To be continued

単純な日記です。

タコの足、何漬けて食う?→みそ

「なつかしい」…

もう年末ですね。自分のところも年末の準備をしながら、去年や一昨年のことを考えたりしていました。前の職場のことを思い出したりして「なつかしい」と思っていたので、あの時は辞めようかとか本気で考えたりもしていたけど思えば、けっこうアットホームな職場だったのかもなと思い直したりしていた。考えてみればその前…そのずっと前…とかも、自分がそこに本当にいるのかわからないというくらいに、全く話しかけられなかったり、話しても会話が成立しなかったりなどして、今でも、あそこにただよっていた「骨の髄まで憎み合う」みたいな空気感はいったい何だったんだろうなと思う。本当に朝から罵声が飛び交うのが当たり前だったし、挨拶とかも目を見ないみたいな感じ。そんな事を考えてて、今日もほぼ一日半分くらいは時間があったはずなのに何故かウォームアップに九割くらいの時間を取られていて、気付いたら残りの10分くらいで内容の七割くらいをデカく改変していて、さすがにびっくりした。

アルコールのことと死

才能ないのかも?みたいのが一日にわたって自分に襲いかかってくる呪文みたいなもののようにあり、今日も自分は、いつもどおりにへこたれそうになった。正直、完成度として「満足!」って笑顔でいられる程度ではない。けど、やっぱり書いてる時点では近眼になってるし、一応できる限り書いていく…そういうスタイルでやっています。で、その後でちょっと空いた時間にひさしぶりにアルコールを飲んだんだけど、5くちくらい飲んだ時点でぶっ倒れてしまったのだった。アルコールが、飲めなくなった…?!→もう、辞めようみたいな流れをここ数年数え切れないくらいに繰り返しているんだけど、目が覚めるとまた、「ちょっとなら大丈夫かも?」と思って飲んでしまう。今日もアルコール度数が4%しかないやつだったのでジュース代わりにとなぜかその時考えてしまったのだ。あります?アルコールをジュース&おやつがわりにみたいなこと。でまたこういう浅はかな「飲める」みたいな考えはなぜ毎回安易に湧いて来るのかを今日20分くらいまったく動けなくなってから改めて考えてみたんだけど、「これまでずっと飲めていた記憶」が未だからだの8割くらいで占めているからだと思う。だいたい、アルコールを20歳から飲んでいて、最近三年くらいは毎日、浴びるように飲んでいた。どうしても、夕方くらいになると現実感に対する重力の方が重くなってくる感じがあって、自分はそれから、「まだ寝るまで◯時間くらいある」というプレッシャーに耐えられなくなってくる。◯時間を一人で「文句を言わずに寝るまでこなす」みたいのが耐えられない。だからこういう時、アルコールを飲むんだけど、もはや、僕の体において、酔うとか以前にアルコールが単なる毒素注入みたいな働きにしかならなくなっていたようだった。今日も、飲んで数分してすぐさま、全ての感覚欠如ーやる気減退みたいになったあげく動けなくなってしまったのだった…、、
もう本当に、ほんとうにほんとうに辞めようと思った。
ただそうすると、アルコールのメリーゴーランドみたいのがなくなった代わりに、まっ平らな現実が夕方〜8時くらいまでどーんと生じ始めて来るようになひ、それに対して自分は、「????」状態で過ごさなければならなくなった。ほんとにこの夕方の意味不明な憂鬱感は数十年生きていても名前が付けられない。



で、話変わって、今年は実家にも予定がないので多分帰らないだろうなと思っていた。だから今書いている小説を書いてみたり、他のところを書いてみたり…本を読んでみたりすると思う。
本、放っておいたらどんどん送られて来て溜まってくるようになった。今も二、三冊くらい溜まっているのがあって、これらは全部以前の関係性の人たちから送られて来たもの。これは、ファンタジーのようにその人達の好きな部分が詰め込まれているので多分、自分は見ることがないと思う。

