To be continued

単純な日記です。

自分たちがこれから改善していくべき食生活について、やりたいことだらけの部分を掘っていくとけっきょく、やってること全部同じことだったみたいなことも起こりうるのでまとめて書いてみました。

①一日三十品目摂る
職場では一日二品目でも良いと言う人も居るけど、それだとちょっとの段差でも毎回結果が骨折だったみたいな事故になりがちなのでこれからはなるべく肉以外の野菜、大豆製品など含めた一日なるべく三十品目を目標に摂るようにして行きます。

②お菓子を作ってみる
この間、蓮根チップスという蓮根をただ揚げただけみたいなお菓子がネットを検索している時に出てきた。それを見て、自分は、お菓子とは…と考えていたが、お菓子とは、嗜好品です。蓮根チップスも、蓮根で煮物を作ればたくさん野菜が取れるのにこういうことをわざわざ買う人がいるのは、たまに揚げたやつを食べて、ジュースとか飲んだりする時間が欲しいと思うからだと思う。人が新聞を読んだ後に少しテレビも見たくなったりするみたいに、やらなきゃならないんではなくて、やった方が捗るっていう部分にあります。だから、3食ちゃんと食べて居たら大人の場合あまりお菓子は食べたいと思わない。それなのに買い出しに行く時、ちょっとお土産を買ったりする時、お菓子っていう時間は必ず訪れる義務としてあるんだけど、そういう時自分は心ここにあらずなのに選ばされていたりするためそれを「かったるい」と考えていたりする。たまに。それは本来なら無くても良い部分を当たり前と思わされてやっていて、それは対価もないのにお菓子っていう時間があるからでしかなく、そんなふうに本能とはちがう物事に自分の体がもってかれてる感じがあるからだと思った。
僕は、大人はべつにお菓子なんて食べなくていいと思った。それでも文化がそれを許さない面があるのだとしたら、生活のなかでもともとある食材からお菓子を作って当番制でやっていった方が良い。

③出来上がりを考えて買い物に行く

買い物に行く時、いつもなら安いもの、もとが取れるものっていう視点で買ってしまうせいであとで蓋を開けてみるとただ無秩序の山を作っていただけみたいなことがあります。そういうのはただ端から腐っていくのを一人で見守るだけみたいなことになってしまうためこれからは、素材で集めるのを辞めてみて、あらかじめ完成系を念頭に置いて買ってみればいいのじゃないかと思いました。
これは、イライラしたり生活が破綻していたりするとなかなか出来ない事です。今ではなくたった三日後の困ってる自分を思い浮かべてみるだけで変わってくると思います。困ってる自分を置いてみる事で、その穴を通り抜けて困っていない自分の生活感を取り戻すのです。
イメージでは
●肉ー野菜ー他予備軍隊(ソース、冷凍豆など)

これが私たちの体を作っている大まかな栄養素です。それに加えて弁図みたいにもっとフォルダ分けが出来ると思いました。文化の面でそれをやってゆきます。そうすれば毎日の夕食はだいたい

●主菜ー副菜ーみそ汁

これが最も必要不可欠な枠組みになります。

こんなふうに献立の方から逆に組み立てて行けば予算よりもイモが30円くらいはみ出て居ても他の部分で帳尻を合わせるべきだって言うことが既にわかっているため、それを許容することができるようになります。
こんなふうに安い人参のお得感とかに惑わされることなく最初から主菜、副菜という目で見ていきます。スーパーでウロウロしているときもそういう、現生でなく未来の姿として眺めてみれば、単なる意味不明だったものも自分にとっての仲間=イイもんとワルいもんみたいにばっさばっさと取捨選択していくことが出来るようになります。
とりあえず僕が言いたいのは、体調が悪かろうが良かろうが、どう足掻いても一週間は7日必ずあって、自分はその中でガコガコ足をぶつけながら有限に泳がされてるだけって事がもう予め死ぬほど確定しているため、その中にある通過地点を予め用意しておくために逆算して考えてゆき、意味不明だった素材を自分にとってだけ有意義な形にガチガチに固めていくという作戦になります。
その中で必ず必要になってくるのが主菜だと思うので、それを出来上がった完成系の方から選んで行くことにしたのです

例】
→例えばただ、デカいだけで意味不明度数120パーセントだった豚肩肉かたまりは予め土井さんなどのレシピで学んできた茹で豚という料理にする可能性も考慮して買って来ました。こんなふうに買ってこればあと必要になってくるのは引き算で考えていいんです。だから、◯ー X=使い勝手のいい野菜になります。ここで Xは、カサが取れないインゲンみたいな意味不明30パーの風みたいな野菜で無くて、すぐメインを貼れるニラとか、カサしかない白菜とかにしなければならないんだということになります。
こうやって公式を予め用意することで、スーパーで彷徨っている時に掴む藁軍みたいな豚細切れ肉とか、ダシが出てくる優秀な牛肉の薄切り肉ばっかりで冷凍庫が埋め尽くされるみたいな事もなくなると思います。

