To be continued

単純な日記です。

まだ、やってんの?

アルコールが飲めない②

今日はマッコリを飲んでみた。アルコールが飲めないとは書いていたけど小さいグラスにマッコリ1センチくらいは実は飲めていたので今日もついでみたんだけど今日にいたってもはやそれさえ飲めなくなっていた。もうこれはアルコール度数6%くらいである。まず、飲む。そして、五分か十分くらいしてから全てのことが面倒くさくなってくる…感覚で「あ、もうこれ全部ダメだな」とおもって、何度も同じことを書いてはきたけどとにかく自分から「酔う」というターンが剥奪されたみたいになってしまったんだなと思った。
だから今日自分のとこにたまたま来た人が買い物袋を下げているのを見て、それに酒が入っているのを見て自分は「もう自分は酒、辞めたから。酒飲まないから買ってこなくても良いよ」と言っておいた。念のため、袋の中を見てみたがそこに、僕用のアルコールは入っていなかった。
僕はそれで、「辞めたから」と言ったことで何かと別れられたような気がした。「飲めない」と言うのと、「辞めたから」とおことわりを入れるのではけっこう感情というか自分の立ち位置、ちがく見えるなと感じ、それはまあいいが、こういうのはとにかく周りに言っておくに越した事はないと思う。その時から勝手に辞めたことにしておいたことは、かなり進んだなと感じた。今後その宣言が自分を縛り付けることになるんだろうけど、本当にもう飲めないんだから良い。
あと、小説を書いていた。
が、まあ、長いやつの方は進んだ。短いのもちょこちょこ書いてるけどだいたいは自己満みたいな感じのやつ。けどこれを、続けることによってたまに確変状態にみたいになって止まらなくなることがある。とにかく感想文でもフィクションでも色々書きつけてあとで客観的に見る見たいのは繰り返している。で、たまに、TikTokとか見るとだいたいやってること同じだなって思う。生活において湧いてくる数限りなくある疑問、ふと感じたことを「かためる」まではいかない状態で出してってやる。
それだけ。

だから

あとは暇って言うと語弊があるのかもしれないが、休憩をかねた暇をしているとき前に書いたかどうか忘れたけど最近あった①②③※会った順番)さんの事を思い出して、話してみようかとか考えていたんだけど即、それがトラブルになる気がしてしまったのでやめておいた。たまに会うにつけても、特に①さんとかは不平みたいのが増えてきていて、「疲れた」みたいな事をけっこう漏らしたりしてくるタイプの人なんだけど、自分はそういうのを聞いてしまうと、どうしても、相手が考えているよりもずっと、表面上の態度から想像がつきにくいほど腹が立ってしまうのだった。疲れる、て、いうけどそれは、言う前から僕の方がずっと疲れてます。なんでそれを、あなたが先に言うんですか?と、仕事上においてはどうしても、ガス抜きみたいなタイミングとかで自分の理念上でがんじがらめになって、僕みたいのはもはや、疲れてくるとそもそもで会う回数が減って来る。皆に言っておきたいけどそういうのまずサボりとかじゃなくて、会った途端に

「あ〜〜疲れた〜〜(チラッ。チラッ。チラッ。
あ〜〜、がんばってんな〜〜。俺(チラッ。チラッ。」
みたいな事をやりたく無いからである。それは、もちろんで皆だって頑張って居るからそう言う事をする必要性が無いって言う意味で、自分内で閉じ込めてあるからだったりする。

