても必要だと感じてるわけではないし、自分もその中にこれが自分の思想だとしてごく必要だと言いまくりたいわけではなかったんだなと思う。それは、もしかするとエンタメと私小説の違いだったのかもしれないけど,でも自分は色んな人と会ってその中で影響を受けたりして必要なやり方というのを学んできた後で,自分はやっぱり、ない物を書いてるんであって、それは理想というよりも,失われたものを自分だけが見えてると思って流布しているんであって、それは理想郷とか,夢とかとはまた違うものだったんだなと思った。その辺のことで何が自分にとって寂しいというか,違和感があったのかと考えながら、でもそれを言ってしまったらそれが全てみたいな感じでもあるのかもしれないけどいまも自分は自分なりの考えで書いてるんだなって思っているのと、書くの忘れてましたが自分は、生活とか目の前にある人とはやっぱり、切り離して存在出来ないっていう考えがあるので、現実と、そういう創作の部分をごちゃごちゃにしたくないっていう強固な壁みたいのが常にあるみたいなんですよね。だからこそ自分はエロス〜エロス交換日記みたいのも初めから否定する立場にいて,その倒錯すれすれのところに存在したくない自分が、強固な理念で立ちながら,自分の何かを掬い取る事こそが全てだったんだなって改めて今思いました。
話は変わりますが,それで、どこかに書いたか忘れたけど自分はそういう思想,理念、体型立てられた教科書みたいな物をずっと探している時期があったんです。それを、見つけたは良いものの,すぐに相手と連絡が取れなくなってしまって,自分がそこで育てて来た理想とか、未来みたいなのがぽっかりと消えてしまいました。それくらいから現実の方もだんだんとおかしくなって来たんだけど,今ある風土の殆どは自分にとってあまり関係ない事なんじゃないかなっていうのがやはり基本の考えにあって、自分にとって大事なのは実際に会って言葉を交わして来た人だし,その人達の半分くらいがもう会えなくなってしまったりして、自分は結局そういう暮らししか出来ないんだなって最近は思ったりしながら、でも、自分の見て来た物を形にしたりもしていました。

昔は〜のこと

で、話は変わるんですが,最近というか常に,特に去年くらいからずっと自分にとって昔のことを話される機会が多くて,あの時は本当に酷かったっていう事を聞かされて,それは今自分達の関係も含めてそれよりもマシだから笑い話として言ってるのかもしれないんだけど,自分も、あまりに同じ事ばかり言われ続けてたので一人で考えました。確かに,昔はひどい事もあったかもしれないけど、でも、昔めちゃくちゃ中良かったのに今全く会ってない酷い相手の方が多い中で,昔は〜とか言いながらでも今、会えてるんだったらそれはゼロと比べてもずっと良い方だよね?っていう事自体(それについて比べ始めたら自分は何処よりもマシっていうこと)皆すっぽり忘れてその酷さについてしつこく話してるんじゃないかというのと、あとはちょっと厳しい言い方になるかもしれないけど「昔はやんちゃやってた。」「めちゃくちゃブスだった」みたいな話って、当事者間で思い出して言うから爆笑するみたいな話になるんであって,それは親であっても全く関係ない人から言われ続けてるといずれ「なんだよ、テメエ?」てなって来ると思ったんですよね。