To be continued

単純な日記です。

愛すべきぽんちゃんの事

仕事でいろんな変化があったりしながら最近になってやっと創作の方に目が向いてきました。仕事では誰かさんの排斥運動や、配置転換(架空)があったりしてあらたな出来事も増えてきています。そんなふうに過ごしていて自分もあちこちにお礼を言いたくなったりして来ていたんだけど、このあいだふと、ここに至るまでの経緯を思い返していたのだけど、そもそも混乱を引き起こした発端っていうのがいまじゃいろんな人が絡みつきすぎてて分かりにくくはなっているのだけど、自分はそこでそもそもNくんがあまりにもしっかりしていなかったというのがあったということを思い出していた。
Nくんについて語られることは殆どないといってもいい。Nは若干強制的に入り込んできた社員でそのときだれもが有無を言わさずそうなっていかなければならないという雰囲気の世界があった。Nは、その中であたたかく迎え入れられて特に理由もなく過保護に育てられた人だった。
考えるにNさんていうのは物事の価値判断基準がどっかおかしいみたいなところがあったと思う。だから当時Nさんが自分の上に立つという期間があって、おどろくべきことに自分が、Nから教育を受けたりするみたいなこともあったんだけど、Nが入ってきてからいうことは僕のこととか今までの仕事のこととかお互いのことじゃなくそれはほぼで「自分のアイデンティティ」についてだったりし、そっから先に向いて行かせる方向っていうのが、これまでの流れを意識したものでもなく、とくに創造性みたいのがあるわけでもなく、ほんとにただ「受け入れてもらいたいくん」みたいな感じで来てしまっていたから、会議室をわざわざ使って話していることも何かちょっとずれ続けていたのだった。それで自分がはじめにそれに対してやっていけないと怒り出したことがだいぶいろんなことを停滞させて他の人の流入もまねいたのだけど結果的には今の、ごりごりに作り出した部署の➡廃止と、入れ替わってやる新しい人の引き抜き、そこで新しい部署を築いたうえでこちら側からNふくめて配置して行きますよっていう世界に繋がっているのかもしれない。そうそれはNがふさわしくなかった(仕事を認識していかなかった。)だから、入って来たNが今のりょうたくんやでんたくんなりに動いたり話したりできる人であれば多少の文句があったとしてもどうにかできるところにはいたのだ。絶対。Nくんら他の人たちがどういう落とし穴に落っこちたのかといえば、それは毎時で株価をチェックしすぎていて株価以外の視点で仕事をする能力に欠けていたからだと思う。株価っていったってそこには人がたくさん住んでいるわけだから、はっきりいって「これをやったから今まではうまくいっていたから、上がる」みたいなことは10パーセントくらいの確率しかないって自分は思う。で、それも相手の気分や空気みたいなものがあるなか想像のおよばない他人と折り合って行くっていうことが全てなんだから、だめで当たり前なんだと思う。それなのに、Nは「ちゃんとやった」っていう雰囲気しかいつも出してはこない。言いたいがそれはただ、あなたがやりたいことをやらさせてもらっているだけです。結局自分以外の誰かが道を作ってくれる事に対して保証なんて無かったっていう事にはいつまでキレていてもしようがないんだから、気づいた時点で自分の手で道を確保して地味に打率をあげていくしかないと思う。で、積み上げるっていってもそれは単にゴミを積み上げていくことじゃない。色々なことをやらされながらもたったひとつでもがまんして死守しなければならない領域を知ってるのが仕事だと思う。そういう意識が、アナタ一度でもありましたか?それが終わった後で上手くいかなかったってことに文句を言ったってフィールド外でブツブツ言ってるのと同じ事だと思う。で、それでいて、このがばがばな流れで自分も皆と同じようにできると思ってたから適当な差別化する仮説をつくって自分に信用などない相手の前に来たために結局は自分が損をすることになってしまったのだった。だから初めから、皆が言ってるように自分のやりたいことだけをしていればよかったんだと思う。でもそこでNは100パーオレの勝ちの理論を勝手につくって持ってきたせいで以後それを払拭することだけでエネルギーを費やすことになってしまったのだった。だから、その部分には他人のせいとかは一ミリもないと思う。僕はあなたのメッセージ性をはっきり受け取りました。あのとき、アナタは「どっちだっていいが、強い俺のいうことを聞け」っていって来てました。
とにかくそういうのが欠如していた。それから、僕のとこに粘着質なハゲが「Nにはカリスマ性がない」と言っていったことがあった。これは、はっきりいっていじめメッセージでしかないが、カリスマが欲しそうに見えているやつに向かって、確かにカリスマ見たいのなかったんだなって皆が感じていたんだなと思う。カリスマを言うなら、ことこまかに才能とかエネルギッシュとか言うこと以外でいえば「選択した事に責任をもつ」ことだと自分は思う。それから、100個ある選択の中でどの選択がどうでもよくてどれが一番大事なのか自分で決めれる目を持ってた方がいいと思う。Nにはそれがとにかく無い。で、それがけっきょく一番やりたかったことだったから、ってわけですらなかったのだった。Nは大事な局面に限って他人に流されまくっていて、言った事もあっさり忘れて保身と攻撃でみずからの信用を撃ち抜きまくって行った。Nはとにかく、嫌な役目も背負いたくなければ自分から損する事もカッコ悪いこともしたくなかった。それから人の築いた未来に毎時間で安住していたいダサいやつだったのだった。それなので自分のやって来たこと、ていうか選択に対してなんの埃も持ってない時点で僕は、なんかもうオワってるなと思う。百%ない。あるわけない。だいたい普段もわあきゃい騒いでるだけで中身だって何もないネーチャンみたいな話し方しかしない人に対してそんな態度に誰がついていくのか逆に聞いてみたいと僕はずっと疑問を胸に秘めていたんだと思う。