新聞の読み方のレクチャー高瀬(源氏名

あとは書くことがないので最近やっている事を書いてみます。とりあえずどらみちゃんサークルを辞めたあとは、仕事もあまり入ってないところにいたのでなんとかスケジュールを埋めたくて文章をまとめる系の仕事をしていました。そこでの習慣で、特に意味もないけどとりあえず朝の5時半くらいには起きて、文章をまとめるみたいのは常日頃ほとんど無感覚でやっているため、自分のフットワークとして新聞を初めから終わりまで読むと言うのを空き時間でやっていました。これは、まあまあ量があるし、分からない語句だらけなため調べているうちにだいたい一日が終わってしまうくらいの分量であります。これを自分がやっていた時は「そうやって全て取り入れるみたいな勉強の仕方は良くない」とわけわからんことを言われたんだけど自分の場合、経済と歴史の1%も知らないような気がしていたのと、全て読むことの何がいけないのか分からないのでとりあえず読んでみました。そうすることで、わかるのは①新聞の見方みたいなもの②社会経済におけるいまHOTな地域と話題(その頃は半導体ー中国とアメリカ。自分はロシアに興味を持って調べて→ヨーロッパ、社会主義キューバなどなど)だったりします。
結局現在は流石に毎日全部読んでも無駄だと知っている為一面→二面と来て、政治面、それから世界の情勢、時間があれば経済面も見て、その後は殆ど読んでいません。読んでいくにつけて新聞言語みたいなものがわかって来ますが、自分の感じていたのは①政権批判(とりあえず野党という立場で批評をしないと始まらないというテイスト)②情報を小出しにして行く(なので、ある日を信じ込んでいると唐突に別の情報が出てきて一体なんだったの…?!てなる。あくまで全体を見る)③民衆への情報提供、有識者からの教育も豊富
なことです。特に③は特集で組まれていたりするので読んでおいた方が良いと思います。が!ここにきてオミクロン株が出て来て、三回目接種をした方がいいという流れになって来たことでさすがにわたしも、疑いの感情が湧いて来てしまいました。これは、情報や相手のスペックが日々切り替わって行く中で読めない部分ではあると思いますが、何か信用ならないワクチンの配布基準&情報+二回接種で抗体が行き渡ってマスクを取った生活が出来るので、打とうという説明、流れから「打っても打ってももしかすると意味ない」みたいな感じに思えて来てしまいました。わたしは、三回目接種受けるか分かりません。何故ならワクチンを打った後で二日くらい消耗してそれが、当たり前みたいには特に思えなかったからです。で、それは個人的意見なのでおいておくとして、以後、コロナ関連は読んだりしていますが、でも時間やスポーツなどもテレビ、ネットニュースで出ているものは新聞の書いてあるものの5分の一くらいの精度であるんだなと僕は思いました。テレビで見るとまず、何故それが今優先的に流されているのかというのもあやふやで、事件の紆余曲折、当事者の声も編集されていることが多く事件の実態がよくわからないからです。不安や興味をあおるものもやたらと多いです。
なので「情報」は新聞でいいとまあまあ思ってます。あとはニューズウィーク誌もたまに読みましたがこちらも面白いです。

知識マウントに気を付ける(無視する)

というわけでとりあえず時間のある時は新聞を読んでいて、もっと読めそうな時は世界の歴史系の本を読んでいます。これが最近、色んなことがわかっていき現代に繋がって行くのが知識欲剥き出しで面白いです。皆さんも一緒に勉強、やりませんか?で、あまり関係ないかもしれないけどこういうことを学ぶにつけて、殆ど無知な層もあれば、知識をたくさん蓄えている層もあって、その、知識を蓄えている側がそれでもってマウントしたり、情報を主観で改変したりするみたいなことはどの世界においても沢山あるんだなと感じた。無知がばかと言っても仕方がないけど、それに対して有識者層もマウントしてくるのが常で、こういうとこに入るときまずは「いっぱい経験込みで教えてくれる」人を探すのが良さそうだと思った。自分も何かをやるにあたってはどんなところでもそう言う人に会ったし、そういう人っていうのは一部「マウント層」から嫌がらせとかを受けつつ暮らしていることもある。よく見てみながら、選んで接種してみてください。
話は戻って自分が初めに読んだのはなんだったか、多分地政学の本でしたがそれは全部読み終えて、そのシリーズの日本の歴史も読み終えました。で出てきたワードとかで気になるものがあればその本を漁って買ったり、借りたりして読みます。Wikipediaも精度はわからないけど読んでます。
そんな感じで世界の歴史関連は日常的に読むようになり、そうなると何が変わったかと思うと「日本人テレビ見過ぎ」みたいな考えです。だから皆とあってるときに話す共通の話題としてYouTubeとか、テレビの人間関係みたいなものにいまはなるのかもしれないけど、日常的に新聞を読んでると歴史とか外交のこととか、経済→政策がどういう気持ちでどういう過去として行われているのかみたいなことの方がもっとHOTに感じられてきているため、なぜ、自分らはふつうに有吉と夏目ちゃんのこととかみたいのは話すのに、バイデン政権のこととかについて興味を剥き出しにして誰も「今日さー…」みたいに話しかけて来ないのかな?てふうになってくる。思えて来る。だから、常日頃常態みたいに流れている◯◯自体、HOTな話題自体が日本の未来→グローバルな感じになってきます。これは、格好つけてるとかではなく、普通に当たり前にそうなって来るし、むしろ日本人が偏ってると言っても良いくらいだと思います。
だから自分は、浅い知識過ぎるので会話という形にあまりならないかもしれないけど、自分は空いた時間があれば歴史関連、それから映画とかが見たいなってふうになって来ている。もし、そうじゃなければ今もずっとテレビを見て、テレビ内での歴史とかを追って話して批評していても何の疑問も持たない体のつくりでいたんだろうとは思う。
あと空いた時間ではゲームやってます。