借金がやがて人格になる日

借金をしている人が職場にいて、今トラブルになっているようだった。連日、その話題ばかりで、多分内容を聞いてたら死ぬまでそれが続くんだろうなと思う。
なぜ、トラブルになっているのかを僕も横目で見ながら考えてみた。多分、その借金をしている人が感情的になっている時に言っていた一言「この、恩知らずが!」ということから考えてみるに、その人は本当にその「提供し続けて来たまとめ構造」というのがためになるし、ためになって来たし、万人からお金を取って然るべきエンターテイメント以上のものだとどうしても、主張したいみたいだった。だから、使用料のことを言われるのは割りに合わないし「酷じゃないか」という事になるらしい。が、問題になってるのがソースのことである。だから結局、まとめと言ってもその人が自分で努力して見つけて来たものかという時点で照らし合わせてみると怪しく、外に出す以前に、ソースが①ネットだよりで信憑性に欠ける②噂だよりで、一番あやふやになるのがその人が、利益に従順すぎるがゆえに、もしかすると嘘を言ってらっしゃって、自分のためになるような情報をまとめサイトから勝手に持って来て作っているんじゃないかという所に、あるのではないかと結局思っていた。なので、主観っていうのはある。それに、性格は込み入られてあるけど、それで、自分の感情のキモチええくなるためにソース自体を偽造してフィクションを作ってしまったら、そりゃ駄目である。けど、その人からしたら「それが真実」であり、「それがエンタメ」であり、それによって「タメにならないから金を払ってもらえない」というこちらからの主張が受け入れられなくてこんがらがってしまっている。
で、それに対して放置して解決するのかと思いきや、それを放っておいたせいで今度は、いろんな問題が出て来てしまったのである。
 
で、その人からしたらそれが、よくわかっていない所や、希望的観測をネットや自分の考え(思い込みというかむしろそうなって欲しいという提案)で補強して来たという事らしいんだけど、それが中心の線まで侵してしまっている…みたいなことが問題になっているらしく、僕の思うに、だからこういうのもコロナ以前とコロナ以後のような気がしていて、変わるわけがないと思っていた時代が変わってしまって、まとめが「ためになる」と言われている対象自体が百八十度で反転してしまったくらい変わってしまったせいもある。まず言いたいがこの、「よく分かってないとこ」自体も「何が分かってないかもよく分かってない」という無自覚のタワー状態みたいになっているところがある。それで、長年優秀な部下がその「わからないゾーン」を死ぬ程のいきおいで耕しまくって、そのお陰で結果も出しまくっていたのだが、こんなふうに他人から努力や無駄という手間を廃したあとの「結果」の状態で手渡されると、人と言うのは「それらも、俺らの手柄」ってふうに考える人も、何割かはいるようで、実際そのように感じてらっしゃるような人達が寄り集まっており、だから、その人達が嬉々としてやっていたアドバイス→おまえのことだろ、ってなってしまっているし、もちろん無自覚のタワーみたいなものなので治癒方法みたいのはない。全部、上からの物言いになってしまってるのを全部直さなきゃならなくてこれがかなりイタい。想定していたのが「自分たち」というごくごく狭い空間の団扇を満足させられるような論理のみであって、それがずっと永続的につづくし、自分の地位ももちろんすり替わるわけがないという強すぎる信念上に建てられたまとめだったのだった。それが問題だったということで、それが、もしもそうじゃなく、個人的興味だとか、外に向かって放たれたものだったら問題みたいにはならなかったのじゃないかと思う。だから、コロナ以前と以後で「かわってしまったもの」を皆さんも、よく見てみてください。

…見てみて、くださーーーーい!!


誰かのためにと言うと綺麗事に思えるかもしれないが、企業として何か発するにおいていまや公共の福祉を考えるのはそれが大規模になるほどに常識である。だから、今思えば、その時点の極小な選択→何を自分はしたいのか→自分という人間に対する発見自体の時点で、もう少し考えられたのではないかということ。それは、「安住してたのかな?」と言われても仕方がないくらいに、若者が頑張ってしまって、低賃金でめちゃくちゃ頑張っていると言うイテテな現実と、いっぽうでこんなふうにいつまでも食い下がって来るほど、概念に対して強固に寄生虫になってしまった彼らは、これまでも、これからも、うやむやな部分は自分がすべて好き好んでネットから引き出し続けるんだよおって事を念頭に置いてたのではないかという結論になってしまいそうである。

引用」に関して僕もまったく身に覚えがないわけではないが…
こういうのはこじれてくるともう、訂正できなくなってくる側面もあるので、くれぐれも他人に食ってかかるくらいまで熱くなる前に、自分がやって来たことを見直してみるくらいよおく考えてから、それから、くれぐれも「アイツをいてこましたる」みたいな怨念や悪意でもって、皆の目にするものを作って出すみたいな五年生みたいなことをやってみない方がいいんじゃないかなって思います。