で、なにがおかしいのかといったら、例えば・・・だから、以前からその考え方とか、人の扱い方おかしいみたいなことはなんとなくで感じられていたんだけどそういうことって、周りが認識始める前に漏らすと自分がきんきんうるさいみたく囚われてしまうんで、結局、部署全体がアチチなやつの存在を把握し始めるのを待つしかないですよね。で、たとえば人、ものごとに対する扱いが重い軽いみたいなことについてそういう理由で説明するのが難しいと思った。もっと、まじめにやりなさいと言ったって、社会で「まじめにやる」を体感で身につけてきていない小学生に僕が毎日言い続けていたとしても、周りから見れば「あいつ、つかれてんなー」と受け取られかねない。こいつが、未だトイレを知らないで居て英語圏のおむつ言葉を話して歩きまわっているってことを僕が部長を捕まえて説明しだすわけにはいかない。そこは、実践していただく。実践編としてNのバカをみずから味わってもらうしかない。あとは、なんかしらんけど突如持ってくる真摯の姿勢が失笑をかうみたいのは、見てるだけでばかじゃないかと思うこともあったのだが、自分も失語状態で居る上にふつうにこっちから相手の成長を待ったり少しくらいは見逃してあげたりしなきゃならないのかもしれないと思っていた。何かその後に話したとしてもそれが、あなたの真摯で、周りにも伝わってると思ってるんだな…ていう。そんなふうにNをあまやかすのはNが物事をあまり知らないからで、僕の方が年上だから許してあげなきゃならないことが沢山あるからだった。けどそんなときもN自身は、目の前の相手よりもものを知ってるっていうふうに皆の前で人の頭を押さえつけながら振る舞っていたのだった。その上、お世話になってる人や目上の人に対してもぜんぜん笑えないタイプの歳とってるいじりみたいのを人前でしていた。はっきり言いたいが…無い。自分がこれまでここに来たのは友人同士でわあわあしてたからでなくて尊敬してる人の脛をかじって生きてきたからであって、何故公衆の面前に呼ばれても無いのに来ているNでそんなことを吐けるのか毎度毎度で理解し難いと思った。そこまでこればあとは、それを僕がどこまで我慢できるのかという問題がNといる時の8割以上を占めていると思った。で、そんなふうに自分の為だけにそこにある席を8割がた占拠した後で吐露しまくるNを見ていて自分が一番「?」だったのが、自己イメージ像が社会の中でのNと全然合ってないっていうところだった。だから、自分が来たいって言ってるんだから、敬語とか、使えよ。と思ってたが、終始タメ口。Nはいつもそこに楽しいパーティ状態の何かがあるんだと思っている…
ないって…。もし、「ない」んじゃないかな?と気付いたのなら、その時点から赤の他人からぜんぜん関係ない年上の人と話す言葉にチェンジしてくれないと気持ち悪いがなっていう感覚が拭いきれなくなる。とにかく自分も日本人なので無意味に距離の近い他人に対して耐えられないきもちにあった。そんなふうに僕&僕に近い人全員がNむりなんですけど…みたいに無言の同調をしまくるような期間は数年続いていて、だいたいそのあたりからNの前にいるとき自分は常に泥だらけみたいな精神状態でいたんだと思う。
実際に自分もこういう男社会のなかに投じられてみれば、それが思ってるよりも大変なことなんだろうとも思った。マウントや、目に見える足引っ張りだとか罵倒や悪口も、女性たちの中にいる場合と違うのは目に見えたテリトリー思想というか、もっと体罰的な感じで現れてくると思う。だからこれに耐えうる人格にならなければならないんだなあ〜こういうのって、はたから見ているよりもずっと大変なんだなあ〜と自分も最近思い始めていたのだが、その中においてもNがいまだに自分なりの「カワイイ」を着こなしてふたたび現れてきていたのだった。自分はもうその時点でNからかなり離れたところにいたので、N以外の別世界の話がなんとか丸く収まるように、それから今関わってくれた人達が平等に利益を取れればいいなーって考えていてそれは片隅にいていつでも誰かにくっついて回っているNにもはじめは向けられていたが、さすがにN,あまえてんじゃねーぞって少し思った。