俺の、実存に対する感覚

で、今日はそれらをやり終えたうえでもひまでひまでしょうがなくて、というか暇というよりも休むべき時間をもてあましている状態に近い。自分は息抜きというか社会勉強、コミュニケーションこみの「遊び」やっても良いのかなと考えているんだと感じた。かと言って本を読む気力もない。文ももういいってくらい今日は書いた。だが今、時間が空いてしまったが、その時間をあそび関連に費やしてゲームとかしてしまうと、たぶんここから頭も体も現生の鎖から外れてしまっている」みたいな状態になってしまう。それでいいのかという問いに対して自分は、いい加減過ぎるだろと感じている。自分は昔からこうで、たとえば、周りの人とかはがんがんスマホをいじり倒してから呼び出しを受けてそのまま外出とかしているけど、僕の場合は出かける予定の数十分前くらいからテレビとかも見ないようにして何回もトイレに行ってお腹を下すみたいなルーティンを繰り返してから朝が始まっていた。とりま、出かける寸前まで情報番組とかテレビを見ていると、それに浸かり過ぎてしまった意識が、自分が次に何をするべきなのかわからなくなってしまう。今でも覚えてるがスーパーに入ってるのにまだテレビを見てるみたいな感覚。その時、同級生に話しかけられて、自分は「ぱ、ぱじゃまを着てきてしまった」くらいびびったと思った。バカ…っていうより、とりとめもなさ過ぎるんだと思う。そういう、とにかくごく普通に考えてほしいけど、テレビで感情的になってる人らが色々流して弾けまくっているのをまた後で、ぱっと切り替えて自分のワールドに戻って行くみたいなことがごく当たり前にしてること自体もしかすると異常なんだと思う。自分は昔から苦手で、現実にすり合わせるたびに、とにかく朝はお腹を下してからトイレに何回も行くみたいなルーティンを繰り返す。そうでなければ自分が現生から鎖が外れてしまったような状態のままで外を歩いたりしてしまう。そうやって、僕の場合は何か現存在みたいなことに対して(…え?なに?なに?なに?)ってなってくるのが日常茶飯事で起こりうる。

で、話長くなったけどそういう「浸かり過ぎる」みたいになってる自分がどうしても心許ないと思っていて、ファンタジーの出来事は、子供だった自分にとって軽めの麻薬みたいにして実存の鎖をもぎ取ってしまっていたのだ。
だから夕方以降、何かに自分がいまさら夢中になっていていいのだろうか、という疑問に対する答えが見つからない&何をすれば良いのか根本的に分からない状態になっていました。突き詰めて言えば特に何かをして事件を起こしたりするのがダルくて仕方がないという自分がおり、だから①〜③さんに普通に会うのもダルく、そうでなければずうーっと、一人で時計を見てばっかりでいます。