キョーのまとめ
●通貨について考える
通貨は、あらゆるものに価値を付ける。まったく別のものと、そこにあるものに同じ価値がつく時,交換できる価値を生む、そんなふうにものを区切る性質がある。
交換しようというとき、人それぞれの価値観がある為、無理がある時があるが,人はできると思い込む。通貨に教育されてしまっている。
自分は、そんなふうに単純に区切らない物事,おもに感情やひと、病について、それをどうにかしようとするとき、人一人分の力量が必ず働くと思う。そういう事に対する専門家,カウンセラーや作業療法士などはいると思うが,その「人一人分の重み」ていうのを、昔は呪いとか祈りみたいな不確かな部分で証明されてたんだと思う。いまは、人の匂いみたいなものも希薄になってきているのか、簡単にどっちが勝ちかと言い放って終わりにさせることが出来るようになってきたけど、人とか、人生とかいうものはそういう物事じゃないと思う。それを説明するのが文学…てまた話が戻ってしまう!
➡︎あらゆるものに価値を付けていく文化
視覚化されていると、よりものを切り取れると感じてしまうが、それに対して人がそれぞれに価値を付けていく。それは、個人的な感情がこもった作業。
公共ってなに?➡︎ウラとオモテを分ける文化…
そもそも、日本人は島国だから村八分にならないために裏表をつくって来たのか??欧米圏だと、真っ先に議論して解決していこうっていうイメージ。それは、もともと敵だからっていうのが前提にあるのかも?
●いつも見ているもの
いつも見ているものに、人は何かの感情を必ず抱く。教育されていない部分の非言語で教育されている。
例)テレビ→→インターネット
憧れ…嫉妬…それから有無を言わさない公共性
皆が見てる,皆が知ってる、それから、サブリミナル効果的なこともあるかもしれないが、これは、自分らが「知性のある猿」ていうのを意識してみる。
知性のある猿が、ここから言葉によらない教育を日々熱心に,しかも無料で受けさせられているのだ。
で、
その構造の中で,いまはイッパイ給料制で雇われた軍人がいる。⬅️それがもんだい。
知性のある猿が、軍事力のある公共性に無料で教育を受けている。その、選択の余地のない場所がいま世界の大半を占めている平地で、眠っているままの人もいれば、目覚めているだけの人,目覚めて,そこに新しい教育をしようとしている人もいる。
案
◯新メンバーは、あたらしい教育を出来るひとに限る!
➡︎これを、◯ちゃんが能力,耐久力、知性を加味して審査します。審査から落ちた人は常態メンバーとなり、違反を三回以上繰り返し更生の余地のないメンバーはクビor丸ちやんが脱出するステージに変貌します。
例→これまでの事全部
答えー価値→時間の重さ
価値は,人がそれぞれ感情主体で考える仮の公共性ではなく,時間の重さとして考える。
次回(多分→時間について考える!
オワリー
何度も何度も繰り返し見るとパノラマ写真みたいにこころに風景ができあがっていく
何度も何度も繰り返し見ている物事のために自然に準備が出来ている
アンリルソーの絵画はそんなふうにだれのためでもない風景をえがく
画家はだいたいそんな絵を描きたいと思っている
どこかの全くべつのだれか
苦しみも悲しみもたのしさも僕らは全くちがうのだが、
アンリルソーが描く絵画とかはみな、同じ情景をこころに置いていってくれるとして
それがそのままで伝わればいいと感じている
僕はたのしさを受け取り、
自分のこころをもう一度見返してから
自分の中に焼き付けてしまったものは何か、
考えさせられる。
それからその場所を、いったい何と呼べば良いのかを考える
僕の気持ちも天気図のように不安定だが
そんなふうな色眼鏡で
なるべく都合のいい言葉に
起き変わらない手段をさがす。
僕のこころ、パノラマ写真のようにたくさん折り重なっているところ
それがいつかを待ったまま、
何の手段もないままでどこかにあるんだと思う。