だからここで「やっていく」→「周りにもついて来てもらう」ていうのが、なかなか難しいことなんだなって僕も思いました。今までのことを掘り返してみて、自然といつの間にか部活みたいな場でも部長になってテストステロンでまわりを引っ張っていくことに疑問も持たない人とかならば、そういうことにも野球のフィールドに入ってくみたいに有無を言わさずに向いているんだと思う。いま、当たり前のように上にいる人はきっと考え以前の欲求の時点でごく当たり前にそういうところに生まれついて、人を押しのけたり周りが、排斥をやっていることもなんの認識することもなく無感覚でできる人たちだと思う。けどそのことが「+N」ていう要素でかなり負の部分を見せつけてくれていった数年だった。で、だからこんなふうに人格でやる、やりたい人がやる、向いていると感じている人がやる、でも「やりたいからで向いてるわけではない」と大変な事になるんだなあと思う。周りが見えてないから敵を作りすぎるみたいな人も多く、そんなふうに周りも紆余曲折も見えていないせいでブルドーザーみたいなことがやめられなくなって来て逆に自分が排斥運動の対象になるみたいなことにもなる。結局そこは、望んでたようなカーストの頂点でなくて市民が大勢いる場でのただの最前線だったんだなって思い知っただろうなと思った。で、Nが心配しているのはそういったことなのだろう。これまで、周りにブルドーザーみたいなやつしか存在していなかったため、Nの周りには未だ悪い手本しかない。Nは多分こう思っていると思う。「ボクは、やりたいだらけでケツも拭かないでまた来る奴みたいになりたくないんだ。」って。というか、なってても別に構いはしないがそれを皆から自分の前で言われたくないんだなって思った。多分それが、アヘアヘしていたいだけの僕らとは違う、出世したい欲No. 1のNくんの第一信条なんだなと思った。が、最前線を死守しておいてそれでいて何もやりたい事が特にないみたいな感じで無責任なまま居てしまうのがNだったのである。
そういうのカッコ悪いみたいにいうが、僕はそんな事勿れ主義の方がカッコ悪いと思う。僕は、ゴリラや、アホアホ体操することの何が悪いのかわからないし、わからないって言えなくなって来ている界隈を見ていて、「え、大丈夫なの?」って感じ続けています。結局どっちにも振れられずどっちも中途半端の一ミリ感をもってしてもできないんやんけみたいに実力がない事を周りに見せつけてくれたあとは周りと変に融和していき、それに対してNが元から特に何の意見もなかったせいで誰にとってもそこはNのせいで雑菌だらけの最悪な環境になっていった。そうしてその場を見て「これは、8割自分がやったんだ」と反省してくれるならいいが、大抵内省とかもないまままた、自分の感覚を取り戻すためだけに僕たち含む貴重な毎日を浪費してくれてく。それがいま排斥運動を受けている×さんの立場で、彼が築きまくった負の遺産も膨大になってしまっていると思う。僕は、思ったのだが、これからはそんなふうにして育てあげた雑草に供給するためのみたいな役職につくのが一番いいんじゃないかと思う。あるいは、何事もなかったみたいに「スタート」っていう歌を作って歌ってみればいいと思います。僕もそうだけど、今までのこと、特に重要視してないことだらけの山みたいになってきてんので、早く、縁切りたいエンジンが、皆かかりまくってるだけのが今日なんだと思います。
結局は自分たちにとって都合がいい歴史を築きたいだけで人を集めて来ていて、都合のいい論理ばかり集めて、作りさえまして、その下にあるものに対してもシカトをおこきまくっている人たちなんだけど、そんなふうにもとから都合のいい話をするためにNっていう人格を置いておくのが最適だったわけだ。利用されて行っている事に対する苛立ちは持っていても、責任感のようなものは一ミリも存在していないんだなって、なんか思ってしまいました。別に、初めに聞いてたことと話が違うとか、自分よりもっとでかい流れがあって自分一人では抗えなかったっていうことを、今まで僕の前にわざわざ来てかましてきてたみたいにまたブツブツ言えばいいんだと思うけど、今になったって別に誰の見てないとこでも他の人のために仕事するとか、こつこつ耕すことか、謝ってみるとか…自分以外の人のためにっていう視点を持って、それはいまからでもできるじゃないって思うんですが、やらない。僕はそれが不思議で仕方がない。じゃあ何故、あたりまえみたいな顔をしてここにいるんだと思う。
そんなふうに歯の浮くような文脈でしかしゃべれないNが俺の前でだけはいつも部長みたいな感じで来るのが疑問だった。NもNなりに、僕みたいな人間一人をうまく納得させれば株価あがるみたいにうまくいくと認識していたんだと思う。Nが毎日やってくることと言えば自分に教育を施すことだった。Nはだいたい意味がよくわからないことをしてから自分でもやっぱりおかしいと思うのか「これは、躾だから」みたいなことを吐いて言っていた。だいたいそれが、2,3日の時点とかじゃなく1年以上24時間じゅうで、それに対しても何が躾なのかとは感じながらも、ただこっちが年上でいろいろなことを知っているんだからむしろ折れて、教えてあげれることもあるのかもしれないと思い直したり、けどN以外の誰も結局は喜ばない事なんじゃないかとかそんなふうなことを考えさせられながらべこべこになるくらいまでこっちがわの方から折れ続けてやるというのが、それがこの2年くらい続いた。

