To be continued

単純な日記です。

ウリャ〜文字

「タカセさん、あたま大丈夫ですか?」

Mさんは、入ってきた僕を見るなり行った。僕は戸惑ったのだけど、Mさんはにこにこ笑って僕をみている…

「え?」

「(僕のあたまを指差す)」

「大丈夫ですけど…」

僕の来る前から勤務だったMさんはそのまま、仕事をはじめたのだけど、僕はロッカーに行ってからどうしてそんなことを言われたのかやっと分かった。今日、雨が降っていたのだけど、傘を差さないで家を飛び出してきた僕は、頭がぼさぼさになったあげく、それが七三状に分かれくたびれたおじさん状態になっていたのである。

僕はなるほどと思い、ティッシュ2、3枚を出して髪の毛を拭いた後で、ロッカー近くの鏡を使って髪の毛を整えた。僕が出ていくと、Mさんがチラッとこっちを見たので僕は「OK」サインを出しておいた。Mさんも満足げである。何かカラオケ店に行ったあたりから僕ら三人の連帯感はますます強くなってきていて、こういったエアリプみたいなことでさえ通じ合えるのが僕としては嬉しい。最近では地下鉄を待っている間とかにも不意に二人のことを思い出すくらいにまでなってしまった。

一応書いておくと僕、という人間はもともと、おでこがけっこう広い。といってもこのことを特に悩んだりした経験は特になく、自分では普通くらいに思っている。じつはこの「広い」みたいな認識は、母親からいつもデコのぞみ、でこたなどとまだ幼児である僕に勝手に名前をつけて揶揄われていた過去にある。けど、広いって言ったってそんなにつるっとしてるわけでもない。こういうことは割合、直ぐ近くに比較対象がいない限りあまり感覚としてはわかりづらいもので、僕は、ずっと母親=うるさいみたいな意識を抱いていた。僕、ではなく母がしゃべっているだけの現象として。しかし、そんなふうに二十数年くらいは暮らしていたのだけど、世の中にはデコ広い人間とデコ狭い人間がいるということを、ここ数年でアメトーク以外でやっと分かるようになった。世の中には僕よりもデコ広い人間がいる。で、その子は普通にかわいいためこれは蔑視ではなくかわいい表現として見てもらいたいのだけど、先ず、反対のデコ狭い人間の額が僕らの履いている靴下からズボンの裾までの間に出てきたすねくらいの広さしかないのに対して、おでこ広い人間っていうのはバスケットボールの八分の一くらいのスペースでガバッとそれはおでこだったりするのである。つまり、もはや額…とかゆうよりもそれは「球」だった。球。僕は、その子のやつを見て、初めてこういうのならデコ広いって呼んでも良いような気がした。僕の場合も、どちらかというと広めではあるけど、それほど張り出してるわけでもなくどっちかというと…ていう中途半端な状態でしかない。けどデコ広い人というのは、とにかく何物の干渉をも受けないほどに「つるっ」て感じでデコがあるのである。僕は、とにかくその子のデコの広さに対してはファーストコンタクトのときくらいから広いなってことを再々確認くらいはしたのだけど、そういう人というのは周りに対しても「ちょっと、デコ広くない?」と確認を迫ってくるような存在としてあるんだと感じた。だから母も、こういう気持ちでいたのかもしれない。

そういうわけで、僕は危なかったところをMさんに教えてもらって本当によかったよかったって思った。




その後は僕達は真面目に働いていて、いつも通り数時間は来客のない時間が続いた。こういう暇な時間が続くと、手作業をする一方で、あたまの中で何を一体考えていればいいのかみたいな疑問が湧いてくる。

この、空白の時間が定期的だったり、不意にだったりするのなら、それほどに思考というもの自体が気になるみたいなことはないのだけど、こう毎日十数時間のような感じでニュートラル状態が続くと、どうしてもそれに対してどう味付けしていくのかみたいな気持ちは湧いてくるのである。
僕は、Mさんにこのことを聞いてみたのだけど、Mさんによると、「自分は寝る前にいつも現実には起こり得ない空想をしている。家の屋根を歩いたり、いつもは窓から見えている山の景色を思い浮かべている。その、山や山の向こうの景色を、仕事中はできるだけ事細かく思い描き、そこで自分が歩いたり生活している空想をしている」とのことだった。僕が、「本当にそんなこと毎日考えてるんですか?」と聞くと、Mさんは少し考えた後で「斎藤工のことも少し考えている」と答えた。Mさんは現在二十九歳で小学一年生の子どもがいる主婦である。

僕の場合、自動モードにしておくと、とにかく思いつくままに思念の流れを宇宙の膨張のリズムで追ってくままになってしまいがちだったりする。最近、「仕事中にも創作はできるのか」みたいな疑問についてたまに考えていたことにより、自動モードの僕が勝手にそれにチャレンジし始めることがあったりする。(おい…ちょっと待てよ!今、できてもどうしようもないのに…あ…あ…出来る!)ポーン、みたいな感じでたまに、創作が不意にかたまりとして湧いてきてしまったりすることがある。で、一応書いておきたいのは、それは自動モードの核が勝手にチャレンジしはじめたことによるもので、僕自身はむしろトラブルとして認識しているってことである。仕事中だと、そのできたもの、走り書きは出来たとしてもそのまま「強行創作モード」に精神が移行してしまうとにっちもさっちもいかなくなるため、できるかナ?くらい思うのでさえもやめた方が良いと思った。
僕が今日考えていたのは今日、朝出てくる前に読もうと考えていた小説のことで、その作者の書いた小説のフィールドみたいのをうっすらと全て時系列で並べた世界を僕が歩き回っているみたいな妄想だった。この、半瞑想状態の仕事を終えたあとで、僕は休憩中、なぜか猛烈にその朝、表紙を見ただけの小説を読みたくなってきてしまっていたので驚いた。やはり思うに「考えていること」それはほぼ全てその人自身、それから次の行動に繋がるアクション前の膨らみのようだとも言える。僕は…とにかく僕は仕事を、そのまま数時間こなした後でほぼ無人状態の店で支度を整えて、その小説が早く読みたかったため足早に、Mさんの横を通り過ぎて帰ろうとしていた。最後、僕は皆が毎日付けなければならないチェックシートを見たのだけど、僕が前日まで書いていたチェックシートの字が勤務しているメンバーの誰よりもでかいということにその時、なぜか気づいたのである。僕は「ハッ」とした。「でかい…」もはや、枠からはみ出るほどにでかい。いや、枠いっぱいに書かなくてもいいのに、普段大人しく、トラブルをなるべく避けて生息している気でいたのに、枠いっぱいに僕だけが書かさっている。ちょっと他の人のものを見てみると、Mさんはきれいな丸文字で整然と書いているし、Sくんなんかは神経質そうな性格がよくあらわれた字で名前を書き込んでいる。他のバイトのメンバーも、それなりに特徴はあるけど、とにかくマス目いっぱいに「ウリャー」文字で書いてるのは僕だけだった。僕は、多分こういう状態で毎日いたんだろうなと思った。そう、それは「心ここに有らず」的な…なぜかわからないが僕はそのとき一人で、誰かに伝えるのももどかしいくらいに笑ってしまいそうになった。



本当に僕って、あたま大丈夫なのかな?!