④コロナ禍でどうコミュニケーションしていくか

コロナ禍で、何故人が人同士でコミュニケーションしないと生きていかれないかたびたび考えてました。自分も活字と書く事くらいで生きて行けるかなと思ったりはしていたけど、やっぱりストレス発散もしたいこともできないまま切り取ったみたいな個人ていうのを意識させられながらいるとき、ふつうに家族に会いたくもなるし、親しい友人、恋人とも連絡を取ったりしたくなるものだと改めて感じていました。
だからわざわざ強烈に愛されたいと言い始める以前にそもそも、基本的欲求として人と会ってたい、話したいていうのが全体的に満たされなくなってしまいました。だからこそいま、コミュニケーションというのが見えて来てたんだと思います。僕自身も、たった一人で急激に誰かの役に立ちたくなったり、そうでなくなったりを繰り返す…それを繰り返していました。それで、この間それを見ていた付き合っている人から「そういうの、なるべくやめない?」と言われて、確かに自分もそれをされたら嫌だろうなと思いました。理由を考えましたが、多分それは、そこに若い異性がいるからだと思った。それで自分は、自分もされたら許せないだろうなと考えていえ、そう考えているうち、嫉妬というのは何故か自分も含めて悪いと思わされる悪感情なんだと感じました。それで、そもそも嫉妬心ってなんなのかを考えてましたが、これはもとからあったものが盗られてると感じるからです。だから自分も、もし相手が自分以外の若い異性のことを思いやってたり優しくしたりしていたとしたら、世の中の不条理の全体が襲いかかって来たみたいに腹が立つだろうと思い、特に相手が普通に困っていたり、性格がいい相手でもズルい奴と見做してしまうかも知れないと思いました。
自分は大抵は、こういう男女間のプラスアルファー的なやり取り自体に耐えられない方が多いです。例えば異性や上司のようなまるきり自分と立場上に違うところにいる人との駆け引き、嫉妬の土俵を持ち出されて評価されそうになるたびに、それでどうこう動くよりも縁を切って来ました。それから、嫉妬心すら起きないこともありました。大抵は枯れ果てていたか、他のもので済ませられるものに嫉妬はしないのに相手は才能や容姿とか性欲みたいなものを天秤に乗っけてたからだと思います。なので、それについて考えてみて自分の場合「優しくする」て言う姿に耐えられなくなるだろうなと思います。

⑤嘘か、本当か
嘘が本当かみたいな話を未だにされる事がありますが、一応言葉を使って話しているのでそれはつねに嘘も含まれていると思ってます。けどあの人達みたいにそれを毎日毎日、自分のためだけに嘘か、本当かみたいなことだけで他人を問い詰めるようなことをしていたら、それは始めはほんとうだった可能性もあったのに、そうじゃない領域は確実に増え続けていくと思います。嘘か本当なのかで言ったら、言葉として体から切り離して言った時点で全部嘘になりえる可能性はあるんです。そのなかで嘘でないのは今、ここにいる自分だけです。その自分自身と会う機会がいくらでもありこれから選択できるっていう余地は沢山残されていたのに、その部分との交渉の余地を「嘘か、本当か」みたいなくだらない質問で毎回なくして行っているのがあなたでした。そういうあなたの手には、たしかに今どう話しかけてあげたとしてももう真実など少しもないんだろうと僕はおもいます。だからけっきょく、嘘も本当もそこにははじめから無かったんです。けどぼく達で居る間、それはいくらでも作っていけるものとして初めはありました。そこに来た大勢の言葉っていう道具の使い方もわかっていないような人たちが遊び半分で言葉をばかばか使い尽くしていったおかげで、なぜか自分たちの手元だけには何も残らなかったと言うバカみたいな話がそこにあるだけです。嘘も本当も確実に100%に満たせるくらい我々の間にはあったと思います。何人もがそれを見ています。そうですよね?あなたは思い出話みたいにそれを言うし、僕もたまに思い出すかも知れないけど、でももう本当に何もありません。でもあなたはバカなので、未だ持ってバカで居たいので、他人も道具の性質もわかろうとせずにそれらの働きを飲み込まずに他人のせいにし続けています。ずっとたった一人が焼き畑に狂ってるみたいに見えています。僕の手元に残ってるのは真実などではなく、予めあった赤ん坊が死に絶えた後の、もとからある人間の性質だけです。