こいつ、ばかじゃないの?と思う理由は他にもあって、例えば最近、やっとのことで色々なわだかまりがN以外の人間のおかげで解けて来ていて、周りの人が働いてくれたおかげで元からあったはずの善意が収まるべきところに収まりかけている空気に突如なってきていた。僕はそれは、社会に出て働いている人達の持っている普通の感覚と善意のおかげだと思っていた。皆が当たり前にそれぞれ苦労して来ていて、他人とか社会秩序のために働くのがイチバン気持ち良いっていうことを知ってるんだと思う。だからそのおかげで、人という腐った水を総入れ替えし続ける事でやっと、この界隈が正常を取り戻して来たんだと思う。言っとくが、その変化自体にはNみたいなやつは一ミリも関わっていない。でも、皆はNがやっぱり「いた」ってことを全員知ってるので、Nも呼んでみてもいいんじゃない?と言い出すみたいなことが数日おきに起こり続けていた。僕はこれを以前にもなんどか体験したと思ったが、まだスネ夫から一度も嫌味を受けた事のないモブから定期的に飛び出してくる親切心のせいで起こる事だと感じていた。だからNという人間は、とにかく何もやってないし、利益のとこにだけ積極的に加担してるのに仕方なくやってるってとこに常に安住してるような人間なんです。でも僕も一応知らない人だとしても他人がぼんやりしてるのをそのまま見過ごすほど意地悪なわけではないので特に「それだけはやめてほしい」みたいな自己主張もしないまま、ノータッチなる姿勢でその流れ自体放っておくことに徹してたのだが、そのあとでNがのこのこやってきて、「あの時返事まちがえてスンマソ」みたいな軽い返事をよこしてきたことで自分は、あーあ、、やっぱりなと思ったのだった。スンマソみたいに言うが、お前がきゃぴきゃぴ遊んでいたい女子高生みたいな人格からたった一人脱皮できてないからこういう世界になってしまってて、おまえがいまだもってすべての発端のど真ん中にいて全力で漕いでいたことをまた、忘れて来たのかっていう感覚で、お前は、ここにいる全員にきちんと謝り倒してからもとから居るが当たり前のキャラクターみたいにしてまた、またまたまた現れて来てるのかっていう怒りみたいなことだったりもしていて、で、この「がんばろう」からの「やっぱりな」みたいな流れは特に思い返したりしてみなくても僕の近くにNがいるときに毎回毎回で起こることだったのである。











ー終わりー


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